太一とは妙見信仰であり、天御中主神に繋がる。

”いせ”とは五十瀬、磯城のことであった。

伊勢は古来、磯宮と呼ばれていた。

かの神が磯神であったからだ。

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★目次

☆1 妙見さんと天御中主神

☆2 磯城と磯神

 

  妙見さんと天御中主神

(「儺の國の星」13、鳥羽星(とばほし)より引用)

星座即ち、石位(いわくら)が北極星を中心にして回転するから、ここには最も巨大かつ、濃縮された天体が存在していると考え、これを太一と崇めた。

 

ぱくたそ   uka@photoさん
 

ここに天一と地軸の北方の中心を言う。ほぼ今の北極星の方向である。これを倭人は鳥羽と称した。...四方から廻船があつまる姿をたとえていたのである。

 

 

太一とは、妙見信仰である。

空の中心であり、「濃縮された天体」が存在する。

そこに神を見たのだ。

 

宇宙の中心の神である天御中主神もまた、彼であった。

  

星田妙見宮も、ご祭神を天御中主神とされている。

 

天御中主神は、那珂川でも祀られていた。

それが日吉神社。

 

那珂川*日吉神社

ご祭神

天御中主神、大己貴神、日子穂穂出見神、大山祇命、八雷神、菅原神、迦具土神、田心姫神、高淤加美神、闇淤加美神、手力雄神、宇賀魂神、表筒男神、中筒男神、底筒男神、須佐之命、天照大神。

 

那珂川は猿田彦神の発祥の地とされている。

ここは、日吉大社の元宮であるとされ、最澄さんが勧請したとの伝承がある。

 

しかし、猿田彦神の名はない。

日吉大社の祭神から、彼は大己貴命と同神であることが分かった。

 

大己貴命は、三輪の神、饒速日の命。

 

 

更にこの地には高良神の伝承がある。

彼は住吉神であり、元宮の現人神社もあった。

 

彼は饒速日命であり、天照。

ゆえにすべての伝承がここに集まっていた。

 

社の神は全て彼ら二柱に集約される。

饒速日命である高良神が、天御中主神。

 

 

田心姫神の名がある。

宗像神の一柱であり、三柱は同神。

 

宗像神=市杵島姫命=御炊屋姫

 

彼女は饒速日命の后であり、高良神の后の神功皇后になる。

 

 

 

  磯城と磯神

(「儺の國の星」13、鳥羽星より 引用)

 

”いせ”とは五十瀬、即ち水位すれすれに無数の石を集めて造った磯城であり、”わたら”は蝦夷千島で言う岩礁 watara vatah(ワタラバタ)のことである。埠頭、或いは波止場の語源はここにある。そして”とば”はその中心で船が碇を下し、浜に揚ることである
 
 

磯城(しき)について、以前書いた。

 

海のない奈良に磯城の地名がある。

三輪山の麓であり、彼は磯神(高良神)。

奈良の磯城は、磯神が住まわれた場所ではと推測している。

 

そこは昔、十市郡であった。(三つが合併)

十市氏が由来であり、天火明命を祀る竹田神社がある。

ゆえに十市は「先代旧事本紀」の饒速日命と共に天降った部族の一つ、十市物部であろう。

 

十市の意味が、「儺の國の星」にある。
(拾遺なので相当先)
☆淡水が地面または海面に溢れる現象。
☆洪水高潮の類が”とをち”であり、後の”とほし”になった。
 
奈良のこの場所、古代奈良湖の南東に当たる。
 
 

(出典「古代であそぼ」)
 
海の無い奈良での「水位が一番高かった場所」とは奈良湖の端を意味しているのでは。
それが十市の由来ではないだろうか。
 
さらに十市(とし)星から、歳祭に繋がった。
歳神は饒速日命である。
 
”いせ”は伊勢。
古来、磯宮と呼ばれていたという。
主祭神である天照大神が、磯神であったゆえだ。
 
では、奈良の磯城も、彼が住まわった地ではないだろうか。
 
磯良神は、高良神であった。
筑紫から大和へ。
そして、また筑紫へと移っている。
 
 

(つづく  )

 

 

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