もう10年になるのか...と思った「クリスマスの約束2013」
この時、拓郎さんが登場しました。今でこそ拓郎さんと小田さんの交友関係に違和感などないほどに世間一般的になっていますが、小田さんが拓郎さんの名前を呼んで登場を促した瞬間、身震いしました。共演(競演)(驚縁)にワクワクしっぱなしでした。
小田さんが好んで「人生を語らず」を歌うのにも相当な驚きがありました。
拓郎さんは「Yes-No」について♪君を抱いていいの なんて「そんなことを男に言わせるのか!?」(要旨)と驚きとも感嘆ともあきれ返るとも「ボクにはぜったい書けないね」と、憧れるようなコメントをしています。(要旨)
遡ること1985年6月15日の一大イヴェント
ALL TOGETHER NOW@国立競技場
拓郎さんとオフコースのセッションでした。この当時の両者が同じステージに立ち歌い演奏するというのは「夢」という言葉では甘々しいほどの衝撃でした、僕には。
拓郎さんの「お前が欲しいだけ」の「だきしめてーーー」「からませてーーー」を小田さんが野野性的に声を突き刺したのは、オフコースでは決して聞けない歌唱だったと思います。
続いた「Yes-No」では拓郎さんがコーラスにボーカルまでとるパートがあります。これまた当時としては、拓郎さんがオフコースを!? Yes-Noを!?!? という驚愕でした(笑)
凄いですねYouTubeにこの時の映像があります
※YouTubeで「お前が欲しいだけ」を検索してください
拓郎さん&オフコース
「お前が欲しいだけ」
参考
ちなみに
陽水さん、矢沢永吉、甲斐バンド、松山千春、長渕剛、みゆきさん(中島みゆき)、浜田省吾、チャゲ&飛鳥は、この日のステージに立っていません。が、サザンに佐野元春、ユーミン、小田さん、財津さん(つまり「今だから」歌唱 そのバックは坂本龍一、高橋幸宏、高中正義、後藤次利)、THE ALFFE、こうせつさん、さださん、イルカ、山下久美子、白井貴子、そして鉄矢さん、チェッカーズ などなどが一堂に会していました。サディスティック・ミカ・バンドにはっぴいえんどが再結成もされました。
ちなみに、松山千春は声はかかっていたようです。加藤和彦氏が「拓郎が生意気なのは許せるが千春が生意気なのは許せない!」とご立腹していたようです(笑)(これが原因で参加しなかったというわけではないと思いますが)。
また矢沢永吉は「いい企画だね。成功を祈ってるよ」(要旨)と参加を辞退したそうです( 1993年 ぴあBOOK 『拓郎ヒストリー』より) 陽水さんは「みんなとやるのは照れ臭い」←その翌日になんと陽水さんは財津さんと一日いっしょにいたようです(Wikipedia)
この日。
オフコースと拓郎さんがステージ上で邂逅したのがきっと契機となって、オフコースのラストアルバム『Still a long way to go』の「逢いたい」の作詞は拓郎さんです。作曲と歌唱は清水さん。
オフコース解散後、松尾さんと清水さんは、拓郎さんのツアー(1990年/1991年)やレコーディングに招聘されました。
そんなこの年(1985年)
「生涯最良の日にしたい」「拓郎健在なんて言われたらだめだ。拓郎は終わったと言われなければ」と意味深な言葉を発しつつ、オールナイト・コンサート『ONE LAST NIGHT IN つま恋』に拓郎さんは挑みました。
THE ALFEE, 浜田省吾, かぐや姫, 鉄矢さん, 高中正義, などなど多数のゲスト・ミュージシャンがかけつけました。
ちなみに。
この日の鉄矢さん。
「チューリップは『いかないで』と歌い、オフコースは『あなたは去ってしまう』と歌いました。そして吉田拓郎は『ええかげんな奴じゃけ、ほっといてくれんさい』と歌いました」(概要)の紹介から、自身主演の映画『刑事物語』に拓郎さんが書き下ろした「唇をかみしめて」を披露しました。
※チューリップにもオフコースにもそれに該当する歌があるわけではありません。ひとつ言えるのは鉄矢さんにとって「時代の中に自身の位置を確立した大きな存在」として捉えられていたということだと思います。(70年代に青年期だった福岡の人にとっての財津和夫の存在感は、世間一般の理解の具合と大きく異なっているように思います)
「唇をかみしめて」といえば...
本家をも刺激する見事な歌いっぷりだと僕は思う
奥田民生ヴァージョン
カヴァーというのは“こうあるべきだ”と
深くつくづく思う出色
シングル「スカイ・ウォーカー」カップリング
(2004年)
拓郎さんをして「おもしろいね、新曲かと思った」と言わしめています。
高校の数が限られる広島県とはいえ(ごめんなさい)この二人は同じ高校です。
拓郎さんの1985年はアルバム『俺が愛した馬鹿』の年。1曲目は「抱きたい」でした。アルバムのラストに拓郎さんが選んだのはかつて自身がプロデュースした川村ゆうこのデビュー曲(1976年)「風になりたい」でした。※「風になりたい」だけで検索をかけても別の歌がまずヒットします(笑)
交流の接点を見出せない聖子さん(沢田聖子さわだしょうこ)が1995年のアルバム『Folk Songs』でカヴァーしています。世間一般の認知度は高くないと思うのですが知る人ぞ知るいい曲です。拓郎さんも、自身の好きな楽曲の最上位にあげていたことがあります。
アルバム『俺が愛した馬鹿』は、「抱きたい」や「夏が見えれば」「LAST KISS NIGHT」を除くと、拓郎さん独特の気難しさや当時の苛立ちを垣間見ようと思えばそう読み取れる、正確に理解するのがなかなか難しい歌詞が展開されています。
ところがでも「風になりたい」は全くそうではなりません。
不純物が取り除かれています。
心のなかの澱が浄化されています。
悲しむことより 想い出づくりに
私は今でも 時を送りたい
通り過ぎる あなたが風なら
わたしも今すぐ 風になりたい
毎日毎日暑い日が続いてかれこれもう1か月
いつか絵葉書で 見た街まで
思い出話を つくりにでかけよう
明日きっと 天気だね
作詞・作曲・Drums・歌唱:伊藤かおる
見上げたら
目の覚めるような色鮮やかな青空
時間があるなら出かけたいと思うも
とにかく暑い....滴り落ちる汗
それもよし、と思おうにも
息苦しく頭痛の予感
↓「1,2,3,4っ!」↑ 薫さんです↓
2222年 空がまだ青いなら
君とふたりピクニック
サンドウィッチとコーヒー
We can fly to the sky
(「2222年ピクニック」 1982年)
TULIPは1982年夏
よみうりランドを借りて貸し切って駆けつけ集った祝ったファンに1000回目のLIVE@TULIP LANDを開催しました。第2部のオープニングとこの日のラストを飾ったのが、50周年ツアーのアンコール1曲目で唄われ大盛り上がりの「2222年ピクニック」です。←10月から再開するツアーでも果たして引き続き歌ってくれるでしょうか?歌ってね(祈)
TULIPがよみうりランドでピクニックを行った年
拓郎さんは日本武道館でハイキングでした。
「王様達のハイキング」51分過ぎから
この日のメイクや衣装を拓郎さんは近年笑いながら述懐しました(笑)
問題「ハイキングとピクニックの違いとは?」
(ヒント:行く場所が仮に同じでも違いがあります)
とにかく何処かへ出かけたい。
春先の歌ですが...
失恋したわけでは全くありませんが←大事
↓
恋をひとつなくした日は
汽車に揺られて
少し遠い街まで 出かけるの
れんげのはな
風に揺れる 川辺えらんで
草の上にそっと腰をおろせば
真昼の白い月時計
止まったふりをする
(略)
川の流れの その早さ
海に出る日はいつ
きらわれたわけじゃない
とくりかえしつぶやいて
こころにささってる
トゲひとつずつ抜きながら
誰かにやさしくしたくなる日が
また来るかな
むちゃくちゃ好きな歌
「Teftef Song」渡辺美奈代
作詞:覚和歌子
作曲: 鈴木慶一,渚十吾
渡辺と言えば..美里、恒雄、正行、真知子、そして満里奈なんでしょうが,,,渡辺美奈代の後期2作のアルバムは天下の鈴木慶一氏すなわちムーンライダーズを作家陣に迎えています。
そういえば...思い出しました。
拓郎さんの1998年のアルバム『Hawaiian Rhapsody』
5曲目「例えば犬の気持ちで」
これは鈴木慶一氏作詞作曲でした✌
人の繋がりは面白いし嬉しくなります。
近々、武蔵野線三郷駅に行く予定が出来ました。天気に恵まれたなら、川辺に立ち寄り土手に腰を下ろし、物思いにふけりたいものです。
やや思い出の場所なのです。
↑追記↓
↑思い出には触れていませんが三郷へ行った日↓
ああ、そいえば今日のタイトルは....
結びはやっぱりこれしかないです。
書きたかったのは
「無性にどこかへ行きたい!」
「けど暑い」
毎日まいにち暑くとも
カレンダー上の数字の進みでなはく
今年の夏が過ぎてゆく実感がある
今日この頃です。
ここまでありがとうございました。