朝礼スピーチのねた ブクロ -4ページ目

ただの夏目、されど夏目!

今日は、日刊新聞創刊の日と漱石の日です。


【活用場面】

 出世を急がぬ男達!


1911年の今日、文部省が夏目漱石に文学博士の称号を与えようとしましたが、漱石は「自分に肩書きは必要ない」として博士号を辞退する旨を書いた手紙を文部省専門学部局長に送った日に由来し「漱石の日」と呼ばれています。


漱石の入院中に文部省は、漱石の文学上の功績に対し、文学博士を授与したのに、意外にも本人が辞退したのですから、全く前例のないこととして、省内でも問題となりました。


一旦授与した学位を取消すわけにもいかず、時の専門学務局長は、4月11日に、更に学位受納を勧めますが、漱石は遂に固く辞して受けませんでした。


漱石は、個人の栄達という観点ではなく、学問の道において名利を求める気風が醸成されることを恐れ、博士号によって、「学者的貴族」が生まれて、「学権を掌握し尽すに至る」弊害が出ることが、真理の探求である筈の学問を俗化へと向かわせるという判断によるものでした。

そうして国家権力と学者が結びつくことを漱石は嫌悪していましたが、これは漱石の「主義の問題」であり、「余は博士制度を破壊しなけばならんとは迄は考へない。」と書いているように、他に押し付けるものではありませんでした。


文士という範疇には属さない、「学問の人」であった漱石に肩書きは無用だというのは自信がなければ言えることではありません。死に物狂いで勉強した大学者でありました。


ただの夏目なにがしでありたい。」という信条は漱石の生死を貫いたものだったのです。

天孫降臨と神武天皇!

今日は、建国記念の日、紀元節、万歳三唱の日です。


【活用場面】

 温故知新、根をしっかりと張る!


紀元節は、「日本書紀」が伝える神武天皇の即位日として定めた祭日で、明治6年に2月11日と定められ、戦後一時廃止されていましたが、昭和42年に建国記念の日として復活しました。


日本書紀の第1巻「神代」の概要です。


神代は、まだ天地が分かれていないときからはじまり、別天神が誕生して、これに続き神代七代が誕生する神々の時代です。


神代七代の最後の神であるイザナギ・イザナミが国を生み、天の主者としてアマテラス・ツキヨミ・スサノオヲを生みます。スサノオヲの傍若無人やアマテラスの天岩戸の話、スサノオヲの天からの追放とヤマタノオロチの退治などは聞いたことがある話ではないでしょうか?


巻第2では、スサノオヲの子であるオオクニヌシが葦原中国を治め、そこに創造神のタカムスビが、アマテラスの孫にあたるニニギを降臨させます。


地上に降りたニニギは、コノハナサクヤビメと結婚をし、ホノスチリとヒコホホデミの子供をもうけ、次男のヒコホホデミの孫が、初代天皇である神武天皇になると言う話です。


夢のような神々の話ですが、逆に夢があって良いですね!

古事記や日本書紀ばかりではなく、聖書も読んでみると面白いですよ!

良寛さんの教え!

今日は、ふとん、ニート、ニット、蕗の薹、キタノ記念日に海の安全記念日です。


【活用場面】

 忠告は真心で!


良寛さんをご存じですか?

良寛さんと言えば、ひねもす子供と遊んで自由気儘に人生を歩んだ人という印象がありますが、その心境に至るまでには多くの人の世の醜さを味わった人です。


出家をして僧になりますが、僧侶の社会にも権力争いや妬み、そしりがあり、嫌気がさして生まれ故郷の越後出雲先に戻ってきました。そんなある時の話です。


四六時中遊びほうけ、家業を疎かにしている庄屋の跡取りである甥の馬之介に忠告をしてくれるように頼まれました。


良寛さんは、1週間経っても10日経っても忠告をしません。あきれ果てた馬之介の両親は頼りがいのない良寛をなじり始めます。


良寛さんは2週間ほど経った頃、おいとま乞いをし出ていくことにしました。そのとき、玄関先に腰掛け馬之介に言いました。

「馬之介や、わしの草鞋のひもを結んでくれや」と頼みました。

馬之介はお安いご用とばかり良寛の草鞋のひもを締めます。その馬之介の手の甲に良寛の大粒の涙がポトリ汗ポトリ汗と落ちてくるのです。

「馬之介や、遊びはもういいじゃろ」・・・。


その言葉と涙に馬之介は改心し、立派な庄屋の跡取りとして更生しました。


本気で人に関心を持っている人が少なくなっているようで寂しい今日この頃なう!