磯神は饒速日命。

高良大社の神は磯良神。

奈良の十市氏の神へと繋がる。

★前回の記事

 

★目次

☆1 天火明命は磯神
☆2 磯城の磯神
☆3 十市と歳神
☆4 筑紫の磯城の志式神社

 

 

  天火明命は磯神

 

志式神社から、磯城を解く。

 

志式神社

 

福岡県福岡市東区奈多の志式神社

 

ご祭神は火明神(天火明命)。
日酢芹(ほすせり)神(=山幸彦=豊玉彦)、豊玉姫、十域別(とおきわけ)神、稚武(わかたける)王、葉山姫神。 

 

神社の神についてはこちらへ

 

天火明命は、饒速日命。

彼は高良神であった。

 

 

神秘書では神功皇后が后である。

 

彼らは神話の全ての神。

よって、両関係者、及び、豊玉彦や豊玉姫がここに祀られているのだ。

 

高良神は安曇磯良神。

 

磯神である。

(神の詳細は、上記リンクへ)

 

 

  磯城の磯神

 

志式。

し・の・しき。

 

奈良には磯城(しき)という地名があった。


その辺りは三輪山の麓。
三輪山の南麓には古代の重要な交通の要所があり、最初の市、海柘榴市(つばいち)があった。

饒速日命が作ったともされる。

その海柘榴市を守護する神が祭られているという、大神神社の末社「大行事社」のご祭神は事代主命。
大己貴命の子とされているが、彼と同神だ。

 

その近くには「大和朝倉」という駅もある。
福岡の朝倉郡の旧三輪町には「大己貴神社」がある。

奈良の大神神社(三輪山)の大物主神は、大己貴神。
三輪山の大物主神が饒速日神でもあるから、朝倉の大己貴神もまた彼。

彼らは、大和へ移動した後、再び筑紫へと戻っている。

彼は高良神であり、磯神。

では、磯城は、元々いそ城であり、彼らの居城があったのではないか。

 

 

  十市(とおち)の歳神

 

奈良の磯城は、近年、三つの群が合併している。

 

その一つが「十市(とおいち)郡」であったという。
(元々、「しき」の範囲内の地)


この土地の名の元になった十市氏がいた。


そこには一族の祖神の天火明神を祭る竹田神社があった。
(耳成山の北東)

饒速日神には「歳(トシ)」神の名がある。
十市氏の祖神が天火明であり、彼が歳神なのだから必然になるであろう。
 

    

<「儺の国の星」の十市>

真鍋大覚氏の「儺の国の星 拾遺」に十市星について書かれてあった。

十市星について。

”とほち”とは、淡水が地面または海面に溢れる現象を云い、
逆に塩水が地面又は河面に溢れる現象も表現する。
所謂ところの洪水高潮の類が”とをち”であり、
後の”とほし”になったのである。
(中略)
十市星(としのほし)が並ぶ頃、渡水の儀式が潴水番(*ちょすいばん)
の閘門の上で厳粛に執り行はれる。
これを歳祭(としまつり)と言う。
百姓が年、即ち米稲の収穫の平安を星影に祈るからである。


見事に稲の神である歳神さまに繋がった。

 

十市は歳神を意味しているのである。

 


この十市とされる竹田神社のある場所の辺り、古代の奈良湖の南東の端に当たる。

 

(出典「古代であそぼ」)

 

まさに「所謂ところの洪水高潮の類」
”とおち”とはその状態を表した土地の名になる。
                       .
                  *

饒速日神を祀る三輪山の麓、その場所が磯城(しき)。
「しき」の地が彼と無関係ではないことを、示している。

その「しき」が遥かな時代を経て、磯城と表記されるのは、強い縁を感じる。
三輪山の神(饒速日神)は高良神であり、彼は磯良神なのだ。

 

彼は天照。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊。

伊勢神宮はその昔「磯宮」と呼ばれていた。
磯神である磯良神、高良神が彼なのだ。
 

友人によると、「しき」は「皇居の敷地」の意味が近いのではないかと。
(上の位の人が住む場所という意)

「しき」は国が栄えた始めの土地だと。

 

記紀には奈良盆地の東南部に天皇の住まいがあったとある。

雄略天皇が居たという「斯鬼宮(しきのみや)」の表記が初めになる。


それはちょうどこの辺りのこと。

敷島と言えば大和の枕詞でもあった。
大和国の始めであり、大和そのものを表すのかもしれない。

 

もしかすると、雄略天皇よりも前に、磯神(饒速日命)達が住まわれた場所かもしれない。

 

 

  筑紫の磯城

 

「磯城」についても「儺の国の星 拾遺」に記されてあった。

  縄文の頃は津浪が多く海浜の波に洗われて磨かれた転石を積み上げて、
  波止めを築いた。これが筑紫の由来と説かれている。
  隋人は竹斯と書いた。記紀には磯城の名で記されている。

 

福岡の志式の名の由来はおそらく「し・磯城」
筑紫の名の由来と同じである磯城。
*(筑紫は、「命尽くしの神」が由来でもある)

阿曇氏が祭った神・磯良神が、大和へ。
そうして栄えた土地がいそ城になった。
後に「磯城」。
 
こちらがその始めなので「し・しき」。

「し」には初めの意味がある。

 

何故、海もない、奈良のあのような場所が「磯城」なのか、ようやく腑に落ちた。

 

すべて繋がっているのだ。

 

 

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