こんにちは。
心と食の地図帳
自然の直観力で
奇跡が“勝手に”やってくる
リライトイメージングメソッド
溝上 寿子(みぞかみ ひさこ)です。
なぜ私がこの仕事をしているのか?
数回シリーズで書いています。
かつての人生はどんなものだったか
なぜ今の仕事(マクロビオティック・シータヒーリング・アクセス・バーズ)に出逢ったのか
それによってどう変わったか
ご参考になれば幸いです。
これまでの記事
両親を助けたくて生まれてきた―なぜ私がこの仕事をしているのか?①
母の不幸の責任を負い結婚も子を持つこともあきらめた―なぜ私がこの仕事をしているのか?②
母からの攻撃を体にしまい込むようになった―なぜ私がこの仕事をしているのか?③
母を刺激しないため自分の人生を放棄―なぜ私がこの仕事をしているのか?④
感情を閉じ母との戦いを避け家庭を生き延びた―なぜ私がこの仕事をしているのか?⑤
親元を離れても心に巣食う母親の監視―なぜ私がこの仕事をしているのか?⑥
「養ってもらう=服従」という母の影響―なぜ私がこの仕事をしているのか?⑦
母の“はけ口”になることは消耗だった―なぜ私がこの仕事をしているのか?⑧
今日は
私のような生き方が
パートナーのDVを招いた話です。
折しもパートナーのDVが始まりました。
最もショックだったのは
殴られたことではありませんでした。
DVの最初に気づけなかったこと。
何事も初回というものがあるはずですが
これは暴力だ!と気づいた時には
もう、数回目になっていました。
あ。私は
痛めつけられることに
慣れ過ぎている。
母の体罰。
姉も
私に対する嫉妬を幼いころから
力いっぱいぶつけてきました。
姉がいくら私を叩いて蹴っても
母は無視。
父はとにかく多忙・不在。
父に訴えて何とかしてもらうほどの
人間関係は築けていませんでした。
私には絶望的な環境でした。
誰も助けてくれない。
困った。
私は小さいし弱い。気をつけないと怪我をする。
とにかく
黙って耐えて
自分を守ることに専念しました。
痛みセンサーも鈍くして。
涙は、出るけど
なるべく出さないようにして。
いかに平静を保って
自分の中の平和を守るか。
いかに感情を隠して
相手を刺激しないか
訓練していきました。
だから成人するころには
ちょっとやそっとの痛みには
耐えられる人間になっていました。
直観的に思いました。
影のある人を選び
私が救おうとし
自分を後回しにし
ネガティブを引き受けようとする
そして実際殴られる
私と母の関係 そっくりそのまま
であることに
気づいてしまったのです。
幸い
パートナーと離れる決心ができ
なんとか安全にやり抜きました。
そして本気で
母親との関係を掘り下げないと。
そう思いました。
あなたは子どものころ誰から
どんな暴力を受けてきましたか?
どんな生き抜き方を
身につけましたか?
それが現在の人間関係を
辛いものにしているとしたら?
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