中学生の思い出 | 元小中不登校から復活し公務員になった茶路丸のブログ

元小中不登校から復活し公務員になった茶路丸のブログ

小中不登校から定時制高校進学した。そこから大学へ進学し公務員になった元不登校のブログ。

 

地元の公立中学校に進学した。

地域で最大規模の中学校で中学1年生だけでも5クラスもある。

 

私は1年生B組になった。

 

しかし、中学生になると子供から大人に近づくという変化に耐えられなかった。  

社会性に乏しい私の精神年齢は小学校低学年くらいだろうか。

周りは徐々に成長している付いて行けなくなった。

 

 

入学1週間後、あたりだろうか、私が朝の挨拶や休憩時間中話しかけても無視されるようになった。  そして、私は周りから浮き私物を隠されるようになった。

 

ある朝、私が登校すると下駄箱にあった上履きが無くなっていた。私の下駄箱ある隣の通路に捨てられいた。

この日以降、靴だけでなく、私の体操着や教科書が隠され捨てられるようになった。

自分のようなものが「隠すな」等といえる勇気がなかった。何よりも、周りの大人に虐められていると恥ずかしくていえなかった。

 

 

もし、もし、あの時、「隠すな、虐めるな」といえ、先生や親に事実をありのままに伝えることができれば自分が変われたかもしれない。

ただ、今はもう後悔もない。おそらく大人となった今、すべて自分の責任だと分かった。

 

 

 

しかし、

私物を隠されるより、昼ご飯のときが苦痛だった。

小学校の給食は自分の席で食べることに決まっていた。

 

中学校は弁当持参になり食べる席も決まって居らず、仲良い人と一緒に食べることになっていた。

私はクラスに友達といえる子がいなかった。そのため、私は独り自分の机で食べる以外選択肢はなかった。

 

昼食中、私の視界は弁当箱の中にしか向いいない。子達が友達と一緒に笑い話しながら食べててるのを聞き耳を立てるだけだ。

 

独りで食べる昼時間が辛くなり食べなくなった。

そして、昼食休憩中は机に突っ伏して寝たふりをしていた。

食べなかった弁当は、下校後に家に帰ってから食べるようにした。

 

 

 

 

学校に居場所がなくなった私は、徐々に休みがちとなりゴールデンウィーク明けから完全に不登校となった。

 

1年生は最初の一ヶ月しか登校していない。

担任の先生には保健室で良いから登校してはどうかと聞かれたが登校しなかった。自分だけ保健室に行く姿をクラスメイトに見られたくなかった。虐められるネタを提供したくなかった。