磯風は強烈な「ナルシスト集団??」
多くのアクセス本当にありがとうございます。
たかだか、アジア競技会で日本代表になったぐらいで・・・。
と思われる方もいらっしゃると思います。
まさにその通りです!!
もともとは本当にたいした人間ではないので尚更です。
特に磯風は俗にいう「血の気の多い集団」です。
チーム内の「イザコザ」なんて日常茶飯事です。
男子チームなので、それなりの喧嘩もあります。
口喧嘩何て「普通」です。
全員が全員「協調性」が抜群に良いわけでもありません。
私を含めて「自分勝手な集団」でもあります。
ただ、「血の気も多い」が強烈な「個性派集団」である事にも違いありません。
更に更に!!云えば
超強烈な「ナルシスト集団」に成長しました。
この「ナルシスト集団」はとても大切なキーワードだと思っています。
ドラゴンボートがチームという集団で構成される以上は不可欠なキーワードだと考えています。
日本人はとかくこの「ナルシスト的」な部分を隠そうとします。
そして、自分のチーム内でも「僕何て・・・」とか「私何て・・・」とか自己否定的な言葉を発する事が多いと思います。
「能ある鷹 爪を隠す」の意味を履き違えている気がします。
ナルシスト的な人間というのは
「自分という人間が好きで、自分という人間に誇りを持つ」
この考えが「ナルシスト」の入口です。
この思いが個々に浸透して時間をかけて構築していけば
自然に共に歩む仲間にも「誇り」を持つ人間に変貌していくと考えています。
仲間に「誇り」を持てば本気でブツかるのは至極当たり前だと思います。
「イザこざ」や「仲間割れ」と呼ばれるような事は、恐らく誰もが嫌う事だと思います。
しかし、常に「イザこざ」や「仲間割れ」を回避するような行動がもしかすると・・・・。
かと言って私も常に「イザこざ」を歓迎しているわけではありません。
でも必要な時も沢山あると思っています。
それは「諦めていない証」だと思っています。
自分に対しても!!
チームに対しても!!
諦めていないからこそ衝突があると考えています。
「ナルシスト度」が上昇すればするほど
自分という人間と向き合わなければなりません。
これは決して楽しい事はありません。
しかし、本気の「イザこざ」や「仲間割れ」はやはり必要だと思います。
現存する磯風メンバーは、その過程を何度も何度も乗り越えて最後まで
「逃げない」でここまで来たメンバーが大半です。
2011年の幕開けも、もう直ぐそこです。
磯風も「誇れる仲間」とそろそろ・・・・。
恐いな今年の磯風も・・・。
「ナルシスト度」高いかもしれませんよ・・・・。
もう直ぐ2月が・・・
もう直ぐ2月が訪れます。月日の流れは本当に早いですよね。
この寒い時期にドラゴンのレースは無いので、恐らく各チームの皆さんはもっぱら「トレーニング」に勤しんでおられると思います。
或いは「冬眠」「充電」してらっしゃるチームもあると思います。
この冬の「トレーニング」は私の経験上、とても難しい時期です。
ただ単に
「走る」 「動く」 「集う」という感覚だけでは中々「成果」は難しいと感じています。
その年の冬にしかできない「切り札」が必ず必要だと思っています。
この「切り札」が翌年のシーズンインでの結果の大きな鍵を握るといっても過言ではありません。
では「切り札」は何を成すべきか???
冬にしかできない・・・・。
これなんですよね・・・・。
春・夏ではできない・・・・。
しかし「寒い」という感覚と「試合がない」という感覚はどうしても様々な五感を鈍らせます。
記憶の中に「今年の冬はがんばる」と決めた自分はいます。
或いはチームで決めます。
しかし、その時間と共にその気持ちは薄らいで大半の人が行動に移せないで冬眠します。
更に単に「集う」ことは慣れ合いを生む可能性もあって、これまた難しいんですよんよね。
「集っている」この事に埋没してしまうと・・・・。
数年前までの磯風はその繰り返しでした。
わかっていてもできない!!人間らしいのですが
「勝負」に限っては致命傷になります・・・。
そして、最終的に「この仲間だから出来る」或いは「出来た」という感覚が必要だと思います。
「勝つ術を知る」
これはもの凄い財産になります。
誰もが想像できないこと・・・・。
誰もが「本当に??」と思うこと・・・・。
2011年の夏を迎えた時に、その答えが出るはずです。
磯風を脅かすチームが必ず!!!
2011年は必ず!!!
ある番組で・・・
先日、プロ野球元オリックスの清原が、あるテレビ番組でこんな事を言っていた。
「現役の時にあった、ドン底の時に感じていた苦しさよりも、引退してこの2年が一番
辛い・・・。目標がないというか、達成感がないというか・・・」あれだけの功績を残した
人間でも様々な苦脳を抱えている。
冷静に考えれば当たり前でもあるが、彼はそれを公然と述べている事に何かが垣
間見える気がする。
その番組はドキュメンタリーで清原が卒業した大阪のPL学園を確か20年ぶりぐら
いに訪れるという設定であった。
そして、そこにはかつての野球仲間がいるという具合だ。その再会を機に清原も何
か一つのきっかけを掴んだというような終わり方だった。
彼の本当の気持ちは計り知れないが・・・。私なりの勝手な憶測だと、やはり「空虚
感」だと思う・・・。
それは「目標」や「目的」が非常に高いレベルにあって、通常なら中々到達できない
であろう状況を打破して「目標」や「目的」を掴んだからこそある「空虚感」だと思う。
しかし、私はこの「空虚感」こそが、人間にとってとても大切な心のあり様だと思う。
彼は、その「空虚感」を感じたからこそ、自然に、それまで出会ってきた「人」に会いたいと感じたんじゃないんだろうか?
或いは、自分の原点で出会った人達に感謝したいと思ったんじゃないんだろうか?
彼が単に現役を終えた「達成感」に埋没するような一人よがりの人間だったら「空虚
感」は湧かないんじゃないかと思う・・・。
私達の想像を絶する困難を乗り越えたからこそ、良い意味での「空虚感」だと思う。
更に言えば、何かを達成した後に、この「空虚感」がない方が、どうか??と思う。
無いという事は、たいした壁を乗り越えていなかった事にも直結するように思う。
以前の私なら、清原の放送を見ても、ただ呆然と見ていただろう・・・。
今回は、生意気だが、彼の「空虚感」が共感できた気がした。
それは「強い志」を持って尋常ではない状況を乗り越えてきた者にだけ与えられるモノだからだと思う。
新たな「共感」は人間の幅を広げると云われる。
今回、私もメディアを介して「ドラゴンボート」という競技について「誰しもが手軽にできる集団スポーツ」だと表現してきた。
この「誰しも」を更に詳しく言えば「強い志がある者もたいして何も無い者」もだと思っている。
たまたま磯風漕友会は「強い志」のチームに傾いていったチームなだけである。
どちらに傾いても意義が必ずあると思う。
「手軽に無理なくやる」ドラゴンボートであっても良いし「強い志」を持ってやるドラゴンボートであっても良いと思う。
今回は磯風なりに「強い志」を持って突き進んだ過程を、このブログで紹介させてもらえたように思います。
一度しかない人生、自分の人生にどんな「足跡」を残して行くのか?
どうせなら、でっかい花火を上げれるチャンスはしっかりと掴むべきだと思う。
しかし!!!
そのチャンスは、待っていて当たり前のように訪れるものではない!!
自らがそのチャンスに挑戦する、本当の意味での「勇気」と「根性」を持って、向かって行かなければ掴み取れない!!!!!
この考え方が全ての基本だと思う。
清原という人間の「人間臭さ」が垣間見えたので書き込みました。
私も常に人間臭く歩みたいですね。
失礼しました。