こんにちは。
あまのみこと☘️です。
先日3/7に行われた一般社団法人リアン主催のオンライン講演会「何が少女を追い詰めたのか」に寄せて。
長くなってしまいました💦
時間のない方は太文字だけ目を通して下さい。
2023年にWHOと国連人権高等弁務官事務所 (OHCHR) が共同で発表した「メンタルヘルス、人権、立法 : ガイダンスと実践」にも明記してあるように、世界的にはインクルーシブ教育が推進されていますが、日本は世界に遅れをとっています。
日本はいまだに障害者を差別、隔離しているのです。
それどころか、海外では病気とも障害とも言われないような人を障害者としていて、グレーゾーンと言われる人たちの範囲もどんどん広がる一方です。
その人の能力の偏りや特性を発達障害としたり、その人の心の危機的状態を精神疾患と呼んだとしても、個や尊厳が失われる訳ではないのは当然ですが、もっと大事な根本的な問題があります。
発達障害や精神疾患と診断されなかった人の中にも、自身に苦悩や葛藤を抱えたり、他人や社会に困った影響を与えている人は沢山いる、ということです。
世の中には色んなタイプの人間がいることを知るのも、大切な学びである筈ですが、互いが歩み寄るチャンスを隔離教育によって奪われています。
待つことも、許すことも、時には他人に迷惑をかけること、かけられることですらも、かけがえのない大事な学びである筈です。
人間はスペクトラム(連続体)なのです。
グラデーション(段階的変化)になっている。
人間を「病気や障害であるか、そうではないか」のふたつに仕分けることなど、そもそも暴論でしかないのです。
発達障害を知ることは、子育て、教育がなんたるかを知ることであり、
精神疾患について考えることは、人生そのものについて深く考えることだと思います。
発達障害や精神疾患を理解するということは、すなわち「人間」の「振り幅」を理解することそのものであり、許し、受け入れていくことではないでしょうか。
それが本当の意味で全く出来ていないのは、現代の教育の怠慢であり、国や行政の怠慢であると思います。
そして今の教育、国や行政の怠慢に気が付かずに子育てをすることは、親の怠慢であり、全ての人間にとっての怠慢だと思います。
発達の特性は、最早、障害ではなく、
全ての人が持つ人間らしさの度合いです。
そこから切り離し「病気」「障害」「弱者」として啓蒙しようとするから、おかしなことになるのです。
教師やスクールカウンセラーは、「病気」や「障害」には専門的な診断とケアが必要だと言いますし、行政は世界的な基準であるインクルーシブ(包み込む、全てを含んでいる)とはの真逆のエクスクルーシブ(隔離的、排他的)な教育を推進し続けています。
日本は世界的な基準に追いつかないどころの問題ではなく、閉鎖的な現状に疑問すら抱くことなく、寧ろ、出来ればこのまま変わりたくはないのです。
旧態依然で国や行政、教育のシステムは日々老朽化しています。
細分化され、ベルトコンベアとなった医療。
それに従属する教育、福祉。
そこに組み込まれることによって専門家はプロとしての肌感覚を失い、思考停止しました。
思考停止しているのは、そこにいる人たちが、システムの恩恵を受けているからでしょう。
システムががあれば自分で何も考えなくていい。感じなくていい。
見なくていい。
向き合わなくていい。
迷わなくていい。
責任を、負わなくていい。
そうして、弱い者や子どもたちに皺寄せがいくのです。
問題のある子どもたちを医療に繋ぐのが教師やスクールカウンセラーの仕事です。
医師は連れて来られた児童を自分でろくに診察もせずに教師たちの言い分を聞くままに、その子を発達障害と認定してあげるのが仕事です。
精神薬を子どもに投与することに否定的な専門家も沢山いますが、専門家は基本的に保身に走るので他の医師の処方に文句をつけることはほとんどありません。
看護師や福祉の人間は医師の言う通りにお薬を飲みなさい、医師の指示に従いなさいと患者に言うのが仕事です。
そもそも今の社会システムは、
生産性重視の競争社会の賜物です。
兵隊のような能力至上主義を優先しているから、いつまで経ってもインクルーシブにはなりません。
弱肉強食のポジション争いが激化する中で、人々はそのストレスから逃れる為に自分よりも劣って見える者を差別して安心して来ました。
死に物狂いで努力して肩書きや権威を獲得した人間は「持たない者を差別」するのです。
そういった社会の中で、権力を持ちすぎた医師が、政治家や官僚が、弱者に寄り添うことは非常に難しいことだと思います。
一方、競争社会や自らの劣等感に負けた人たち、自分をはみ出した人間と自覚する人たちは、自ら障害や病名の名札を求めることも多くなりました。
帰属意識が満たされ、しかも差別される代わりに守って貰えて、心に束の間の安寧が訪れるからです。
しかしいつか、それが虚構であり、自分がどれだけの権利を奪われて来たか気がつくことになります。
しかし社会から弱者であることの恩恵を受けすぎた後に、戻って来れる人は本当に稀です。
強い者は弱い者を叩き、弱い者は更に弱い者を叩きます。
心の中ではいつでも自分が差別をしまくっている癖に上部では薄寒い笑顔で多様性を認めようと言います。
弱者を救済しようとする人すら、もっと言えば自称弱者の当事者ですら、自分が他者を差別をしていることに気が付いていません。
日本人のいう多様性とは、差別意識のデパートにただ陳列物が増えただけだと思います。
協調性や帰属意識を過度に求め、他者にも強要するのは、皆が変わるのが怖いからでしょうね。
不健全ではあっても、変わらずに居られる居心地の良い社会を、変えられるのが怖いからでしょう。
社会のシステムに迎合するのが得意な人間に「物事を変えるチカラ」はありません。
凝り固まったものを破壊する。
敢えて空気を読まずに問題提起をする。
他者の感情に流されずに、冷静な意見を言う。
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