毎年クリスマスに、高価なワインをプレゼントしてくれる友人がいるのですが、アルコールを飲めない私にとって、正直ちょっと悲しく、なんと言うか、心に小さなもやが残る感じなんです。
友人は私を大切に思ってくれていて、毎年わざわざ地元のワイナリーから取り寄せて贈ってくれます。その気持ちは本当に嬉しいのですが、同時に、「私が下戸なの、知っているよね?」と、どこか分かってもらえていないような寂しさもフツフツ湧いてしまうのです。
友人は「飲まなかったら、他の人にあげてくれていいからね」と、気を遣う一言まで添えてくれます。でも、自分が味わえないものを、ピンポイントでそれを喜んでくれる相手へでもない限り、他の誰かにリギフティング(regifting)するのは抵抗あるし、やっぱり、笑顔で受け取りながら、心に澱がたまっていく感じなのです。
一緒にご飯に行こうと誘われて行ってみたら、「地元ビールを味わうバー」だった、なんてこともよくあります。もちろん誘ってくれる方に悪気はないし、いいんですけどね、でも、「やっぱり私のこと、分かってくれていないのかな」感は拭えないですよね。ま、でもだいたい食事がおいしかったりするで大抵「結果オーライ」なのですが。
昨夜は、息子の彼女(仮にエマちゃんとします)の誕生日会を家族6人でお祝いする予定にしていて、息子は彼女の好きなシーフードレストランを予約して張り切っていました。ただ、娘はベジタリアン。私は「やめた方がいいんじゃないかな」と思っていましたが、娘は「みんなが行くなら、私は野菜を食べるから大丈夫」と答えたそうで、予約はそのまま決行されました。
レストランの看板を見たエマちゃんは大喜びしてくれたのですが、メニューを見ると、娘が食べられそうだったサイドメニューに鶏ガラスープが使われていることが分かり、結局娘の食べられるものが何もなかったのです。
「シーフードレストランなんだから仕方ない」と言ってしまえばそれまでですが、悲しくなった娘は、「他で食べてくる」と彼氏くんと席を立ってしまいました。
娘あるあるの行動なので、シーフードを楽しみにしていた私は気にせず残るつもりでしたが、「誰かが食べられないなら、みんなで食べられる店に行こう」と立ち上がる夫。
息子は怒り心頭で無言。その息子をなだめるエマちゃん😭。結局、私たちもレストランを出て、娘たちが向かったラーメン屋で合流することになりました。
息子は抗議のハンガーストライキでしたが、それ以外はラーメンを楽しみ、帰宅後のケーキとプレゼントタイムには息子の機嫌も収まり、和やかな時間を過ごしていたのですが…
しばらくして再び議論が始まりました。
息子「最初にいいかって聞いたよね? いいって言ったから予約したのに」
娘「その時はいいと言ったけど、実際に何も食べられないと分かったら悲しくなった。みんなはそのまま食べ続けてくれてもよかった」
夫「みんなで食事するのが目的なのに、2人抜けて4人で続けるのはおかしい」
娘「そもそもどうして私がベジタリアンだと分かっているのに、シーフードレストランに誘えるの? 私の気持ち、少しも考えてくれていないよね?」と、娘は涙をこらえきれずに訴えました。
そうなんですよね。![]()
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アルコールが飲めない私がワインを贈られて切なくなるのと同じ。
食べられない制限がない息子にとって、ベジタリアンの気持ちを想像するのは簡単ではなかったのかもしれません。
でも今回のことに限らず、相手の気持ちを思いやることって、案外難しいよなって考えさせられました。特に家族の間では、甘えも出るし、「分かっているはず」と思い込みやすくもあります。
つくづく、良い人間関係を築くうえで共感力(empathy)はMust haveだと気付かされました。でも、共感してばかりがいいわけでもなくて、自己中心的になってもいい時もあるわけで、やはりバランスを取るのが大切ですよね。
娘は「これからは、自分が食べられないお店には、誘われてもはっきり断る」と学び、
息子は「ベジタリアンの姉をシーフードレストランには誘わない」と学びました。
そして私は、次にワインをいただいたとき、「本当にありがとう」と感謝を伝えつつ、「私は飲めないから、ぜひ他の方に譲ってあげて」と伝えてみようかな、と思いました。
波風を立てないことが、必ずしも優しさとは限りませんし、時には、正直であることの方が、長い目で見れば優しさになるのかもしれません。
50を過ぎても、日々学ぶことは尽きませんね。
…シーフード、食べたかったなぁ。ー私まだまだ未熟者です。



















