お出かけ!してきました…そにょ⑯ | ヘタレ車掌の戯言

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毎日惰性だけで生きているヘタレ車掌の日常です。

前回記事の続きです。

 

 

伊予鉄3310 横河原駅 20160831

横河原線横河原駅から伊予鉄道3000系クハ3310の高浜行きに乗車し、次に向かうは高浜線の港山駅です。港山駅近くの喫茶店で昼食を摂り、三津駅方向に歩いたカーブの先の踏切で撮り鉄開始です。それでは撮影順に・・・

 

伊予鉄3505 三津~港山間 20160831③

伊予鉄道3000系クハ3505の横河原行き

1984年製造の元京王9000系京王電鉄京王3000系(サーモンピンク)3000系クハ3774で、2010年に伊予鉄道入りしています。

 

伊予鉄764 三津~港山間 20160831③

伊予鉄道700系クハ764の横河原行き

1966年製造の元京王9000系京王帝都電鉄5100系クハ5858(製造当初は5070系クハ5778)で、1989年に伊予鉄道入りしています。この編成は、1989年の入線当初はモハ714(京王帝都電鉄デハ5108)+クハ764の2両編成で、ラッシュ時にはちょっと先に入線したモハ715(京王帝都電鉄デハ5107)+クハ765(京王帝都電鉄クハ5857)との併結で4両編成を組成して運用されていましたが、1991年にモハ724(京王帝都電鉄クハ5703)を追加して3両編成化されました。もっとも3両編成で運用されるのは平日の朝ラッシュ時のみで、ラッシュ終了後はモハ724を切り放して2両編成で運用されていました(現在は終日3両編成での運転)。一番後ろのモハ724のみ扉下端に張出ステップが付いているのは、車体幅の違いによるものです。このように車体幅が異なる車両の組合せは他にモハ725(京王帝都電鉄クハ5704)+モハ715+クハ765があります。京王9000系京王帝都電鉄5000・5100系の車体幅の相違は製造時期によるもので、1964年製造分までが狭幅車体(外板幅2700㎜・台枠面2600㎜)、1965年以降製造分から広幅車体(外板幅2800㎜・台枠面2700㎜)となります。また、一番後ろのモハ724は、台 車と主電動機が小田急?小田急電鉄FM系由来のものになっていますが、これは現在、モハ724とモハ725のみに残るだけとなっています(小田急?小田急電鉄から富士急富士急行新潟交通 モハ11新潟交通に譲渡されたFM系は既に全廃、富士急富士急行経由で銚子電気鉄道に渡った2両分も1両は休車として残存するものの1両は廃車)。また、この2両は伊予鉄道の郊外電車(高浜線・横河原線・郡中線)唯一の金属ばね台 車が残る車両でもあります。

 

現在、700系はモハ721~クハ761の編成からモハ723~クハ763の編成までの3編成が廃車されており、カラーリング変更がモハ725~クハ765編成から着手されていることを考えると、この編成の先は長くない(3000系導入10編成に対して、現時点で代替廃車となっているのは800系全6編成と700系3編成なので、現時点でも1編成余剰のはず)のかな?とも感じられました。

 

向きを変えて・・・

 

伊予鉄718 港山~三津間 20160831③

伊予鉄道700系モハ718の高浜行き

1966年製造の元京王9000系京王帝都電鉄5100系デハ5112(製造当初は5070系デハ5082)で、1989年に伊予鉄道入りしています。京王9000系京王帝都電鉄5100系のうち、5112Fまでの12編成は2700系の電装品を流用した機器流用車でした。当然、つりかけ駆動で金属ばね台 車を採用していましたが、後年つりかけ駆動のままながらも空気ばね台 車を新造の上交換して乗り心地を改善しています。伊予鉄道入りにあたっては、小田急?小田急電鉄(伊予鉄道では既存の旧型車カルダン駆動化用に購入、使用していた旧型車が廃車になって発生品となった台車を指しています)や東武100系東武鉄道から購入したカルダン駆動対応の台 車に交換していますが、主制御器は今なお2700系由来の還暦モノが健在です。

 

伊予鉄3503 三津~港山間 20160831③

伊予鉄道3000系クハ3503の横河原行き

1983年製造の元京王9000系京王電鉄京王3000系(ブルーグリーン)3000系クハ3772で2009年に伊予鉄道入りしています。この編成最後部のクハ3303(京王電鉄クハ3722)は1991年製造で、これは1962年から製造された京王9000系京王帝都電鉄(~京王電鉄)京王3000系(ブルーグリーン)3000系で最も新しい車両ということになります。同形式を30年近く導入し続けたことに驚きを感じますが、これは事故廃車の代替車としての新造でして、“初代”の京王帝都電鉄クハ3722を含むこの編成は1983年製造です。車体細部を観察してみますと、1987・1988年製造のクハ3509・クハ3510同様、側扉の車外の手掛けが2段であったり、側面の急行表示板を掲出するための金具がなかったりします。また、この車両だけの特徴として、京王9000系京王帝都電鉄の社章変更後(1989年に制定、1990年以降車両にも反映)に製造されているため、旧社章が当初より設置されておらず、その撤去跡も当然ありません。京王9000系京王電鉄京王3000系(ブルーグリーン)3000系には、事故によって車体を載せ替えた車両が他にも3両、製造メーカーの東急車輌への車体疲労度調査のサンプル提供のために車体を載せ替えた車両が1両ありましたが、これらは廃車→代替新造扱いではなく、事故復旧修理扱い及び更新扱いとなっており、事故廃車→代替新造扱いとしたのは京王帝都電鉄クハ3722→伊予鉄道クハ3303の1両のみとなります。

 

伊予鉄768 三津~港山間 20160831

伊予鉄道700系クハ768の横河原行き

終日3両編成化のなかでも700系の2編成(モハ718~クハ768の編成とモハ719~クハ769)と610系は3両編成とするための増結車がないため、4両編成を分割した後は2両編成での運行になります(2運用)。そのため、これらは基本的に終日3両編成での運用となる郡中線での運用はありません。この編成は次のカラーリング変更の対象(現在モハ725~クハ765の編成からモハ727~クハ767の編成で実施済み)でしょうか?

 

伊予鉄727 港山~三津間 20160831 ①

伊予鉄道700系モハ727の高浜行き

1967年製造の元京王9000系京王帝都電鉄5100系デハ5114(製造当初は5070系デハ5084)で、1994年に伊予鉄道入りしています。

京王9000系京王帝都電鉄5100系伊予鉄道譲渡車ではこの車両のみ製造当初よりカルダン駆動を採用し、電装品も5000系同様の新造品(主制御器は2010系昇圧改造でデハ2060形から外したものの流用品かもしれません)となっているため、5000系クハ5700形を電装したモハ710・モハ720・モハ724・モハ725・モハ726同様、電気ブレーキ対応の主制御器を装備していますが、2700系由来の主制御器を装備した車両に合わせるため、発電ブレーキは使用していません。また、入線時期が一番最後のこの車両のみ、京王9000系京王帝都電鉄時代の1978年に冷房改造を実施していましたが、路面電車と同様のシステムを採用した他車と合わせるために、京王9000系京王帝都電鉄時代の冷房装置を撤去して伊予鉄道独自のシステムの冷房装置に交換しています。

 

伊予鉄661 三津~港山間 20160831②

伊予鉄道610系クハ661の横河原行き

平日朝ラッシュ時の4両編成は2列車続けて運行されるので、分割した2両編成も2列車続けての運行となります。

 

伊予鉄767 三津~港山間 20160831③

伊予鉄道700系クハ727の横河原行き

このカラーリング、見ようによっちゃ京成電鉄京成電車のファイヤーオレンジに見えなくもないという声も・・・。愛媛県のイメージでのオレンジ色とのことですが、愛媛県の特産品のみかんみかんよりも柿柿っぽいような気がしなくもないですね(笑)。

 

この後、撤収して港山駅から次の場所に移動します。港山駅は無人駅なのですが、駅前にある男女トイレはきちんと男女別で、しかもトイレウオッシュレット(同等の他社製品だったかな?…トイレウオッシュレットはTOTOの登録商標です)でした。無人駅にトイレウオッシュレットなんて、良からぬ輩に破壊されることはないのか心配になってしまいますが、この地域にそんなクズみたいな輩はいないということなのでしょうか?。最近、鉄道員への暴行などが問題視されていますが、この地域ではそんなことないんだろうな・・・と、うらやましくも感じました。近年はやたら接遇を重視して労働者を競わせることばかりにはしる某社ですが、鉄道員に当たる御乗客の怒りの本質はお客様言葉での丁寧な対応をして解消するものでもないと思います。なぁなぁが良いとは言いませんが、鉄道会社とご利用される御乗客の間に良好な信頼関係を築くことこそが不幸な暴力事件を解消するのに有効かと思いますし、事故や災害、あるいはイベントの際にも地元住民の協力を得ることがたやすくなるのでは・・・と個人的に思われます。

 

・・・と、大層なことを書きつつ、次回以降に続きます(笑)。