かくして、小1の秋から不登校に成ったわけであるが
学校に行かなくなった私を心配して、定年退職した親戚の元女教師の方に勉強を教えてくれるよう頼みこんだ。
母に車で送られ月曜から金曜まで毎日その人の家で勉強を教えてもらった。記憶として曖昧だが四則計算や漢字の書き取りを教えてもらったはず。
何せ、小学生の私はそこで出されるおやつの方が興味があったからそちらの記憶が鮮明である。特に、手作りドーナツが好きだった。ドーナツといっても、市販のてんぷら粉を水で練って揚げたものであるが美味しかった。また、一緒に作ったりもした。
そこでは、数人私のような不登校の子を教えていたようだ。
その中で、親が自転車会社に勤務していて帰国子女の2学年上の男の子(よしお君)と仲良くなった。
家が近く、お互いの家を行き来するようにもなった。
その子とは親の仕事の都合で私が小学校5年生くらいの春に引っ越して以来縁が切れしまった。
彼の名前をネットで検索すると、音楽大学を今は有名な音楽家になっている。
ある分野をインターネットで検索すると彼の名前が最初の方にあがる。
新進気鋭の若手音楽家と評される優秀な人物である。
そこで、卑屈で無駄にプライドが高い私は
自分とは大違いだ。自分は何も成し遂げていないし人の役にもたっていないと思うところである。
3年生の5月頃からまた学校に通うようになった、初登校の日、先に復学していたよしお君が様子を見に来てくれた。純粋に嬉しかった。
クラスのみんなは優しく向かい入れてくれた。
無論休みがちだが、休んでいる間ポケモンのゲームに常時興じていた私はポケモン博士というあだ名がつき徐々に学校に馴染んでいった。
子供の話題の中心はポケモンだった。当時は、ポケモンの初期作品である、赤緑そして次作の金銀が発売された時期だった。
私も多分に漏れず、夢中となった。
何せ不登校なので昼夜にわたってプレイしてたので、小学校3年生にしては異常に精通していた。
特に裏技にも詳しかったのでみんなに教え一躍人気者となった。これといった深い関係の友人はいなかったが。
しかし、初めて学校が学校が楽しいと思えた。
そして、初テストを受けた。全教科5科目だったか、合わせて12点だったという記憶がある。
悲観的な感情はなく、テストというものが初めて受けれて嬉しかったのである。