発達凹凸があり、不登校経験のある2人の子どもの母です。このブログでは大学を卒業した24歳の娘の事を主に書いて居ます。たまに29歳の息子の事も書きます。子どもたちの事については、アメンバー記事にする事が多いです。
私は息子と娘と2人の子どもの不登校を経験した母親です。不登校はマイナスのことかも知れません。でも子どもたちには、不登校にならざるを得な
かった理由があったのだと思います。そしてどんな経験も無駄にはならない。子どもの人生はその子自身のものだと強く思い知らされました。私は自身の人生を、子どもとは分けて、出来るだけ楽しく生きる事を、目標にしています。その事に気付かせてくれた、子どもたちに感謝しています(o^-')b
不登校で無かったとしても、どう接していくか、どう子育てしていくかは、それぞれの家庭で違う。そんな事は分かっていると思ってました。だって1人1人子どもは違うから。自分も人と同じでは無いからです。でも子どもが、ある日突然の様に学校へ行けなくなると、パニックになって、どうしたら良いかわからなくなります。それで色んな方法を試してみたくなる。誰かのやり方を真似したくなります。少なくとも私はそうだったと思います。何とかして子どもの元気を取り戻したくて、本を読んだり、人に聞いたり、カウンセリングを受けたり。それは悪くは無かったと今は感じています。あの頃の必死な自分も愛おしいです。でも1番大切だったのは子どもとの信頼関係を築いていくと言う事と、親子関係は其々の家庭で違うんだと言う事を自分の中に落とし込む事だったと思います。それを自分の軸にして、日々を心穏やかに過ごしたいなあ。でも実際問題は色んな感情か湧いて来て、平穏な事ばかりとは行きません。でもそれも自分の人生なんですよね。長い長い時間がかかりましたがやっとそんな風に素直に思える様になったのは、自分の成長かなと感じたので、ここに記録しておきます。久々の投稿をお読み頂きありがとうございます鎌倉へ行きました。心が落ち着く風景。
人間は幸せになれるし、幸せになって良い。昨日10か月ぶりにアウトプットしたらなんか楽しかったので、今日も書いてみます。昔子どもたちの不登校で一杯一杯だった頃は、その問題にばかり注目していて、どうにかしてそれを無くしてすっきり解決しようとしてました。そうでなければ自分は幸せになれないと感じていたのです。でもそれは違うんじゃ無いかなぁ?と今は感じでいます。今も目の前の問題はあります。勿論、人によってそれを問題と捉えるか、問題と捉え無いかの差はありますがでも今はそれを躍起になって乗り越えたり解決したりしようとせず、置いておいて、眺めている感じかしらそんな風にして居るうちに、状況が変わったり、変わらなかったり。どうなろうと、自分の幸せとは別物になってきた様に思います。ピタリと当てはまる表現が無いけれど、曖昧なんですよね。白黒つけられないと言うかね。影響は受けるんだけど、それは主じゃ無いんです。伝わるかな?まあ自分の覚書の様なブログなので、この辺でやめておきます。読んで頂きありがとうございます。コロナが落ち着いて来たので、私的には苦手な季節ですが、久しぶりに旅行に行きました。楽しかったですまたインドアに戻ります。多分。綺麗な景色観て美味しいもの食べてよく歩いてリフレッシュしました。
前回のブログを書いてからほぼ10か月が過ぎました。非常にご無沙汰してました皆さまのブログは読ませて頂いています「これ書きたい」と思う様な事があまり無かったと言うのが大きな理由です。ある意味平和だったのかも知れません。反面あまり変化も無かった気がします。自分が傷つくのが怖いから、色んな事を出来るだけ敏感に感じ無い様にして来たここ10数年です。感情に蓋をして来たのかも知れません。鈍く鈍くして自分を守って来た自覚はあります。ブログをお休みしていた間、本を沢山読みました。インプットしてました。そして自分の感情が動くのを観察してました私は昔から結構本を読むのは好きな方でしたが、子どもが不登校の真っ只中は全く小説が読めない時期がありました。5年か6年位かな?実用書の様な本心理学系の本は読んでましたが楽しむと言うより、知識を得る為に読んでたと言う感じでした。ここ何年かでやっと小説のストーリーを楽しめる時間が戻りつつあります。それこそドラマや映画を観る様に。文脈から登場人物の気持ちを感じたり、感情移入したり、共感したり、筋の展開や情景にわくわくしたり。そんな事が出来る様になって来た今は、ちょっぴり昔の自分を取り戻して来た様で嬉しいです。他にも読んだと思いますが、写真に残していた読んだ本です。最後の凪良ゆうさんの「汝、星のごとく」は図書館のリクエスト待ちが凄く先になりそうなので、雑誌を借りて読みました。とても読み応えのある作品でした。高瀬隼子さんと宇佐美りんさんの作品は2作品ずつ読みました。今後も追って行きたい作家さんたちです。小説を読むと人の人生を追体験したみたいに感じる時があって、それが醍醐味です
ふとそんな事を感じました。「見えるから苦しくなる」「見えるから心配になる」「見えるから先を想像して不安になる」「見えるからコントロールしたくなる」「見えるからあれこれ言いたくなる」これ過去の子育てで自分がずっと感じていた事です。今でもそう。だって同じ空間で過ごして居たらそうなりますよね。だから物理的に距離をとって見ない様にしてきた(それでも目に入る事もあるんですけど)と思います。子どもがずっと動かなければ、自分が動く。家に居る方がどちらかと言うと好きな方なんだけどね外の空気を入れる気分転換が大事だって見える所に居るだけで凄く頑張ってるよね私たち。だからリフレッシュしないと煮詰まってしまいます。外が無理なら家でもひとり時間を持つとかね1人になりたく無いってお子さんもいらっしゃるみたいだから。今読んでる本。こちらの江國香織さんの小説は、2人の女の子が旅をするお話です。色々な経験をしてハラハラする場面もある。親からしたら勿論「見えない事による不安」はあると思います。でもそれは子ども自身がどうにかしていか無いとしょうがない事ですよね。経験を奪わない。見えないとそう思うしか無い様な気がします。諦めがつく。あくまでも私見ですが。そんな事を感じました。どちらにしても親は受け止めるだけ受け入れ無くても良い。だって違う人間なんだからって何時も結論はそこです
最近よく思い出されてます。富田富士也さんの書かれた本にあった言葉です。「人は学校へ行く為だけに、就職する為だけに、生まれて来たのではありません。人は色々な使命を持って生まれて来ているのです。」多分10年以上前に図書館で借りた本の中にあった言葉です。本の題名も忘れてしまいました。富田富士也さんはずっと引きこもり支援をされていた方だと記憶して居ます。その頃も響いた言葉ですが、今もより響く言葉です。子どもの存在そのものを慈しむ。そう思わねばでは無く、もっと肩の力が抜けた様な自然な感じです。この方の本は何冊か読んだのですが、ここ最近はあまり著書が無いみたいですあと印象に残って居るのは「還る家」と言う言葉で何回も見た記憶があります。「母港」にも通じるのかしら。子どもたちと接する上で、何時も頭の片隅にあった様に思います。この言葉に救われた時もありました。本の内容迄はよく覚えて居ないので、図書館で何冊か予約してみました。読めるかな?暑いから涼しい部屋で読もうと思います。アガパンサス紫陽花グラジオラス
今さらですがブログを公開して書く事に色々と限界を感じて居ます。1番大きな理由は、子ども達が2人とも成人して居る事です。勿論未成年でも、あまりプライバシーに関する事は書き辛いですが、成人して居ると余計そう感じます。こちらの憶測で色々書く事は失礼にあたる時もありますし、何より本人達の目に触れる事は怖くもあります。元々公開記事の少ない此方のブログですが、これからも益々そうなると思います私がブログを書く大きな理由は、自分の気持ちの整理の為なのです。起こった事を書いて、その時の自分の気持ちを整理して、認め、自分の進む方向の様なものを定めて行く為に書いて来たのだと思います。今あまり書こうと言う気持ちにならないのは、書かなくても人に話したりして、自分の中で大分整理出来て来たからかなと感じて居ます。日々色々な事があって気持ちも上がったり下がったりしますが皆さまのブログは読ませて頂き、参考にさせて頂いて居ます。何時もありがとうございます。ほぼ4ヶ月ぶりの更新になりましたが、ブログの書き方を忘れそうにならないぐらいに、これからも遅々とした更新になりそうです。読んで頂きありがとうございました。ベランダのビオラのお花が可愛いから活けてみた
ご無沙汰していました。10月は1度も投稿出来ませんでしたが、何とかやってます。実家の片付けが大分進み、年内にはどうにかなりそうかな?自分が子どもの頃の思い出の品とかもあり感傷に浸ったりしています。ブログをお休みしてる間に気付いた事があったので、少し書いておきます。1つは実家の片付け中の事です夫が本当によく手伝ってくれて感謝しか無いのです。私の両親は捨てられない人たちだったから、実家には山の様な不用品がありました。本、衣類、書類、食器、趣味の品、寝具、贈答品、家電、家具、花瓶額縁、人形など装飾品、などなどとにかく使えるものから、壊れたものまで大量にあったのです。押し入れからタンス納戸まで、物がぎっしり入っていました。夫はよく手伝ってくれたのですが、言葉の端々に「有り余る時間があったのに終活出来て無い」とか「入れたきり何十年も使って無いものが大量にある」とか言いますまさにその通りなんです。私自身も耳の痛い事もあります。両親ほどは溜め込んで居ないけれど使わないのに捨てられない物もありますし。でも夫にそう言われると自分の親の事を悪く言われた様に感じてしまい、傷ついてしまうのです。親との間の境界線が引けて居ないのかしらねー。2つめは先日の親の会での事です。もう気心の知れた、気持ちの温かい方々ばかりなので、とても居心地が良い会です。だから何時も参加して良かったと思う会です。でもそんな会でも少し心がチクッとする場面もあるのです。大抵は「比較」から。これは本当に厄介です。何時になったら手放せるのかな?と思います。それもこれも子どもとの境界線が引き切れて居ないからだと思うのです不登校初期の様に子どもの元気がそのまま自分に反映されるほどでは無いけれどね。人との間に境界線を引く事と、比較を手放す事、そしていい人を辞めて自然体で生きる事。それが出来れば良いなと思います。そして傷ついた自分の気持ちは自分で癒す。そんな人になりたいな。ベランダのお花に癒される🌸
だよなぁって以前から思ってました。自分を後回しにしない。気をつけて居ないとつい忘れてしまうけれど。ないがしろにしないって事でもある。楽しい時は出来やすいけれど、苦しい時は難しい。ついジャッジしちゃう。良いとか悪いとかね。つい最近そう強く感じた事がありました。ここに詳しくは書けないけど、親類関係の事で凹む事があった。自分の器の小ささに気付き、責めてしまいました自分を満たすって、自分の好きな事をしたり、自分の好きなものを買ったり、楽しい有意義な時間を過ごしたりも勿論大切ですよね。でもそれ以上に自分のエネルギーを自分で奪わない事なんですよね。過度に子どもや親のことを心配し過ぎたり、世話を焼きすぎたり(過去にやってました)今でもやりがち果てには自分ジャッジと自分責めこれもエネルギーを奪いますね。せっかく自分を満たしても、底からどんどん抜けちゃう💦そんなこんなで連休は自分へのご褒美にヘッドマッサージに行って、家の片付けもご飯作るのも適当に、ダラダラオリンピック観たり、漫画読んだりして居ました。写真上手く撮れないんだけど、映画で観て原作も読んでみようと思った「弱虫ペダル」めちゃ大作で何巻もあります。あとドラマから入った「ハコヅメ」も面白い買い物で見つけたムーミンクッキーも可愛い少しは自分を満たせたかしら。
以前に書いていたブログで、(辞めた訳では無いけれど)、自己尊重と自己肯定の違いについて書いた事があります自己尊重と自己肯定。同じ様に見えて、少し違うのではないか?とその時に感じた事を書きました。貴方は貴方のままで良い。私も私のままで良い。と言うのが自己尊重。どんな私でも私は私で素晴らしい。自尊心。自分を尊重する感情が自己尊重。これは家庭の中だけでも作れる感情だと思います。親子の信頼関係があれば。自己受容は他者受容に通じるから。その時も書いたのだけれど、自己肯定は少し違い、他者との関わりによって、生まれる感情なのでは無いかと思ったのです。勿論集合体の様に両者の重なる部分はあるのだけれど。他者によって認められるとか、何かを成し遂げて達成感を得るとかして、得られる感情が自己肯定なのではないかしら?人間ってやはり社会的に繋がりを求めて行く生き物だと、感じるからです。家族以外の他者との。自己尊重と自己肯定。どちらも大切。そしていつからでも自分が持ちたいと思えば持てる感情なのかな?と感じました。何時からでも遅くは無いよね。両者のバランスが良ければより生きやすくなるのかなぁ何かの不運が重なって、一時的に自己肯定感が持てなくなったりする事もあるよね。子ども達もそうだし、私もそうだった。そんな時こそ自己尊重感は大切にしようと思います。これからもね※あくまでも自分の主観で書きました読了しました。推しが居る事って生きる活力になりますね。
精神保健センターの中で行っている「思春期相談」です。もうかれこれ10年以上続いて居ます。自分でもビックリですね。最初は息子の事を相談する為に始めたのですが、途中から娘の相談も加わりました。今は娘の事8割で息子の事が2割位です。何故こんなに続いたのかな?自分なりに考えてみました。理由は人によって違うと思うので、あくまでも私の場合です。相談するカウンセラーさんとの相性が良かったのが1番目です。カウンセラーさんは、あまり自分の意見は仰らず、ほとんどは聞くのみです。これが最初は物足りない時もありましたが、後々考えると自分で答えを出せる様になれました。日が決まっていて、2、3ヶ月に1度しか受けられなかったこれが2番目です。例えば息子は最初の方は荒れて居て、毎日の様に相談したい事がありました。でもカウンセリングは受けられない。時間が経つと、また状況も変わり、問題だと思っていた事が治まってきたりします。自分の気持ちも落ち着いて冷静になれたりするし、その時点で相談した方が、物事が整理されてすっと心に入ってきた様に私は感じました。公的機関が行なって居るので料金が無料これが3番目の理由です。勿論有料の素晴らしいカウンセリングも沢山ありますし、自分でも受けた事もあります。私の場合は子どもの事よりも自分の気持ちの持って行き方の様な相談をそちらで多くしましたし。でも無料はやはり魅力的です。カウンセリングは個人的なものなので、合う合わないも人それぞれだと思います。なのでご自分が受けたいと思ったら受けたら良いと思います自分の気持ちの拠り所と言うか、「今度お会いした時はこの事を聞いみよう」「話を聞いて貰おう」と思える場所があるのは有難い事だと私自身は感じて居ます。カレーパンを作りました。初めてにしてはまずまずの出来でした