志登神社の神は、妙見の神でもあった。

妙見信仰とは、北斗七星と北極星を神格化したもの。

北極星は北辰神であり、太一を意味する。

志登神は、太一神である天御中主神ということになる。

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★目次

☆1 志登星は北斗七星

☆2 志登神社の祭神

☆3 妙見の神と太一神

☆4 流星の神

 

  志登星は北斗七星

 

(「儺の國の星 拾遺53、田付星*たつけほしより引用)

彗星を志登星と言う。十九歳を四度かさねるを言う。その大いなる時、北斗を覆う故とも説かれる。北斗を四三(しそ)の星というから、その一つの方言であった。

 

19年を4度重ねると76年であり、ハレ―彗星の周期に当たる。

それが北斗七星を覆う程なので、志登星とされた。

志登星とは、北斗七星と(ハレ―)彗星を意味しているということになる。

 

妙見信仰とは、その北斗七星と、北極星を神格化したもの。

これらはすべて、神に繋がる。

 

  志登神社の祭神

志登について、以前の記事にもあった。

 

(「儺の國の星」10、夜渡星より引用)

図七(とし)或いは七斗(しと)を萬葉仮名で写した地名であり、怡土もその派形であります。志登(しと)なる社は妙見の祠が建つ天平以前の昔の信仰の存在を示しております。

 

 

(「儺の國の星」10、夜渡星)の項も合わせて要点を書き出す。

 

志登とは、北斗七星、彗星のこと。

外界の波に動じない海淵のことであり、伏見星(シリウス)を観測して地震津波を予知していた。

 

糸島の志登もその一つ。

志登神社は、元は妙見の祠があった。

 

*****

 

福岡の糸島には志登神社と登志神社がある。

 

 

志登神社

 

古来の内海の真ん中にあり、海面が凪の場所。

まさに、志登であった。

 

出典 ITOKOKU(ITOKOKU (inoues.net))


 

では、志登神社の神とは。(下記の記事に詳細)

 

☆→「儺の國の星」10、夜渡星

 

豊玉姫命

和多津見神(わたつみのかみ)

彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)

息長帯姫命(おきながたらしひめみこと)・神功皇后

武内宿祢命(たけのうちすくねのみこと)

 

和多津見神=綿津見神は、志賀海神社の神であり、志賀神は高良神と同神。(「高良玉垂宮神秘書」より)

高良神は武内宿禰

彼の后は、神功皇后。(「神秘書」より)

 

志賀海神社の社家の安曇氏は、「新撰姓氏録」で、「海神綿積豊玉彦神子」。

豊玉彦は、彦火火出見命(山幸彦)。

 

彼が豊玉彦なので、彼女が豊玉姫

 

また豊玉彦の神話は、山幸彦海幸彦。

龍宮と呼ばれる志賀海神社には、高良神(安曇磯良神)と神功皇后の伝承がある。

酷似の伝承は、神の由緒を示唆するもの。

「浦島太郎」「八大龍王」の登場人物は、彼らを示していた。

以下の記事には能の「春日龍神」と、「平家物語の剣の巻」についても記載している。

春日神もまた、高良神と同神=綿津見神=八大龍王となる。

 

 

 

志登神社の祭神は、高良神と神功皇后であった。

「伏見神」も彼女になる。

 

伏見神である淀姫=豊姫は、「神秘書」では神功皇后の妹。

しかし高良大社の本殿に祀られているのは、豊姫。

后を差し置いて共に祀れないので、豊姫(伏見神)=神功皇后。

☆→「儺の國の星」10、夜渡星

 

  妙見の神

 

志登神社の前身には、妙見の祠があったという。

社の神は、土地につくと言われている。

跡地に家など、おいそれと建てられない。

それは今の時代であってもだ。

 

人は神を畏れ、それ故に「神のすげかえ」などはしない。

それは古来からの掟とも言える。

 

では、志登神である高良神と神功皇后は、妙見の神なのか。

 

高良神である志登神社の祭神の和多津見神は、志賀海神社の志賀神=安曇磯良神であった。

 

社家である安曇氏は「神秘書」の、「神部物部を秘す為に名を変えた五氏」の一つとなる。

 

物部の神とは、祖神の饒速日命と御炊屋姫。

高良神は、饒速日命。

神功皇后は、その后の御炊屋姫となる。

 

饒速日命と御炊屋姫は、二柱ずつの天照と豊受。

伊勢の内宮、下宮の神になる。

 

 

伊勢神宮では、内宮、下宮の神を、北辰神(太一神)であり、北斗七星の神としている。

 

妙見信仰とは、その北極星(北辰神)と北斗七星の神格化であった。

彼らが、妙見の神であるゆえになる。

 

北辰神は天御中主神。

天照がそれでもあるという事。

ここで「神話」は破綻している。

 

彼らは神話の神の全てであり、神話は彼らの同時間軸の物語。

ゆえに、二柱の天照が天御中主神=妙見神。

 

 

 

志登神社の前身の妙見神は、彼ら自身であった。

 

尚、「儺の國の星」にある登志神社の神も彼らに繋がる。

 

 

 

  流星の神

 

饒速日命は、石上神宮の布留神。

 

フル、フツとは「儺の國の星」1、椋の実にこうある。

 

那珂川では昔は艾(もぐさ)に蓬(よもぎ)を用いていた。

これを”ふつ”と呼んだがPhlu(フル)はChaldea(カルデア)王朝では星の意であり、記紀に布留御霊は隕鉄(*)、布津御霊は砂鉄を製錬した剣のことであった。

 

 

隕鉄は、隕石の鉄。

(「鉄は星の臓物」と「儺の國の星」の真鍋氏)

隕石は流れ星。

それは彗星と同義であったかもしれない。

 

隕鉄は星のかけらそのものであり、布留神である饒速日命は星神でもあった。

 

彗星=流星=布留神

北斗=妙見信仰=天照と豊受

=饒速日命と御炊屋姫=高良神と神功皇后

 

 

彼らは男女の天照であり、豊受大神。

二柱が「妙見神」であった。

 
ゆえに志登神社の祭神は彼らに繋がるのだ。
 
 

(つづく)

 

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