韓国の大統領に対する弾劾訴追案が、賛成多数で可決された。市民は、「国民の力、民主主義が勝った」、「民主主義がわからない大統領はやめろ」などと話している。
「民主主義・・・」。非常に怪しくて危険なワードである。「憲法」や「表現の自由」などといった言葉のように、無条件で正当化させる黄門様の印籠のようなものだ。最高法規の憲法で決まっているから正しい(行為が認められる)という主張を耳にすることがあるが、例えばロシアでは誰がどのようにして憲法を決めているだろうか。表現の自由の名のもとに何をやってもよいのだろうか。ふざけた話である。
「民主主義」とは、わかりやすく言えば、多数の意見で決定していくやり方なのであろうが、その多数が仮に情報戦略によって嘘の情報のみを伝えられていたり、洗脳されていたり、悪意のある者から煽られたり、あるいは極論だがみなが催眠術にかけられたりしていた場合、その多数が示す意思に何の正当性も適切性もないことは明らかである。
市民一人一人の状態(与えられた情報)がどのようなものであれ、多くの人々が示した意思は「民主主義の結果だから正しくて決まった通りにやっていくのがベスト」と、前提条件が不適切であっても、結果は適切だとなる。馬鹿げているだろう。
今の韓国国民は、「民主主義、民主主義」と口々に叫び、弾劾訴追案が可決されると「自分たちが勝った」とゲームに勝ったように喜んでいる。今回の大統領反対の世論形成には、K-POPの力も大きかったという(国民による客観的な政治判断を麻痺させた)。そもそも、韓国国民は多様な情報を得て総合的に判断してはいない(一部の偏った情報や世論の流れを見ての判断)。内容はさほど関係なく、周りと同じ主張を叫び、その叫びが勝てばうれしいのだろう。いつものルーチン通りである。
大統領の論理や職務の行動は、私は正しくて適切で、違法性もないと認識している。野党を中心にユーチューバーやお調子者たちがレッテル張りをして、韓国国民をあおっているだけのように感じられた。
日中関係改善に向けての行動もそうであるが、以前から今の大統領は韓国人らしくないように見える。事実も法律も関係なしに感情論を泣き叫ぶのではなく、事実と法と論理とグローバルスタンダードに乗っ取り、厳正に職務を遂行していく。まさに元検事総長である。このような人が大統領や首相にふさわしいと思うのだが、それ以外の議員が問題である。これは日本にも言えることであろう。国会も民主主義が尊重されているが(議席数で全てが決まる)、やはりその正当性や適切性を主張するには、前提(議員の質、目的等)が適切でなけれがいけない。しかし、現実はそうなっていないのである。
韓国でも日本でも、今の「民主主義」は不適切であったり不正を生み出したりしている。「民主主義」の正当性を主張するためには、主権者に与える情報の質や量を整え(一つの事実や正論のみの伝達も総合的・客観的事実とは異なる結果となり、「国民騙し」となる)、SNSや街頭演説、街での集会の中心人物の叫び、テレビ局、政治家から発信された情報のファクトチェックを行い、過度な煽りや意図的な洗脳行為を取り締まる、ということがなければいけない。