磯風漕友会の海外遠征はここから・・・
2006年の初夏・・・・。
前年度の関空大会で優勝した磯風は副賞としてマレーシアはボルネオのサバ州で毎年開催されている
21th SABAH DRAGON BOAT RACEに参加させてもらえた。
磯風にとっては初の海外遠征でもあった。
当時の磯風は、前年度(2005年)に日本選手権で準優勝して、ある意味で、喜んでいた時期でもある。
この事が3年連続で苦渋を舐めた要因となるのだが・・・。
しかし、このボルネオの大会は磯風にとっては、思い出深い大会ともなった。
更に、いろんな意味で「井の中の蛙」だった事を改めて痛感する大会でもあった。
この大会に日本のドラゴンボートチームが参加するのは初めてで、地元メディアも新聞などで取り上げてくれた。
大会へは当時「世界一」と云われていた「中国 順徳チーム」が参戦していた。
向って左隣の赤いユニホームが当時の順徳メンバー
その順徳と練習で並べて艇を走らせた事は今でも鮮明に覚えている。
統率された漕法と静かな威圧感は凄かった。
本当に「スーっと」私たちを抜き去って行った・・・。
実はそれ以前にこの大会は独特な雰囲気とルールがあったのだ!
まずはパドルである!(今でも大切に保管している)
それがこれである!!
ブレードもシャフトも異常に太い!!!!
2006年は既にカーボンパドルが出回り、このパドルは衝撃的だった。
更に、このパドルしか使ってはいけないルールだった。
このグリップが、やたらと太い!そして、メチャクチャ全体の重量が重い!!
あり得ないと思った!!
既にカーボン・パドル全盛の時代に・・・。
しかし、実際に大会が進行するにつれて何か・・・。どこか・・・。
磯風の地元の「ペーロン祭」に似た「地元の祭」の空気を感じ始めた・・・。
恐らく色んな村の代表が集っている事を肌で感じた。
その中に国際レースのカテゴリーを設けていた。
しかし、そんな国際レースなんてそっちのけでこの国内の大会のモチベーション
がこれまたかなり「熱い」のだ。
上の写真では分かりにくいかもしれませんが、ビーチは人・・人・・人・・大観衆でした!!!
実際にレース中に太鼓手が興奮のあまりに失神する光景を目のあたりにした。
かなり「熱い」
まさに地元の名誉をかけて戦っている・・・。
たかだかボルネオのローカルな国際大会何て馬鹿にできない。
素晴らしい盛り上がりだった!!!
もう一度行きたい国際大会の第一位がこの大会である。
それほどに心に残る大会だった。
やはり、視野を広めるという事はとても大切ですね。
以下にも写真を添付しておきます。
実は、私の不手際で、乗艇できないメンバー(現CAP)もいて、スッタモンダと色々とあり、太鼓は何と後にも先にも左端の上段に移っているアキラがつとめるという今では考えられないサプライズな事もありました。
環境もボルネオは本当に最高でした。
海も凄く綺麗でした!!
直ぐそこに熱帯魚状態でした。
2011 謹賀新年
2011年が明けました。 おめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
昨年末で閉じる予定だった、このブログですが、協会から閉鎖のご沙汰があるまでは
広い意味での「ドラゴン交流の場」として書き込みにしていきます。
しかし、ついこの間までは私は「磯風漕友会」や「SUPER DOLPHIN」さえ勝ってくれたら良い!!何て身勝手な事が最優先されていた気がします。
それがいつの間にか「チャンスがあれば、この経験を他の人にも・・・」
この感情が自然に沸いてきたのはやはり
「経験」です。
今回のアジア大会の「経験」は競技としての「経験」以上に
こんなに沢山の人達に支えられて自分達が存在している事を痛感しました。
寄せ書きの日の丸を強く握りしめていた時に感じました。
この貴重な「経験」は私の宝物となりました。
形のある宝物ではありませんが、これこそが「宝」だと思っています。
そんな宝物を皆さんと共に「楽しいんだり」
難しい時こそ「支え合ったり」できたら良いな何て思っています。
何れにしても2011年という年がどんな年になるかは自分次第!!
自分という人間を見つめ直しながら着実に歩んで行きたいですね。
今回の写真はこれです。
この手作りの水槽も昨年は新聞にも度々取り上げられて喜んでくれたと思います。
皆さんも相生に来られた時は是非、気軽に覗いてください。
異次元の空間を体感できますよ!!!
広州アジア大会 報告書
[競技報告]
1 前回大会後の重点強化策
2008年の「第一回アジア・ビーチ・ゲーム大会(The First Asian Beach Games)」では、ミャンマーをはじめとする上位チームのピッチ漕法とピッチの速さにも拘わらず水をしっかりと捉える体力・技術の優れていることに敗因を認めざるをえなかった。このため、日本チームは、ピッチ漕法の習得とピッチを上げ、しかも水をしっかりと捉える総合的な体力の強化が大きな課題であった。
日本代表の選考にあたっては、こうした状況に対応できるチームの選択、強化練習を行えるチーム作りを念頭に取り組んだ。
2 選手選考の経過と本大会への強化策
2010年7月、日本国際ドラゴンボート選手権大会のオープンの部で優勝したチームに日本代表権を与える事とした。その結果、カヌー主体の国内強豪チームを破って、兵庫県相生市に拠点を置く「磯風漕友会」が日本代表として選出された。結成当初からドラゴンボートの歴史と共に歩んできた、生え抜きのチームがその栄誉を掴んだ瞬間でもあった。強化策としては「個人レベルの向上」を目的として一人乗りのアウトリガーカヌーを積極的に使用して、個々の漕力の底上げをはかった。更に、個々のトレーニングメニューを作成して身体機能のバランス養成も図った。また、全体練習の回数を増やす為に早朝5時からの海上練習を取り入れた。更に、選抜メンバーでフィリピンナショナルチームとの合同合宿をはり、漕力向上に努めた。
3 現地でのコンディショニング
11月13日には大会会場で試合艇による練習を始めた。早い内に競技で使用する艇を体感する事を優先させたので、艇と漕手のバランスを図る事が出来た。また、選手村から大会会場までの移動時間が1時間以上かかるという情報が入っていたので、早い時期から選手の体を朝方に調整する工夫をした。このため、10月からは早朝6時に起床して、本番を想定したトレーニングを実施してきたので大会期間中に体調を崩す選手も無く過ごせた。
4 試合経過と戦評
出場国は中国、インドネシア、ミャンマー、
タイ、台湾、イラン、韓国、香港、マカオ、シンガポール、日本の11カ国・地域であった。大会前の予想ではミャンマーを筆頭にインドネシア、中国の3強が抜きん出ていると云われていた。また、大半の国が軍人で構成されるか或いは国内で選抜された選手でチームを構成して出場していた。
♦1000M予選(2組目)
予選1組目で韓国が1位で抜け、中国が4位という番狂わせがあった。予選という事も鑑みての事とは思ったが、波乱の前兆を感じるには充分な結果であった。日本が出場する2組目には「世界一」の呼び声の高いインドネシア、国際大会での豊富な実績がある台湾、マカオ、全くの未知数のイランであった。スタート後の250Mはインドネシアが頭一つ抜け出す。そのあとを日本が2位通過、ほとんど差が無く、イランが追随していた。やや水を開けて台湾、マカオと続いた。350M付近で日本がイランに抜かれる。しかし、イランとの差はほとんどない。ラスト100Mでインドネシアが余裕のラストスパートをかけてきた。イランも同時にラストスパートをかける。日本もそれに追いつこうとするが差が広がる。逆に4位の台湾が日本に追いついてきた。最終的には台湾に追い上げられながらも日本は予選3位であった。予選各組2位までが決勝進出し、それ以下の国は敗者復活にまわった。
♦1000M敗者復活(1組のみ6カ国)
中国、台湾、タイ、シンガポール、マカオ、日本の6カ国で上位2カ国が決勝進出となる。やはり、中国がスタートから抜け出した。それを追うタイ、台湾の順で、日本はスタートで出遅れ4位で250Mを通過した。500M付近では順位は変わらないが日本は3位の台湾と更に差がひらく。結局、日本は4位であった。順位決定戦にまわる事が決定した。1000Mの最終順位は1位インドネシア、2位ミャンマー、3位韓国、4位中国、5位台湾、6位イラン、7位タイ、8位日本、9位シンガポール、10位マカオとなった。
♦500M予選(1組目)
中国、ミャンマー、タイ、韓国、台湾、日本の6カ国で上位2カ国が決勝に進む。
スタート250Mを日本は5位で通過した。中国とミャンマーが頭一つ抜け出し、タイと韓国、台湾、日本はほとんど差がなかった。
結局、ラストで日本は台湾に抜かれて6位で敗者復活にまわった。
♦500M敗者復活(1組目)
韓国、タイ、日本、シンガポールの4カ国で上位2カ国が決勝にまわる。
スタート250Mはタイが抜け出し、ほとんど差がなく韓国、日本が続き、最後尾にシンガポールであった。日本は最後までタイと韓国に粘り強くついて行った。しかし、敗者復活を3位で終わり、順位決定にまわった。500Mの最終順位は1位インドネシア、2位ミャンマー、3位中国、4位韓国、5位台湾、6位タイ、7位日本、8位イラン、9位マカオ、10位シンガポール、11位香港となった。日本は前日の8位から7位に順位を一つ上げた。
♦250M予選(1組目)
中国、台湾、イラン、マカオ、韓国、日本の6カ国であった。各組1位は自動的に決勝に進出し、更に予選各組2位の上位国の3カ国が決勝進出となる。やはりスタートダッシュは中国が抜け出す。2位に台湾が続き、日本はまずまずのスタートで3位通過、そのままゴールとなった。
♦250M敗者復活(1組目)
タイ、韓国、マカオ、日本の4カ国で決勝進出を競う。タイ、韓国、日本は実力が均衡しており、一瞬の気の緩みが結果を左右する。
スタートして100Mはタイと日本が競り合いながら通過した。ラスト50Mで韓国が追い上げてくる。どうにか日本も決勝進出に望みをつなぐ2位通過を果たした。敗復2組目の2位とのタイム差で決勝進出が決まる。予選のタイム的にはイランとの争いになると予想していた。2組目がスタートした。予想通りに台湾が一歩リードしている。イランが2位でゴールした。タイムが発表される。僅差の0.34秒差で日本がイランをタイムで上回り、今大会初のファイナリストへの進出が決定した。
♦250M決勝
インドネシア、ミャンマー、中国、タイ、台湾、日本の6カ国による決勝で大会最終日の最終レースである。目標にしていた決勝進出は初日の1000Mから一段一段、着実に階段を登って、この日を迎えた感があった。尋常ではない「アドレナリン流出」を選手皆が感じた。そして、かつてない「一体感」を感じた。更に程よい緊張感の中にある他国の研ぎ澄まされた集中力を肌で感じた。各国の高揚したモチベーションは会場全体を静寂の中に包み込んだ。スタートのコールが鳴ると同時に決勝の火蓋は切って落とされた。スタートは中国がややリードしていた。しかし、やはり、インドネシアが直ぐに抜き返した。更にミャンマーも抜き去る。インドネシアはそのスピードをラストで更に上げてきた。最終順位は1位インドネシア、2位ミャンマー、3位中国、4位タイ、5位台湾、6位日本、7位韓国、8位イラン、9位シンガポール、10位マカオ11位香港であった。
5 総評と反省
大会前の予想通りにインドネシアとミャンマーと中国の3強が際立っていた。そんな中で今回、最も驚かされたのは、まず韓国である。中国に勝って1000Mで銅メダルという結果は素晴らしいと思う。次に台湾とタイである。どちらもドラゴンボートの国際大会でも、よく参加している国であるが、中々上位には食い込めない状況にあった。しかし、今回は安定したタイムを常に叩き出していた。充分に上位3強を脅かす存在であった。どちらも軍人で構成されていたので、タイも台湾も国がテコ入れをした感はある。
最後に日本であるが、大会前の希望的な予想順位は6位前後と予想していた。しかし、かなり下位に甘んじてしまう恐れもあった。というのも、ドラゴンボート本家の中国は別にして上位成績を収めた国の大半が「軍人」で構成されていたからである。ほぼ「軍人」で構成されていたのはインドネシア、ミャンマー、タイ、台湾、イランの5カ国であった。ドラゴンボートが集団競技である以上は「全体練習」が速さの最も大きな鍵を握る事はどの国も周知の事である。「軍隊」という特色がその「全体練習」を容易にする事は言うまでもない。それほどに、どれだけ「全体練習」を積み上げて来たかに全てがかかっている。それでも日本は仕事に向かう前の早朝5時からの全体練習を取り入れて対応してきた。そういう意味では「軍隊レベル」の一角を崩して、日本が250mで決勝に進んだ事は称賛に値する。また、日本は集団としての「一体感」は他国には勝るとも劣っていなかったと考える。しかし、今後の課題として明確になった事は「個人レベルの向上」と「国内選抜制度の充実」と考える。中でも「国内選抜制度の充実」は協会全体で取り組むべき急務だと考える。個人レベルの高い集団が今回の日本代表のような「一体感」を備えれば充分にメダル圏内にあると考える。
※以下の写真が「世界と日本の差」です。この差をどう考えるか??
最後はこれで