続きです。

 

 

「土地の人が羽白熊鷲に苦しめられていた」

 

それをうかがい知ることができるものがあった。

この辺りに数多ある大国主神の社。


 

<大国主の社>


大己貴神社の向かいにある公園の案内板には、その理由を、

 

「大国主神は羽白熊鷲であり、地元にいた豪族。神功皇后に倒されたために、彼をしのんで社があるのでは」とあった。

 

初めてそれを見た時、違和感があったのだ。

大国主神は羽白熊鷲を倒した方であり、それが歓迎されたために、大国主神の社があるのでは?

 

ならば、「羽白熊鷲」は、歓迎される者ではなかったということだ。


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< 大国主神の社 >
 

朝倉にある大国主神を祀るいくつかの社から、かの神の正体に迫る。

 

 

*1 弥永の大己貴神社

ご祭神 大己貴神社(大国主神)、天照大神、春日大明神。

 

*2 林田と荷原の美奈宜(みなぎ)神社

荷原は、天照皇大神、住吉大神、春日大神、武内宿禰、神功皇后
林田は 大国主神・スサノオ命・事代主(ことしろぬし)神。

 

上記の二社について。

一緒に祀られる神は、夫婦二柱の神。
後の時代に功績などから合祀される者。

 

上記の神は、饒速日命。

天照、事代主神、大国主神。

 

彼は高良神であるので=祇園神(下社)=スサノオ命。

住吉神、春日神、武内宿禰。

 

神功皇后は彼の后であった。

 

 


< 老松神社 >

 

かつて大国主神を祀っていた社から、繋がる。

 

*3 下渕の老松神社

もともと大国主を祀っていて、後に、菅原神、神功皇后、吉祥女と変わっていく。

 

この社は、大己貴神社から秋月へと向かう道にある。
神功皇后軍が陣を張った「御府の森」とされていた。

「福岡県神社誌」より。

 

本来、神は挿げ替えをされない。

神は土地に着くという。

人は神を畏れる故、変えたりはできないのだ。

それは今でも同じ。

そこに在るのは「名を変えた神」になる。

 

 

福岡の老松神社には特徴があった。

大国主神か、菅原道真公が共に祀られているか、そのどちらかなのだ。

 

 

同じ名の神社には、大抵、同じ神が祀られる。
違いがあるなら、彼の別名を祀っている。

 

桂川の老松神社の御祭神は、大国主神、大物主神、事代主神、菅原道真。

始めの三柱は同じ神、饒速日命。

 

 

道真公と饒速日命。

実は深い繋がりがあった。

 

無実の罪を背負い、太宰府に飛ばされた道真公。

その罪をはらされることを願った場所が天拝山であり、彼が拝した神は高良神である饒速日命だ。

 

 

そこには荒穂神社があり、基山の荒穂神社の神とほとんど同じ神が祀られていた。

そこから、彼が高良神であり、五十猛命である饒速日命だと分かった。

(詳細は上の記事)

*4 荒穂神社の御祭神は、瓊々杵尊、八幡大神、五十猛大神、春日大神、住吉大神。

宝満大神、香椎大神。

*1 と *2の社に祀られる神の名がある。

 

「天拝山の神」というと、上記の荒穂の神(饒速日命)と菅原道真公を意味する。

 

 

☆道真公の願いにより「祟りを成した神」がかの神であるということ。

現に現人神と言うと住吉神と北野の神(道真公)を意味する。

住吉と「祟りを成した神」は同神であったということだ。

 

では、*3 の下渕の老松神社の道真公は、大国主神であり、饒速日命を示すことが分かる。

 

 

< 神功皇后 >

 

*4 の荒穂神社には、宝満大神、香椎大神の名もある。

香椎大神は、神功皇后。

宝満大神は、神功皇后と玉依姫(と八幡神)。

 ☆宝満宮竈門神社 ~神功皇后の鬼退治 ①~
 

玉依姫は、筑紫神社に祀られていた。

筑紫神である、白日別と共に。

 ☆ 二つの伝承 4 ~筑紫神社・ちくしの起源~
 

白日別(筑紫神)は高良の神である饒速日命。

故に、共に祀られる玉依姫は、神功皇后である御炊屋姫。

これが宗像神であり、豊日別。

(筑後国風土記に、甕依姫とあるのが彼女)

 

 

宝満宮竈門神社に祀られる玉依姫も、神功皇后であった。

ここでも「同じ社に祀られる神は同じ」という法則が成り立つ。


 

では、

下渕の老松神社には、神功皇后が祀られているので、彼の名を隠蔽するために「同じ天拝の神である道真公」と置き換えられたと考えられる。

*彼女の名と、饒速日命の別名は、祀られていない社が多い。

伝承上、神功皇后として祀る必要がある時は、時代を変えたり、邂逅という形をとっていた。

 

それは、大国主神は彼女に繋がりやすいからでは?

 

大国主神の后は、多紀理姫=(宗像三神は同神なので)市杵島姫命。

彼女は宗像神であり、御炊屋姫でもあった。

饒速日命の后。 

☆神の系譜 豊受大神 篇 1 ~御炊屋姫~

 

神功皇后は宇佐神宮に、宗像大神と共に祀られている。

 

宇佐の初めの社家は大三輪氏であり、宗像神社の宗形氏とは同族であった(「新撰姓氏録」)

 

 

 

共に祀られている神功皇后は、彼の后であった御炊屋姫。

彼女と共に在ったという武内宿禰は、饒速日命。

 

羽白熊鷲は異類。

彼らが退治したゆえ、この地に退治した者が祀られる。

大国主神、神功皇后は、彼らなのだ。

 

 

*神話などの神はほとんど彼らに集約される。

同神であるからこそ、繋がることが数多あるのだ。

 

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では、最初感じた違和感は、これの事であったと分かる。

 

大国主神は羽白熊鷲を倒した方であるから、大国主神の社があったということだ。

 

 

 それは、高良玉垂宮神秘書(高良大社の伝承)に記されていた、

「神功皇后と共に、羽白熊鷲を退治した高良神(住吉神)」の記述が真実であることの証にもなる。

 

あの神秘書は、最も明らかに事実を伝えていた。

(記事中の社などは、後に掲載します)

 

 

 

宝満山の二柱は彼らであり、筑紫の悪神、羽白熊鷲を退治した神。

 

福岡一の霊山には、この土地の守護者を祀っている。

熱狂的なファンが多い宝満山。

 

登る人は必ず上宮に拝する。

その祈りは、この土地を守る力になっていると感じている。

 

朝倉の大国主神を祀る神社も同じなのだ。

 

 

 

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