絆の日に絆の話❗
今日は、絆の日です。
【活用場面】
日本人の良さを再発見!
最近震度5強の地震がありましたが、無事だったでしょうか?
地震の教訓を風化させないように、東日本大震災の話をします。
東日本巨大地震直後の津波では、新地町でJR常磐線の電車が脱線・転覆したが、乗客約40人は津波が押し寄せる直前に逃げ、命を取り留めた。偶然、電車に乗り合わせ、乗客を約1キロ・メートル先の高台まで避難誘導した県警相馬署の新任巡査2人が活躍した。
2人は昨年9月に相馬署に配属。今年1月から、福島市で県警察学校の初任補修科の研修を受け、地震当日の11日は午前中卒業式に出席し、JR福島駅から相馬駅に向かう車中だった。
大津波で脱線した電車は新地駅に停車していた午後2時46分、巨大な揺れに襲われた。2人はけが人がいないか確認して回る間に、乗客の携帯電話のテレビで大津波警報の発令を知り、「ここは危ない」と判断。乗客に、電車を降り、新地町役場付近の高台を目指すよう呼びかけ、吉村巡査が先導した。
斎藤巡査は、最後尾の足の不自由なお年寄りらに付き添ったが、200~300メートル後ろから、「ゴボゴボ」という音とともに車や民家を押し流して迫ってくる濁流に気付いた。運良く軽トラックが通りかかり、お年寄りらと一緒に荷台に乗せてもらって逃げ切ったという。
斎藤巡査は「怖かったが、警察官の使命感で動いた」と振り返り、吉村巡査は「行方のわからない方がまだいらっしゃる。住民の力になれるよう頑張りたい」と、今後の捜索活動に意欲を示した。
自衛隊、警察、消防にボランティア、米軍をはじめとする外国の人々そしてもちろん被災者自ら努力により復興が進んでいます。間もなく3年ですね!
女人禁制の咸臨丸❗
今日は、2.26事件に咸臨丸、脱出の日に血液銀行開業記念日です。
【活用場面】
臨機応変の妙!
幕府の船として初めて太平洋を往復したことから名を知られる咸臨丸ですが、サンフランシスコでのこぼれ話です。
日本初の軍艦、咸臨丸をひとめ見ようと群集たちは、サンフランシスコに集まりましたが、日本のしきたりで、船の中に女性を入れることができませんでした。
新聞では「レディたちはみな面目を失った」と嘆きの報道が行われました。でも、勇敢な婦人たちは、男装して見物にやってくるのでした。
提督の木村喜毅は、それら男装のレディが船から下りるとき紙包みのプレゼントをわたしていました。あとで開いてみるとそれは”かんざし”だったそうです。
また、このはじめての航海の乗組員の中に今は、1万円札で有名な福沢諭吉もいました。
諭吉は、咸臨丸の帰路、ハワイの港を出ると、一枚の写真を懐からとりだした。それには、何と美人のアメリカ娘と諭吉が写っているではありませんか。
のちに諭吉は「サンフランシスコでこの写真を写したことを皆に言うとすぐ真似するものがいるから、黙って隠しておいてくやしがらせてやった。」と日記に残してたそうです。
頑張れ受験生❗
今日は、夕刊の日と国立大学2次試験開催の日です。
暖かい日になりそうです。花粉にも気を付けて!
【活用場面】
リーダシップ、指導者の心得
大学2次受験の日ですが、なぜか八代将軍吉宗にまつわる話です。
吉宗は紀州徳川家の三男坊で、将軍になる人物ではありませんでしたが、ひょんな事から将軍職に就いてしまいます。
吉宗は自分の無学を羞じ、学問指南役の林大学守に教えを受けることになりました。
ある日、林大学に「名君とは何ぞや、どのように心がけるべきか?」と質問しました。
大学は「名君は聡明でなくてはなりません。すなわち耳をもって聴き、目をもって明らかにし、策を立て実行することでございます。」と答えました。
この教えを吉宗は生涯将軍として政を行う基本姿勢としたと言われています。
実際、吉宗は大岡越前守とともに市中に出かけ情報を耳で聞き、目で確かめて改革を断行し、実効をあげていきました。
旗本の三男坊徳田新之助と名乗り市中で悪を懲らしめる暴れん坊は、この聡明さの体現でした。