五十猛神は新羅から来て、まず筑紫に植樹した。
彼はスサノオ命の御子だという。
五十猛神は筑紫の伝承より、高良神になる。
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★目次
☆1 五十猛命とスサノオ命
☆2 大己貴命と宗像神
☆3 楯崎神社と日本書紀
五十猛命とスサノオ命
(儺の國の星 拾遺 52、初雁星*はつかりぼしより引用)
日本書紀巻一 神代紀に曰く
初め五十猛神(いたけるかみ)、天降ります時に、多に樹種(こだね)を将(も)ちて下る。然(しか)れども韓地(からくに)に植えずして、(ことごとく)に持ち帰る。遂に筑紫より始めて、凡(すべ)て大八州(おおやしま)國の内に、撒殖(まきおほ)して青山になさずといふこと莫(な)し。
日本書紀は「一書(あるふみ)に曰く」と幾つかの書を取り上げる形にして、その説を載せている。
以下のは、その一書のそれぞれの今回繋がる箇所。
*1 素戔嗚尊(スサノオノミコト)、其の御子、五十猛神を師(ひき)いて、新羅の国に降到(あまくだ)りまして
*2 初め五十猛神(いたけるかみ)、天降ります時に......(「儺の國の星」拾遺の52はこの引用)
*3 素戔嗚命の曰く、「韓郷(からくに)の嶋には、是金銀(これこがねしろがね)あり。
*4 大国主神、亦の名は大物主神、亦の名は国作(くにつくりの)大己貴命と号(まう)す。
(「日本書紀」岩波文庫p100より 引用)
佐賀の基山は、五十猛神が最初に植樹をした山だという。
神話では、彼は素戔嗚命の御子とされている。
しかし、基山の麓にある荒穂神社より、高良神だと繋がった。
これが「*2の筑紫より始めて(神がおられるところ)」。
五十猛神=高良神
その高良神の下社は「祇園さん」との呼称。
主祭神を差し置いて呼ばれることは無いので、彼が祇園さん
高良神=スサノオ命。
彼はその実、物部の祖神の饒速日命であった。
三貴神である、天照、月読神、スサノオ命は同神の高良神になる。
よって、五十猛神=高良神=饒速日命=スサノオ命 ★A
*1では、親子だが、神話の神は全て彼らであるので、親等は本人のことが多い。★B
五十猛命は饒速日命と兄弟ともされている。
饒速日命は大歳神でもあるからだ。
(彼は天照、大歳、猿田彦神、鴨神など様々な説があるが、全て同神なのであった)
さらに神話の「天照とスサノオ命の誓約」で、スサノオ命から現れた五柱の神もすべて彼と同神と示唆するもの。
品物を交換するのは、天照の交代を示唆。
*3の記述の後、スサノオ命は自分の体中の毛を抜き、それは様々な種類の木と成る。
★Aであるからこそ、木の神=五十猛神がスサノオ命自身だと示唆していることになるだろう。
これは大宣都比売(おおつげひめ)姫の体から、様々な穀物が成るのと同じ。
五十猛命は紀国=木の国の神=スサノオ命
大己貴命と宗像神
この「(幾つもの)一書」は、スサノオ命が八岐大蛇退治をして、剣を取り出した後の場面になる。
*4で、唐突に大国主神(大己貴命)の話が登場するのは、書紀の本文でスサノオ命と奇稲姫との御子とあるからだろう。
しかし一書では、五世孫、六世孫など様々。
★Bの通り、スサノオ命本人になる。
*4の記述でこのようなものがある。
共に国造りをした少名彦命が常世の国に帰ってしまう。大己貴神がこれからどうしたらいいのだと嘆いている時に、海から光の玉が現れる。
それは「吾(われ)是(これ)汝が幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)なり)。/日本国の三諸山に住まむと欲ふ」
(「日本書紀」岩波文庫)と話す。
「汝」とは大己貴神自身を意味する。
それは彼自身の御魂であり、三諸山である三輪山の神だと説いているのだ。
*4の通り、大国主神(大己貴神)は大物主神なのである。
三輪山の社、大神神社の社家は大三輪氏。
宗像神社の社家の宗形氏は「新撰姓氏録」より、同族であった。
福岡の伝承では、大己貴命と宗像神は夷類退治をしている。
宗像神は一柱の市杵島姫命。
彼女は籠神社などから豊受大神と繋がり、大神神社の摂社の御炊社から、饒速日命の后の御炊屋姫と繋がっている。
つまり、大己貴命と宗像神は、大神神社の饒速日命と御炊屋姫(二柱ずつの天照、豊受)。
よって、同神の彼らは子孫の祖神であり、それぞれ夫婦なのだ。
彼は高良神であるので、彼女はその后の「神功皇后」。
その名は後の為政者による改変になる。
*1と*3の新羅、韓国は、神功皇后の伝承に繋がる。
彼女は神話では、三韓征伐に行っていた。
さらに彼らはツヌガアラシトとヒメコソ神でもある。
彼らもまた、新羅(辛国)からきた神であった。
彼は気比神宮で、応神天皇と名を変えている。
神功皇后の御子とされる彼もまた、ツヌガアラシト=高良神。
そこからも饒速日命達に繋がる。
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楯崎神社と日本書紀
大己貴命と宗像神が夷類退治をした。
その由緒書きがある楯崎神社には、書き出しがこうなっている。
世が未開で混沌として、草木が話していた時代のこと。
北海の浜に「夷の類」という狂暴な鬼神が攻めてきて、人民を殺略した。
その時、大己貴命と宗像姫が自ら神軍を率いて、稜威(いつ・畏れを感じるほどの力)を振るって、
楯を立て、鼓を鳴らして、夷賊を防御して、遂には退治した。(楯崎神社由緒書きより)
書紀の*4の後に続く文がこのようなもの。
「夫(そ)れ葦原中津国は、本(もと)より荒芒(あら)びたり。磐石草木に至及(いた)るまでに、威(ことごとく)に能(よ)く強暴(あしか)る。然(しか)れども吾已(われすで)に摧(くさ)き伏せて、和順(まつろわ)ずといふこと莫(な)し。」
楯崎神社の由緒書きのこの部分は、書紀を元にしているのあろう。
彼は大国主神(大己貴命)。
少名彦命と国を平けたというその神話は、相手が后の宗像神であった。
よって、これらの神は同じ。
饒速日命と御炊屋姫
高良神と神功皇后の異類退治
大己貴命と宗像神(市杵島姫命)の夷類退治。
ツヌガアラシトとヒメコソ神。
彼は、五十猛命、スサノオ命、武内宿禰ほか。
饒速日命を祖神とする物部氏と、
武内宿禰を祖神とする紀氏、蘇我氏、平群氏などは同族であるゆえ、神も同じであった。
(つづく)
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古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
小分けなので分かりやすいかもです
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