4時間30分
昨日は台風の為、日豊本線が乱れ、通常1時間40分の通勤がなんと4時間30分かかりました。
家を出たのが6時30分、宮崎駅発7時04分のにちりん4号が運休、状況をみて8時09分の
にちりん6号が出るということでした。
8時09分にちりん6号は西都城発3両編成で、いつも乗るにちりん4号より2両少ない為、
乗れないとまずいと思い南宮崎駅までチャリをとばしました。
ところが、なんとにちりん6号は南宮崎発で乗る人は20名ほど。
3両はガラガラの状態で南宮崎を出ました。
これだったら宮崎駅から乗ってもよかった、南宮崎~宮崎間の乗車料、160円×2がもったいなかったと
くやみましたが、あとのまつりです。
それで、なぜ南宮崎発の乗客が少なかったというと、
後でわかったのですが一昨日、延岡方面からの夕方からの下りは台風の影響で運休となってたそうです。
それで、延岡方面の通勤客が足止めとなり、帰れなくなって県北で泊まってたそうです。
私は一昨日は休みでジガバチの夏休みの観察をしていたので助かりました。
それで、8時00分発にちりん6号は都濃までは順調でしたがそこでストップしました。
路線確認の為前を行く電車が渋滞をおこしていたのです。
約20分ほど止まった後日向に到着、そこから上りの各駅に乗り換え門川着。
結局職場に着いたのが11時、家を出て片道4時間30分の通勤となりました。
昨日のブログでジガバチさんの心配をしてる場合ではなかったのです。
しかし、電車に乗ってる間にこの本を1冊読むことができました。
- あんばい こう
- ビーグル海峡だ!―南北アメリカ徒歩縦横断の記録
少年時代をほとんど病床ですごした池田拓さんが、23歳から3年近くかかって北米大陸を横断、
南米大陸を縦断した本です。
筆者はあんばいこう氏です、なぜ池田拓さんが書かなかったのだろうと思って読んでたら、
最後の章で解りました。
池田拓さんは帰国後、故郷の鳥海山の自然保護の勉強をする目的で、渡米費用をためる為
建築現場でアルバイトをしてました。
その時、鉄柱が落ちてきて脳挫傷となり亡くなられたのです。
たんたんと綴られた日記をあんばいこう氏が解説してます。
不思議な構成です。
歩いて北米大陸を横断、さらに南米大陸を一人で縦断したのは世界でもいないそうです。
池田拓さんの旅に比べれば、私の自転車遊びなどちっぽけなものであり
旅の途中でも乱開発されそうな鳥海山の保全を祈り続けた、池田さんの生き方に感銘を受けました。
ニューフレーム!!
昨日、HINOさんに発注していた横浜山王スポーツのフレームが届いたという事で練習後、
いそいそと拝みに行きました。
山王エミネンザのVOLARE HMというカーボンフレームです。
今乗っているトレックは1999年産、デュラエースはもっと古く10年前の物でした。
新しいフレームが欲しくていろいろ考えました。
LOOKの565、ケルビムのクロモリオーダー、その他・・・
565は私のサイズに合うホワイトカラーがなく、また金額的に高く断念しました。
ケルビムのクロモリオーダーは欲しかったのですが、納期が2ヶ月かかりました。
いろいろ悩んでたのですが、山王は30年前にランドナーを作ってくれた高橋さんのブランドでもあり、
スーパーハイモデュラスカーボンの軽さと柔らかさが決めてでした。
私と山王には何か引き寄せられる縁があるのでしょうね。
サドルとバーテープ、タイヤが決まっておりませんが、仮組みをした段階でイメージに合うパーツを
HINOさんと相談して選ぶつもりです。
へへへ・・・
暑い1日でした
終戦記念日の暑い中、いつものコース宮崎~清武~椿山~飫肥街道~椿山~清武~宮崎を
走りました。約95km、平均速度20kmの道のりでした。
最近、HINOさんのホームページ に椿山峠の朝練が載っているので、私もためしに計測しました。
そうとう頑張ったつもりで、25分45秒・・・
とほほ・・・
2004年の自分のタイムに1分以上遅いタイムです。
脈はMAX近くまで上げたのですが、ま、こんなものでしょう。
しかし、頭がズキンズキンと痛み出しました。
熱中症でしょうか?
それで、すかさずアミノバイタルを1袋飲み干しました。
このおかげで大分治まりましたが、脈が上がると1日痛みました。
今日のような日は無理をしたらいけません。
椿山峠を通り過ぎ一度下り、また上った所に山仮屋隧道が脇道にあります。
今日、始めてそこを通りました。
隧道はなにか不気味な雰囲気で、そういえば今日はお盆でもあります。
ひえー ダッシュで通りすぎました。
そして、今日も飫肥街道へと向かいました。先日は北郷フェニックスの方へ抜けたのですが、
今日は宿野へ抜ける道を下りました。
約3kmで150m下る急な下り道で、猿は出るは、犬に追いかけられるは、さすがにキジは出ませんでしたが
私はこの道を「桃次郎街道」と名づけました。
宿野でワカメうどんとおにぎりを食べてたら、神袈裟を着た神主さんが、
「その靴は何ですか?」と聞かれました。
自転車乗りのシューズはクリートが付いているので歩くとカッカッカッと音がします。
それで、ペンギンみたいにつま先上がりのがに股で歩くので神主さんは不思議に思われたのでしょう。
大戸野の裏道が5万図に載っていたので、攻めようと思いましたが、気力、体力すでにありませんでした。
「とむら」のお店で水をかぶりアイスを食べ、椿山を越えて帰途に着きました。
そういえば今日は終戦記念日でした。
行きの例の水飲み場でちょうど12時のサイレンがなりました。
先の大戦で亡くなられた方々にご冥福を祈りました。
8月の走行会
本日、、宮崎~綾南~須木~高岡~宮崎の走行会が15名+HINOさんのサポートで行われました。
距離 118km
平均速度 22km
時間 5時間20分
最高速度 47km
でした。
綾に向かう集団、早くもMAXのスピードで行ってます。
私は車にボトルを忘れたショックで後からとぼとぼと・・・
綾からつり橋にかかる上りの手前、
おや~
なんか変やで~
スタンディングでギアを掛け始める人、
それを横目でけん制する人、
そうです、悲しい習性かな坂を見るとアタックが始まるのです・・・
ワイがクライマーや!!
ちょいまち~な!!
置いて行かんでくんない!!
でも、どうしょうもないですね、本能ですから。
須木までは坂が続きます。約20kmだらだら上りです。
須木では雨に遭遇しました。
トンネル内で日南から初めて参加されたHさんと話し込みました。
ツーリングで日本縦断をされたそうで、その行動力にびっくりしました。
帰りの平和台大橋で、大淀川を遡る一艘の船を見ました。
悠々と上って行きましたね。
自転車乗り、そんなに急ぎなさんなということでしょうかね。
HINOさん、大変な1日をサポートありがとうございました。
感謝、感謝です。
全日空毛布事件Ⅱ
2006年1月25日の全日空毛布事件 で完敗した私ですが、
客室乗務員さんに、「この人ならしょうがないと」
認められながら毛布を持ち帰るすべはないかと考えておりました・・・・
で、その日が来たのです。
決死の覚悟で実行したのが、「ANA隠しマフラー作戦」でした。
今回は難敵チーフパーサーのいる前の出口を避け、真ん中の出口から出る為
後部座席を確保しました。
前回は寅さん風で失敗したので、今回はまじめなサラリーマン風に迫ってみました。
機内サービスの時も必死で物を書いてるまねをし、
「オレンジジュースそこに置いといてください」
「それから、日経新聞もお願いします」と・・・
忙しそうな企業戦士の印象を与えました。
布石はばっちりです。
まさかこの人が毛布を持って帰ろうなんて思われないように・・・
いよいよ飛行機が羽田に到着しました。
作戦開始です。
おもむろに毛布をマフラーのように首に巻きました。
その時、ANAのマークが隠れるように内側におりこむ手の懲りようでした。
名づけて、「ANA隠しマフラー作戦」、完璧にマフラーとなりました。
お客さんが全員降り、私、最後におもむろにすっと立ち、日経新聞などを手に持ち
中央の出口へと向かいました。
そこには、若い客室乗務員さんがお待ちになっていました。
絡み合う目と目、その瞬間、
なんと、その若い客室乗務員さんは「アハハハハ~!!」と笑いました。
こういう接遇はマニュアルにあるんでしょうか?
私は思いました。
でもその瞬間、勝負はついているのです。
またもや負けです。
最後のあがきで、「なにかおかしいですか?」と白々しく聞いたら、
その客室乗務員さん、職務を忘れたようにまたも
笑い転げておりました。
私、観念して「やっぱだめだったか・・・」と独り言をつぶやき
寂しく毛布を渡しました。
私は毛布が欲しかった訳ではないのです。
毛布を介しての人生を掛けた勝負をし、再び負けたのです。
相手が強すぎました。おそるべきは全日空客室乗務員。
しかし、40過ぎにもなってなんでこんな事をしているんだろうと、落ち込みながら
とぼとぼとタラップを降りたのでした。
宇梶剛士
図書館でなにげなく手にしましたこの本
- 宇梶 剛士
- 不良品―オレは既製品じゃない!
宇梶氏は188cmもあるそうで、野球で大リーグをめざしてたそうです。
しかし、高校野球部の頃、理由のないヤキに正当な暴力行為で少年院に入れられ、
そこで道が少しずつ狂ってきたようです。
その後、ブラックエンペラーという暴走族の総長になりました。
ブラックエンペラーは私が若かりし頃関東で一大勢力を誇ってました。
2000人の構成だったそうで、要するに世間で言う一番のワルでした。
しかし、族を退団後、夜間高校に入り俳優の道を目指し、あるきっかけで菅原文太氏に声をかけられ
トレンディードラマ出演に至ったそうです。
最近はテレビも見なくなったので、宇梶氏が俳優さんである事も知りませんでした。(ファンの方がいらっしゃったら失礼!!)
でも、出演の声がかからなくなり再び極貧の生活へと落ちていったそうです。
今は映画やドラマに出演するほか、舞台では作・演出も手がけられ、バラエティー番組などにも多数出演だそうです。
波乱万丈の半生をすごされてます。
しかし、大リーグを目指していた頃、少年院の頃、暴走族の頃、夜間高校のバスケットボール部で全国優勝をした頃
そして、俳優を目指していた頃、すべての時代の生き様はまっすぐで、素晴らしい信念を感じます。
飫肥街道
本日、文無し自転車乗りは以前から気になっていた飫肥街道 へと向かいました。
5万分の1図には幅員1.5m未満の道路としてのってます。
椿山峠を越えてとむらの店方面へ下りず左折します。
ここを左折して少し行くとヘビがいます。
ヘビを見るたびにオオッ~と叫びます。
なんとヘビを今日2匹見ました。ちゃんと横断歩道を渡らないといけませんね。手を上げて。
しつけがなってませんな。
ヘビを通り越して分かれ道をまた左折です。
ここから旧飫肥街道が始まります。
最初の数キロはぐっと登りますが途中の山並みの景色は素晴らしいです。
2kmほど行くと三叉路があります。標識に沿って右折します。
昔の方々はこんな山道を飫肥杉を馬に乗せて参勤交代で運んでいたのでしょうか?
WEBで調べて初めて飫肥街道の歴史を知り唖然としました。
街道をひいこら走っていくとようやく北郷のホテルが眼下に見えました。
ここからは、逆から上ろうという気がまずおこらないほどの急な下りです。
北郷からは裏椿山(然の道)を上ってへろへろ帰りました。
約95km 平均速度20km(めちゃ遅い)の長い1日でした。
椿山を登る途中、下ってくる日○夫妻とS子さんにお会いしました。
やああぁぁ~という挨拶だけでしたが、お互いニコニコ笑ってます。
また、椿山を下る途中に一人のサイクリストが上って行きました。
今も昔もこの道はなにか人をひきつけるものがあるんでしょうか?
ブエルタ・ア・エスパーニャ
ブエルタ・ア・エスパーニャは
ジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランスと並んで自転車三大レースの中の一つで
スペイン1周の自転車ロードレースです。
今年は8月26日スタートです。
そのブエルタ・ア・エスパーニャを舞台としたアニメが3年前の夏公開され見に行きました。
原作は黒田硫黄、アニメの監督は高坂希太郎です。
高坂氏はロードレースにも参加するほどの大の自転車好きな方です。
主人公のぺぺは兵役に行った時に、好きだったカルメンを兄に取られました。
奇しくも兄結婚式の日、地元の教会の前をレースが通り過ぎていきます。
ぺぺはアシスト役ですが、エースが落車し、一人で逃げを打ちます。
集団から追われ、ふにふにふにと必死に逃げるぺぺ。
ゴール前のスプリントの迫力はすさまじいものでした。
このアニメは、ギアが変速される様子や
集団のかけひきなど、ロードレースを本当によく表現されており、日本最強のロードマンと言われた市川雅敏氏
もマジで解説をされてます。
また、結婚式のワインや茄子のアサディジョ漬けなどスペインのアンダルシア地方の特徴がよく描かれております。
映画を見た帰りにこの本を買いました。
ブエルタ・ア・エスパーニャの前になると読みたくなります。
私が一度行きたい国、それはスペインなんです。
おおらかな国民性と赤ワイン、一度でいいから堪能してみたいと思ってます。






















