8月31日は6年ぶりの伊予鉄道の撮り鉄をしていました。
伊予鉄道では昨年よりチャレンジプロジェクトを展開していて、その中で“乗ってみたくなるような電車・バス”“観光振興への対応”“お客様視点での安全・サービスの向上”を謳っています。
その中で“乗ってみたくなるような電車・バス”として、電車・バスのカラーリング一新とロゴマーク制定、“観光振興への対応”として業務看板などの意匠一新、駅の美化・トイレの改修などが推進されています。鉄ヲタ的にはカラーリング一新・・・すなわち塗装変更が関心あるところで、伊予鉄道の電車・バス全車(市内電車の“坊ちゃん列車”を除く)が愛媛のイメージとしてオレンジ色一色に統一されるとのことです。変更前のカラーリングは1994年(市内電車はそれよりも20年位前)から採用されたものですが、今後、定期検査入場によってオレンジ色一色に変更されていくことになるため、おおむね着手から3~4年程度で完了するはずです。新旧双方を効率よく撮影するのにはいいタイミングでしたので、今回の松山入りに至ったわけです。というより8月~9月のこの撮り鉄旅のメインはこの伊予鉄道でした。
まず、前日のうちに松山市駅で1日フリー乗車券を購入。
伊予鉄道の電車(郊外電車・市内電車とも…“坊ちゃん列車”を除く)とバス(高速バスなどを除く)全線有効で1500円です。但し、今回は電車しか利用していないので1500円がモトの取れる金額かどうかは・・・
有効日はスクラッチ式になっているので、利用日を事前に削っておく必要があります。
“坊ちゃん列車”はこの乗車券を提示の上で300円を支払うことで利用可能です。券面には愛媛県のゆるキャラ“みきゃん”が・・・(笑)
そういえばHKT48の秋吉優花ちゃんはみかん大好き・・・
ホテル最寄りの清水町電停からスタートなのですが、ほぼ専用軌道のこの区間(城北線…古町駅~平和通一丁目電停間)は、実は路面電車の法規である軌道法ではなく第一種鉄道事業法による区間となってます。また、全線単線で行き違い可能な電停は3か所のみで、その他の電停は本来片面ホームとなるはずなのですが、ワンマン運転の路面電車では進行方向左側にホームを設ける必要があり、線路の両側に点対称で設けられていたりします。
伊予鉄道50形モハ59の①系統松山市駅行き(環状右回り)
前日乗車したモハ61と同年導入の車両です。清水町電停は①系統と②系統が停車しますが、両系統は市内線の環状運転の系統で、松山市駅電停から大手町電停→JR松山駅前電停→古町駅→本町六丁目電停→上一万電停→大街道電停→松山市駅電停と右回りに循環するのが①系統、その逆回りが②系統となります。前面・側面の表示幕は固定的な表示ではなく何か所かごとに表示される行先を変えています。乗車したのはこれではなく・・・
伊予鉄道50形モハ70の②系統JR松山駅前行き(環状左回り)に乗車。
1964年導入の車両です。50形としては最終形になります。このモハ70の後ろに①系統専用ホームがあります。
古町駅で郊外電車の高浜線に乗換え
乗換えの際にトイレに入りましたが、ウオッシュレットで石鹼完備でした。ここにもチャレンジプロジェクトの効果が・・・
伊予鉄道D1形1
言わずと知れた“坊ちゃん列車”です。四国で最も長い歴史を有する伊予鉄道は、夏目漱石の小説『坊つちゃん』の中に「マッチ箱のような汽車」として登場するのですが、その当時の「マッチ箱のような汽車」を2001年に復活させたのがD1形とハ1形による“坊ちゃん列車”です。
小説の時代の「マッチ箱のような汽車」は現在の高浜線松山市駅~三津駅間で運転されており、蒸気機関車牽引による762㎜軌間の軽便鉄道だったのですが、現在の伊予鉄道は全線電化・1067㎜軌間であり、当時のまま高浜線を走らせる訳にもいきません(笑)。そこで観光需要の高い市内電車の古町駅・松山市駅電停~道後温泉駅間(大街道電停経由)で走らせることとし、ほぼ全線が市街地なので当時のような蒸気機関車ではなく、蒸気機関車を模したディーゼル機関車での運転となりました。そんな訳でこの“1”を名乗る機関車は、ディーゼルを示す“D”を冠した形式のD1形となります。ディーゼル機関車とは言うものの、蒸気機関車のイメージを醸し出すために水蒸気によるダミーの煙を煙突から吐き出したり、スピーカーから蒸気機関車の走行音を鳴らすというギミックがあります。ギミックと言えば、蒸気機関車につきものの方向転換は線路側にある転車台ではなく機関車に装備されたジャッキで車体を持ち上げて回転させるようになっています。撮影したのはまだ朝の“坊っちゃん列車”運行前のタイミングです。
伊予鉄道700系クハ768の横河原行き
1966年製造の元京王帝都電鉄5100系クハ5862で1989年に伊予鉄道入りしています。この編成はまだカラーリングが従来のままです。この電車で横河原線横河原駅まで乗車します。
横河原駅はポイントのないホーム1面1線のみの終着駅ですが、駅舎は改築されたばかりで6年前に来た時と一変していました。駅を出て、愛大医学部前駅方の踏切で撮り鉄開始(撮影順に掲載)。
伊予鉄道610系クハ661の横河原行き
610系は、伊予鉄道の郊外電車では37年ぶりの新造車として、1994年度(1995年1月)に導入されました。車体は軽量オールステンレス製で、当時の大手私鉄の新造車並みですが、走行機器は既存の700系同様となっていて、台 車と主電動機は東武鉄道2000系の廃車発生品、主制御器や運転台機器などは京王帝都電鉄5000・5100系の廃車発生品を流用しています。また、屋上のクーラーユニットは700系と同様品です。車体以外は基本的に流用品ばかりに見えますが(笑)、パンタグラフは当時はまだ珍しかったシングルアーム型を採用しています。側面の割付から東武鉄道20000系の注文流れという噂もありましたが、車体幅や側面の屋根に繋がる部分や台枠部分の絞込み、側面表示幕のサイズなど、東武鉄道20000系とは異なっており、実際には設計の一部を流用している可能性はあるものの(車体の製造は東武20000系も製造したアルナ工機)、注文流れはガセですね(笑)。車内の造作は東武鉄道20000系よりも大阪市営地下鉄の当時の新造車に近いですね。1994年度に2両編成2編成が導入されたのみで、以後の増備はありません。現在、平日朝ラッシュ時に2編成併結の4両編成で運転されるほかは2両編成での運転になっています。10年前と6年前に来たときは、側面が広告ラッピングに覆われていましたが、現在はラッピングが解除されています。
伊予鉄道700系クハ767の横河原行き
700系は1960年代から1970年代にかけて首都圏の大手私鉄から譲受した旧型車代替のために1987年から1994年にかけて京王帝都電鉄5100・5000系を譲受した車両です。伊予鉄道入りにあたっては、京王重機にて台 車交換(京王線は1372㎜軌間、伊予鉄道は1067㎜軌間なので、電動車は伊予鉄道既存車及び小田急電鉄・東武鉄道の廃車発生品に交換、付随車は京王線時代の台 車を輪軸交換で対応)などの改造を実施しています。冷房装置については、非冷房のまま伊予鉄道入りしてから現地で改造した車両と、譲渡時に改造した車両があります。京王帝都電鉄5100・5000系は伊予鉄道の他にも何社か譲渡されていますが、譲渡時期の早かった伊予鉄道への譲渡車は初期製造の車両が多く、1両を除いて非冷房車が種車になっています。3両編成8編成と2両編成2編成の合計28両が伊予鉄道入りしていますが、800系に続いて3両編成3編成が2015年までに廃車されています。
クハ727は1966年製造の元京王帝都電鉄(現・京王電鉄)5100系クハ5860で、1989年に伊予鉄道入りしています。
新塗装化された700系は現在3両編成3編成あります。既に経年50年に達し、“実家”の京王帝都電鉄時代より長い時間を松山の地で過ごしていることになりますが、塗装変更の他にも放送機器を更新している編成もあり、まだまだ活躍が見られるということになるのでしょうか?
伊予鉄道3000系クハ3501の横河原行き
3000系は元京王帝都電鉄2010系の800系代替のために2009年から202012年にかけて京王電鉄3000系を譲受した車両です。京王電鉄3000系は、1962年から1991年の長期間に製造された車両ですが、そのうち軽量オールステンレス車体となった1983年以降製造の10編成30両が京王重機で3両編成化(各編成とも中間車2両は解体)・VVVF制御化(京王電鉄時代は界磁チョッパ制御)などの改造を施して伊予鉄道入りしています。3000系導入により、3両編成6編成在籍していた800系は2010年までに全廃、追って700系も3両編成3編成が廃車され、そのうち800系の4両と700系の2両は千葉県の銚子電気鉄道で再起しています。
クハ3501は1983年製造の元京王電鉄3000系クハ3770で、2009年に伊予鉄道入りしています。
現時点(8月末)で、軽量オールステンレス車体の610系と3000系の新塗装車は出現していません。本来は塗装不要のステンレス車体だけに、いろんな意味で今後が注目されます。
この後、次の場所に向かうべく撤収します。
伊予鉄道3000系クハ3310の高浜行き
1988年製造の元京王帝都電鉄3000系クハ3729で、2012年に伊予鉄道入りしています。
以降、次回以降に続きます。