ガノタなモノづくりママの日常 -18ページ目

プライド(誇り)ある自分づくりって大事よね

今日は大晦日なのです。
今年はいつになく宿題を抱えた年越しになり、なんとなく区切りがはっきりできない大晦日を迎えてしまいました。
お正月を迎える支度をしながら、だんだん「ああ、あしたはお正月なんだなぁ」と実感している次第。
ともあれ、3が日くらいはのんびりしようと思っております(・∀・)

自分自身の2013年を振り返って、漢字一文字に例えるなら…そーねー…
(´ε`;)ウーン…



やっぱこれですかね!
これ、来年も心に留めていきたいと思っております!

ところで、今年の3月にWebで掲載されたわたしの記事。
ご覧いただけたであろうか?
女子力とは「誰かのためになることを考える力」

この中で書かれているように、かつてわたしはモノづくりとはまったく無縁な業界に身をおいていた時期があります。
この時期の経験で得たことは決してムダではなく、「稼ぐためのルール」「マネジメント法」といった部分は今でも流用しています。
ていうか、自分が出会った人、経てきた出来事は全て無駄だと思ってませんしね♪
すべてに感謝なのですよ。

で、振り返ると、この仕事に励んでいた時期は「プライド」という言葉が常に伴っていました。
それは、「プライド」という言葉の本来の意味である「誇り、矜恃、自尊心」を自分の都合のいいように置換していただけなんですけどね。
要は、MLMという業界に於いて利益を出し続け組織を広げていくためには、自分よりもはるかに社会的地位の高いお客さんと接する必要があるわけでそのため、自らのコンプレックスを覆い隠すために「プライド」という言葉に依存していたわけですな。
そういう場合、自分の芯が強くないからちょっとしたことでくじける、悩む。
そんな場面が相次いだ時に、「あれ?プライドって、実はなによ?なんでプライドがあるのにこんな弱気になるの?」と、ふっと思って気づいたわけです。
あ、あくまでも自分なりの理解でね。

今思えば、壮大な勘違い。
言葉の無駄遣い。

めったやたら「プライドが!プライドが!」ばかりいう人は、自尊心=うぬぼれと勘違いしてるんじゃないの?
世の中には、「プライドとコンプレックスは同じものだ」と言う人もいると思いますけど、全然別ですよ。
本当にプライドが高い人は、自分自身を冷静に分析して評価し、自分を褒めています。
そしてその精神の余裕から人を労わることができる。
だって、自分に自信があるんですからね。
結果的に、なんだって出来るんですよね。

そういう人間をこれからも目指そう(`・ω・´)シャキーン

というわけで、今年一年ありがとうございました。
年明けからまた楽しく忙しい毎日がやってくるね!
総智・総力で走ります!
みなさん、よろしくおねがいしますね。

ではでは!

長野のナッちゃん ( ー`дー´)キリッ

いきなりですが、「ナッちゃん」という漫画をご存知でしょうか?




ご存じない方のために、うーんとカンタンにあらすじを紹介しますね。
あんまり詳しくは書ききれないし、ネタバレになるからね。ヽ( ´ー)ノ フッ

大阪のちいさな鉄工所(町工場)の娘として育ったナッちゃんは、小さい頃から工場で汗をかきモノを作るお父さんの姿が大好きで、いつしか鉄工所の仕事に興味を覚えるのです。
学校を出てから一旦は保険会社に就職するものの、長いことガンを患っていたお父さんが倒れ、亡くなったのを機に一念発起。家業を継ぐことになるのであります。

ところが、やっぱり鉄工所という職場は男の世界なんでしょうな。
当然のごとく「女のくせに生意気な」とか、「お父さんだったらよかったのに、あんたじゃムリだ」といった冷たい言葉をはじめ、ナッちゃんの前途には数多くの壁が立ちはだかります。

だけどナッちゃんはくじけない!あきらめない!

「出来るかどうかじゃない。どうやったら出来るか考えるんや」
このお父さんの言葉を胸にいだいて、知恵を絞って工夫をし作業の腕を磨き、仕事を依頼してくれたお客さんの利益のために一生懸命努力するナッちゃん。
やがて仕事を通して周囲の誤解が解けてゆき、徐々に信頼を得ていく過程にはすごく共感しますよ。やっぱり。

で、そのうちコミックから切削油や切粉の匂いを感じてくる不思議。
でもって、ナッちゃんが自分のコピー、また逆にライバルに思えてくる不思議。

どっぷりはまって、全21巻+東京編3巻ぜぇーーーーーんぶ揃えた。ヽ(´ー`)ノ
いつか「東北編」とか「信州編」なんて続刊が出たらいいなぁー。

ところで実はわたし、このナッちゃんの生みの親である、漫画家のたなかじゅん先生とはちょっと仲良くさせてもらってるんですね。
それで、だいぶ前のことですけど、じきじきに「長野のナッちゃん」の称号を頂いたのであります!
これは、たいへん名誉なことなのであります!

今年も残り半月を切ったところ。
今の調子だと、アタフタしているうちに「気づいたら新年」ということになりそうなんで、ここでこの「長野のナッちゃん」と呼ばれるにふさわしい一年だったか、振り返る時間を作ろうかな。
で、来年も称号に恥じないように精一杯働くんだ!

( ^ω^)

「変化=進化」継続する上でこれは必然。(長いですお)

ずーっと「書こう書こう」と思いつつ、なかなか文章としてまとめる時間がなかったこの話。
なんの気なしにサクッとまとまりましたので、したためたいと思います( ^ω^)おっ

今年の7月、わたしは15年ぶりに西川貴教(T.M.Revolution)のLIVEに出かけてきました。
15年前と同じ会場、塩尻市レザンホールにね。

会場周辺は15年前と何一つ変わらず、近くの洋菓子屋さんも健在。
町並みを見る限り、時の流れを感じることはありませんでした。
ただひとつ、15年前と明らかに違っていたのは来場者の年齢層。
15年前の来場者が、ほぼそのまんまスライドして来られたようだったんで、それはまぁー、自分もその仲間なわけですから、「時間」というドライな現実を受け止めた次第です。
ええ、ええ。

座席について少しの間、「15年前の西川君は、こうだったよなー。ああだったよなー。さてさて…40歳半ばになった今日の西川君は、どんな姿をみせてくれるのかな」などと思いをはせて、そうこうするうちにスタート。

Preserved Roses キタ─wwヘ√レvv~(゚∀゚)─wwヘ√レvv~─!!

( ゚д゚)ハッ!

( ゚д゚)…えっ…

( ゚д゚ )…こ、これは

(・∀・)スゲー!

15年前とは、明らかに違う西川貴教がそこにいた。

まず、体が大きくなっていた。(それでも、ちっさいオッサンですがねw)
20代の頃は、ライブ1本終えると倒れこむほどだったそうなんで、30代のどこかで「こんな体力のままでは、ステージに立ち続けることは難しいぞ」と思ったかどうかはわかりませんが、若いころに華奢だった体の線が太くなったのは、体力増強の成果なんでしょうね。
歌も、「歌う」のではなく「魅せる、演じる、聴かせる」という傾向がかなり強まった。
クセも抜けて安定感抜群。すごく聴きやすかった。

今回は「UNDER-COVER2」という、過去の自身のヒット曲をアレンジを変えてセルフカバーしたアルバムにストーリーを添加した、ミュージカル仕立てのライブが前半。
これ、MC一切なしでほぼぶっ通しで10曲以上歌い続けたんで、観客が息切れするほど。
(ほら、先述のように観客の年齢層が高めだったからねw)

後半は、今までとおなじカジュアルな雰囲気でのライブ。
もちろん飛んだり跳ねたり、タオル振り回したりね。
若い人が好むヒップホップや、テクノ、オルタナティブのテイストを積極的に取り入れて、ボーカルの技術も桁違いに向上していたのでした。
MCも、相変わらず面白かった( ^∀^)ゲラゲラ
そうして西川君は、最後の最後まで疲労の表情を見せることなく、ライブは30分超えの延長の末終演したのでした。

彼は、15年という歳月を経て確実に進化していました。

この進化、まったく新しい曲ばかりだったら、これほど気付かなかったかもしれない。
15年前の曲を今の時代に合うように作りなおし、歌い方を変え見せ方も変えたから、わたしの中では過去との対比が出来たのです。

「セルフカバー」や「リメイク」という手段そのものはありきたりなんだけど、原曲よりもクオリティが上がり、本人が歌唱に費やすエネルギーも増え、いかに観る人聴く人に「感動」を伝えるかを追求した、演出へのこだわりがヒシヒシと伝わってきたのであります。

わたし、今回のこのライブで、「プロ」とはどうあるべきか?ってことを、ちょっと考えましたの。

お金をもらう以上、価格以上の期待に応えるのがプロ。
じゃあ、それなりのサービスを提供するために、自分はどこを見て何をするべきなんだろう?


些細なきっかけだけれど、これが実はモノづくりに取り組む上でもいい気付きになったのです。
いやいや、モノづくりだけに限りませんよ。
ありとあらゆる物事について、「これからも継続したい、発展させたい」と思う気持ちがあって時間軸に逆らわずそれを先に進めていくためには、いずれ現在の姿から変化しなくてはいけない時が来るんですね。

伝統を守ることは当然。
だけど、文明の進化につれて人の趣味趣向が多様化してくることは避けられない。
変化は必然。
そしてそのために最も大切なのは「変わることを恐れない自分の心のあり方=自身の理念」なんだと西川君は教えてくれたと思ってる。

さて!
2014年こそ、イナズマロックフェス行きたいねぇー。
その時、今よりも自分が変化できているように努力をしなくちゃいかんね(・∀・)