プーチン大統領の外交手法は一貫して「戦略的演出」と「実利追求」の組み合わせにある。相手に友好の印象を与え、強硬姿勢を封じながら、実際の交渉結果は自国に有利に収束させる。この構図は今回のトランプ大統領との会談にも適用できる。狙いは経済制裁の骨抜きと国際的孤立の回避、そしてロシア側の戦争被害を最小限におさえながら平和裏にウクライナの領土を着実に奪うことである。

前例として顕著なのが安倍元首相との関係である。首脳会談の回数は異例の多さを誇ったが、その結果北方領土問題は二島返還論に矮小化され、ロシア側の立場が強化される結果となった。友好関係を印象づける一方で、主権や領土といった核心的利益は一切譲らないというプーチン外交の構造が如実に表れた事例である。

この背景には、プーチンの外交観が「武器を持たない戦争」という認識に立脚している点がある。相手を心理的に拘束しつつ自己の願望を達成するのが彼の常とう手段だ。友好演出は戦術に過ぎず、実利確保こそが彼の唯一の目的である。

ウクライナをめぐる現在の状況も、この文脈で捉える必要がある。トランプとの仲良しアピールによって、軍事行動を拡大せずとも、外交と交渉を通じて既成事実を積み上げることが可能となり、最後にプーチンが領土的利益を確保してしまう可能性が高い。西側諸国がこうした彼の手法を十分に理解しない限り、ロシアは「和やかな雰囲気の中での既成事実化」を繰り返し、結果として優位を築くことになる。

今後の対応には二つの条件が求められる。第一に、プーチン外交の「演出」と「実利」を厳格に区別し、表層的な友好演出に過度な期待を抱かないこと。第二に、西側が一枚岩となり、譲歩の余地を最小化すること。これなくしては、同様の構図が繰り返される。プーチンの暴走は止められない。

テレビ朝日の夏のイベントで、ドラマ「大追跡」のキャスト達が集合した。佐藤浩市氏、遠藤憲一氏、光石研氏など、ベテラン俳優や実力者俳優が6人並ぶ姿は圧巻である。その中心には、このドラマの主役となっている相葉雅紀氏が、ちょこんと座っている。場違い感が否めない。

大河ドラマ「どうする家康」を彷彿とさせる。あの時も、専門の俳優ではなく演技が未熟な松本潤氏が主役となり、その周りを驚くほどの豪華俳優陣で固めていた。豪華俳優を添え物にするジャニタレ主役の異様さが際立つ。

バラエティ番組でも同様の構図が見られる。ジャニタレが主役を務める番組では、共演するお笑い芸人は人気・実力ともに一流揃いだ。専門のお笑い芸人ではないジャニタレが主役でなかったらとても面白い番組になるのに、と思わせる番組ばかりである。

櫻井翔氏がニュース番組やスポーツの国際大会などのMCをやるのも同じ構図である。

ここまでしてジャニタレを最優遇し、持ち上げ続けるテレビ局が、私にはとても気持ち悪く感じられる。テレビ局は、ジャニー喜多川氏や中居氏の犯罪行為が公になった際、自社で自社を調査し結果を公表するという意味のない茶番劇を演じ、世間を欺いて逃げ切った。自社の根本的な大改革のチャンスを自ら失った。これほど大きなチャンスも生かせないなら、今後テレビ局が根底から生まれ変わることは無理である。

国民生活に最も影響を及ぼす政治家とテレビ局のツートップが、日本では最も不誠実で悪質で無責任な存在であることに、むなしさを覚えるのである。

伊東市の田久保真紀市長は、これまで百条委員会への出席を避け続けてきたが、本日になってようやく姿を見せた。
しかし、その発言や態度は依然として幼稚さが目立つもので、見ていて伊東市民が気の毒に思える。
もっとも、この市長を目利きして選んだのは、他ならぬ市民自身であることも、忘れてはならない。

卓球は試合時間が短く、ラリーやセットの合間に小休止が多いため、軽い体調不良や怪我なら特別な中断を設けなくても対処できる。メディカルタイムアウトは、選手の保護よりも「戦術的休憩」として利用される恐れがあり、試合の流れを不自然に止めてしまう。

数分間の中断は相手の集中を大きく削ぎ、競技の公平性を損なう要因となる。体調や怪我も含め、肉体の状態は試合結果の大きな要因であり、本当に続行できないほどの状態なら相手を待たせて調子を狂わせるのではなく、棄権するのが筋である。

観客にとっても突然の長い待ち時間は緊張感を途切れさせ、観戦の楽しさを減らす。卓球界はメディカルタイムアウトを廃止し、試合の公正さを守るべきであろう。

張本美和選手と世界一の王楚欽選手が負けたのは実力のせいでないことは皆がわかっている。二人とも納得がいかないだろうし怒りもあるだろう。一刻も早いルール改正が待たれる。

長崎平和祈念式典が行われた。外国人も多数参列していた。各国の大使館関係者なのであろう。

それぞれが様々な政治的思惑をもって参列していると思われる。ミサイルで一般市民を多く殺してきたロシアやサポート国家のベラルーシ、そしてイスラエルも平和式典に出席した。

平和祈念式典が、悪意ある国々に政治利用されないことを願いたい。そのような場ではないし、そのよう場にしてはいけない

「米国とロシアがウクライナ停戦協定の締結を目指して進めている交渉では、ロシアが軍事侵攻によって占領した領土の支配を確定する形となる見通しだと、事情に詳しい複数の関係者が明らかにした」(ブルームバーグ配信記事から引用)

ロシアは、トランプ氏が脅しをかけても自分の思ったようにならないから、圧力をかける矛先をウクライナに変更したのだろう。

もし中国が日本に攻めてきたら、最後は日本もこうなるか、あるいは日本の国土が米中の主戦場となって消えるかのどちらかになるのだろう。

日本は、信用し合える国を作りその輪を広げ、欲を出さずにその中で交流や経済活動を行うのが適切のように思う。アメリカや中国頼みで、貿易によって金を稼いでも、最後は金だけではなく国土も人命もすべて奪われかねない。将来、アメリカ、中国、ロシアの三国だけの話し合いで、日本の領土を分け合うことになる確率は、そう低くないと私は見ている。

日本は、他国を性善説で見ないほうがよい。「外交は武器を持たない戦争である」という言葉を忘れてはいけない。トランプ氏やプーチン氏、習近平氏は、相手のことなど考えずに自国の利益のためだけに動くが、それが国のトップとしては理想的な在り方なのかもしれない。

トランプ大統領は、日本による米国への「5500億ドルの投資」について、「契約ボーナス」や「我々の資金」と述べ、資金の所有権や使途は米側にあると主張した。これは日本政府の説明する「自主的な投資」とは大きく食い違う。まるで、日本が好条件を得る代償として資金提供を強いられたかのような物言いだ。広島に原爆を落とした前日によく言えるものだ。そんなことを言っていないで、加害者は広島に来て平和祈念式典に出席するべきだろう。彼は金のことしか頭になく、そのような重要な日であることなど頭の片隅にも無いのかもしれない。

話しを戻そう。問題は、こうした発言に示されるトランプ氏の姿勢である。自国の利益のためなら、相手国の事情や尊厳を顧みない。要求は果てしなく、日本経済が立ち行かなくなるまで続くのではないか。

かつては武力で日本を破壊し、今度は80回目の「原爆の日」を前に経済を通じて日本を壊滅させようとする。米国の行為は、その影響の深刻さにおいて、ロシアや中国の比ではない。骨の髄までしゃぶられて捨てられる前に、私たちは日米関係を冷静に見直す必要がある。

連日続く記録的な猛暑の中、今年も夏の甲子園が開幕した。高校球児たちが白球を追いかける姿は、私たちに感動と勇気を与えてくれる。しかし、その感動の裏で、選手や観客が命の危険に晒されている現実から、目を背けてはならない。

「なぜ、猛暑の夏に開催するのか」という問いに対し、大会関係者は「伝統」「慣習」「学事日程との兼ね合い」といった理由を挙げるのだろう。しかし、気温が40度近くに達する異常気象の現代において、これらの理由が命の危険を上回る正当性を持つとは到底考えられない。確かに、開催時期の変更には、プロ野球との球場調整や放映権の問題など、複雑な利害関係が絡み合う。だが、これらはあくまで「調整」の問題であり、「命」に優先されるべきものではない。

この現状は、「命の危険は対策で回避できる」という甘い認識と、「昭和の精神論」に囚われた意思決定層の価値観が根底にあると指摘せざるを得ない。クーリングタイムの導入や試合時間の調整といった対策はあくまで対症療法であり、抜本的な解決にはなっていない。選手たちは苦痛に耐え、観客は熱中症のリスクを冒しながら、その「伝統」を消費しているに過ぎない。

この状況を打開するために必要なのは、「首相の鶴の一声」という政治的なリーダーシップだ。GIGAスクール構想の例が示すように、政府が本気になれば社会は一気に動く。今、必要なのは、悲惨な事故が起きてから動くことではない。今日も40度越えで、ニュースではできるだけ外出は避けるよう呼び掛けているが、悲劇が今日でないことを祈るばかりだ。首相や文部科学大臣は、「命に勝る理由はない」という当たり前の原則に基づき、甲子園の開催時期変更を英断すべきであろう。

夏の甲子園を、真の感動の場として未来に残すために、私たちは今すぐ行動を起こさなければならない(首相が命令を下すようにするための行動)。選手たちの安全を最優先し、春や秋の涼しい気候で最高のパフォーマンスを発揮できる「新生・甲子園」の実現こそ、令和の時代にふさわしい改革である。

トランプ大統領との関税交渉で、正式な合意文書が交わされていなかったことが判明した。これは将来、米国側が一方的に関税を引き上げたり、新たな要求を突きつける布石となりかねない。大国が、経済や軍事で他国を脅す姿勢が常態化しつつあるいま、国際社会には、力ではなく誠実な協力による秩序の枠組みが求められている。

TPP11(環太平洋パートナーシップ協定)は、まさにその対抗軸となりうる。各国がルールを厳守し、自国ファーストではなく互いに助け合いながら経済を発展させていくこの協定は、平和的な地球の未来を築く土台となる可能性を秘めている。ただし、その拡大は慎重に進めねばならない。数を増やすことが目的ではない。不誠実な国や、相手が弱ったと見るや手のひらを返すような国家を招き入れてはならない。おかしな国やそれを改める気のない国を参加させては、今の世界の状態と同じくなってしまう。

また、TPPは日韓関係のような表面的・部分的な協力では機能しない。ひとたび摩擦が起これば、急に攻撃的な姿勢をとるようでは、信頼は成り立たない。協定に参加する以上、作られた歴史やレーダー照射などの様々な嘘を放棄し、世界中での日本を貶める活動をやめるなど、親友のような信頼関係を築かなければ意味がない。共に支え合う意志と倫理がなければ、この枠組みは脆く崩れてしまう。

日本は唯一の被爆国として平和の重要性を誰よりも知っている。また、日本は思いやりや協力の気持ちが非常に強い。道徳的信頼を伴った経済連携の中心に立つのは(交渉しまとめ上げていくのは)、日本をおいて他にない。ブラジル、インド、南アフリカ、トルコなど市場の大きな新興国との交渉も、日本は誠実にじっくり取り組んでもらいたい。日本は相変わらず派閥抗争に明け暮れ、首相がころころ変わるので、政権の変動に左右されない、TPP専門庁の設置が不可欠だ。ここが中心となって、EUとの連携も含め粘り強く交渉を重ねる体制が求められる。

大国による経済制裁や軍事侵攻が日常化する今、経済連携を通じて秩序と正義を再構築することこそ、最も現実的な平和への道である。TPP11を起点に、日本がリーダーシップを取り、世界を分断ではなく連帯へと導く使命を果たす時であろう。

東京地検が萩生田議員の秘書を略式起訴する方針とのニュースが流れた。果たして秘書は自分の判断で犯罪まがいの行為に及んだのか、それとも議員の意向を受けて動いたのか。

こうした事件では、いつも秘書が表に出され、議員本人は責任を免れる。秘書が独断で重要な決定をするとは考えにくい。裏で「罪をかぶれば特別報酬や将来の就職を保証する」といった密約が交わされている可能性すらある。他人のために犯罪者になるのだから、それなりのものは与えられるだろう。

政治家は保身に長け、泥は秘書に押しつける。結局、罪を問われるのは使い捨ての駒だけだ。