笠置山に饒速日命が降臨した。
山城の主は、宗像氏。
勧請先の鶴田には弦田物部。
天照宮は礒光であり、饒速日命は礒神=高良神であった。
★前の記事
★目次
☆1 鶴田村の天照宮
☆2 笠置山の宗像氏
☆3 穂掛の饒速日命
☆4 天照宮の礒神
☆5 高良大社の弦田物部=天津甕星
☆6 神の由緒
鶴田村の天照宮
弦田物部(つるたもののべ)は、饒速日命と共に天降った天孫二十五氏の一つ。
彼らの里、鶴田村から勧請されたのが、宮若市の磯光の天照神社。
天照国照彦天火明饒速日命の名で祀られている。
(上記に詳細あり)
由緒によれば、饒速日命が笠置山に降臨。
社が建てられ、麓の千石穂掛谷へと勧請。
後に神託により、鶴田村へ。
今の磯光へと移ったという。
上記の場所、全てに彼を解く手がかりがある。
笠置山の宗像氏
饒速日命は笠置山に降臨したという。
そこには宗像氏の城があった。
宗像氏は「新撰姓氏録」より、大神氏と同祖とある。
大神氏は奈良の大神神社を祀る三輪氏。
祭神、大物主神は饒速日命。
摂社の御炊社の神が御膳津神である、豊受大神、宇迦之御霊。
饒速日命の后の御炊屋姫はそれを意味していた。
彼女は市杵島姫命に繋がる→宗像神。
(詳細、以下の記事)
つまり、大神氏が祀る神は、饒速日命と御炊屋姫であった。
同祖である宗像氏の始祖も同じ神。
穂掛の饒速日命
笠置山から、麓の千石穂掛谷へと勧請。
穂掛は帆掛け。
船の神である饒速日命を意味する。
以下の記事に、宗像氏と笠置山と饒速日命について書いた。
後に神託により、鶴田村へ勧請。
鶴田は弦田物部の里。
天照宮の礒神
その後、天照神社として、今の磯光へ。
礒は、礒神を意味する。
伊勢は古来、磯宮と言った。
礒神が天照大神であったのだ。
礒神は、いそのかみ。
石上神宮には布留神である饒速日命が祀られている。
礒神は安曇磯良神。
筑後国一之宮の高良大社の高良神。
イセもイサもイソも、広い意味では一番という意味がある。
那珂川では天の川をいそのかわと呼んでいた。
天の神が、礒神であったのだ。
では、高良とは礒良のことになる。
高良大社の弦田物部
高良大社の麓に赤星神社があり、「弦田物部の祖、天津彦神」を祀る。
この神は天津甕星になる。
高良神=弦田物部の神=天津甕星
神の由緒
さて、天照神社は、笠置山→穂掛神社→鶴田→天照神社と勧請したことになる。
笠置は宗像氏、鶴田は弦田物部に繋がった。
しかし、実際に宗像氏が建てたか、鶴田に社があったのかは分からない。
今はないのだから。
もしかすると、神の由緒を示唆しているものかもしれない。
垂仁天皇の時代に饒速日命が笠置山に降臨した。
由緒書きのその言葉から、違和感を感じて調べていた。
彼は神話では、「神武天皇」と大和譲りをしている。
大物主神である大国主神は、国譲りを。
全て同じ神であった。
では、垂仁天皇の時代とは、彼らの本当の時代に合わせたものかもしれない。
*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。
*********************************
X(Twitter)
古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
小分けなので分かりやすいかもです
フォローお願いします
https://twitter.com/sakura15335?t=zywdh8uJGIhzvxAk28C_Tg&s=09