ひより -11ページ目

愛と言う言葉の軽薄さ


愛いついて語ることほど不毛なことはない、と以前から言ってきましたが、それにしても巷では、「愛」に飢えているのか、「愛」という言葉が飛び交っているように思います。



「愛と平和」だかなんだか知りませんが、一人の人間が一人の人間を幸せにすることさえ難しいにも関わらず、そんな大それたことが人間にできるわけもありません。



また、ミクロ的にも愛を口走る人間ほど、実は愛など何もわかっていないのではないか、そんな風にも思います。



テレビなどでは「女性は常に愛しているという言葉を欲している」みたいな論調もよく聞きますが、愛ほど言葉にできないものはない、と私は感じています。



もちろん、私も過去には、そういった言葉を発したこともありました。



しかし、それを発したあとの、何とも言い表しようのない虚無感というか、無力感というものを痛感したものです。



結局、愛とは言葉にできない態度ではないか、そんな風に思うわけです。



にも関わらず、「愛してるよ」と言ってもらいたい女に、それに答える男が大勢います。



本当の愛などわかりもせず、表面的に、また瞬間的に満たされればそれでいいとでも思っているのでしょうか?




言葉は確かに社会生活における根幹です。それなくして人間関係は構築できません。



しかしながら言葉には限界があります。その限界を理解してこそ、言葉に重みが出るのではないでしょうか。



言霊などは、そういった次元から生まれたものではないか、そう思うわけです。



にも関わらず、現代社会における言葉は極めて劣化し、アメリカ的な表面上のツールに成り下がっているように思います。




私の持論でもありますが、愛を言葉にする男に、ろくな男も居なければ、それで満たされる女もろくな女ではない、と思います。



もちろん、そこから本当の愛に気づく人もいるでしょうが、そうならずに大半の関係は長くは続かないでしょう。



愛と哀は語源が一緒であると、以前のブログでも話しましたが、別れの哀しみを理解できない愛など、本質的な愛ではない、と私は思うのです。



結局、愛おしいと想う気持ちは、最後は態度でしか表せない、そういうことだと思います。

選挙権なんかいらない?


前回の衆院選を終え、まともな保守政党無き状態での投票は正直、苦痛以外の何者でもありませんでした。



それでも、一有権者としての権利を行使すべく選挙に赴いたのですが、結果は、何も変わらず。



いや、そもそも何も変わらない選挙だったので、当たり前の結果だったのですが、、、



ただ、これほど虚しさを感じ、そして民主主義の限界を感じた選挙はありませんでした。



正直、もう選挙に行かなくていいか、そんな思いに駆られています。



そんな中、ラジオから聞こえてき、選挙権を18歳に引き下げるとのニュースに、私は唖然としました。



そもそも選挙権は権利です。権利には必ず義務が生じます



古くは徴兵制など、国家を守る義務だったのでしょうが、女性の参政権以降、それも曖昧になってきました。



それでも、女性は女性で子どもを生み育て、家庭を守るという義務があったように思えます。




しかし今はどうでしょうか?



男女平等がうたわれ、女性の社会進出が当然とされ、家族、家庭という大事なものを誰が守るのか、その義務と責任の所在すら曖昧になってしまいました。



そもそも、結婚とは、女が日々の生活と氏(男)を横で支えて、吉が糸で結ばれると書きます。




それこそが、我が国のあるべき家族観であり、また義務でもあったわけです。



そして、その義務を果たす事で、選挙権が与えられていたわけです。



にも関わらず現在は、ろくにその義務が果たされてはいません。この地点で、日本の民主主義はかなり危機的になりつつあると言えるでしょう。



そこにきての18歳選挙権です。



ちなみに18歳では、親の許可なく結婚はできません。タバコや酒ももちろんできません。



刑法上も少年法に守られます。当然、死刑はありません。



このようにまともに義務さえも果たせない18歳が、権利だけ得るほど矛盾した国家に、まともな民主主義など行えるわけもありません。



より民主主義が劣化すると考えるのが自然でしょう。



もちろん、彼らがまともな判断ができないとは言い切りません。



ある実験では、ほとんど一般有権者の投票行動と同じだったというデータがあるのも知っています。



しかし、そんなものは私が指摘するような本質を、まったくもって無視した、どうでもいいデータです。



問題なのは、このように、すでに民主主義が劣化した中で、さらにそれを助長させることと、そもそもの義務と権利のバランスが壊れる事にあるのです。




もちろん、メリットがまるでないとは言いません。人口構成上、若年層が参加することで老年層への過剰なサービスを抑制する効果が出る事もあるかもしれません。




しかし、だからといって、これを認めてしまえば、日本の民主主義はまさにオルテガやプラトンが指摘するように、最悪な決定手段と化してしまうでしょう。



このような憲法改正にも匹敵することを、安易に決められてはたまったものではないです。







ヤッホーブルーイングの月面画報(ペルジャンペールエール)


今宵はよなよなエールで有名なヤッホーブルーイングさんの月面画報(ペルジャンペールエール)






ペルジャンスタイルをうたってるだけに、白ビールのようなフルーティーさもしっかりありつつ、ペールエールらしさもしっかりある。


とてもバランスの良いビールで、ホワイトビールが苦手でも、また、ペールエール好きにも、まったく遜色がない。



缶ビールでここまでの完成度とは、さすが、ヤッホーさんと言った所だ。