こころ落ち着いて文字を丁寧に描くーー | yu-tyanのブログ

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ボクは自慢ではありませんが、親父がすごいと思ったのは2点だけ。

ボクをこの世に発射してくれたことと、なぜか習字だけは見事にこなした点だ。

ボクは字が汚い。というよりも、字のきれい汚いは、文化の継承の上ではあまり意味がないと思っている。

きちんと読み書きさえできれば問題ない。

ところが、仕事で記者を選び、毎日書くことを続けた結果、なるべく正確に物事を伝えることーーはともかく、取材ノートは人様が読んで理解すること能わず。字が汚いから読めないことはもとより、ノート自体何を言っているのかさっぱり分からない。

読み返した本人が言うんだから間違いない。

でもそれを起こすと、完全無欠ーーな文章になっているんだから本人が驚く。何のことはない、読めない文章は省略して、読めるところを継ぎ足して、そのあと意訳する。

まぁなんというか、英語を日本語に翻訳・意訳しているのとおんなじである。

それを身内に見せるとーー

ーーー奥さん曰くーーあんたの頭の中と一緒で乱雑そのものーー

子供曰くーーこれなんて書いてあるの、これ何語が書いてあるの――母親曰くーー父親も私もきれいな字を書くのに、誰から産まれてきたんだろうねぇ、おまえこれなんて書いてあるのか読めるの、読めるんだろうねぇ、自分で書いたんだから。

とまあ、ボクがたじたじとなるような評論。

ことほど左様に何語か分からないような文字が書かれているようだ。

お父さんこれ読めるの?--と、ボクに似たような字を書いている娘がボクに聞く。ボクは―ーお前の字に似ているだろう。やはり親子だなぁー―というと、わたしの字はきれいではないけれど読めるもんーー。

そこで、夢に出てきた親父は、達筆ではなく、普通に

――お見舞いーーと書いた。

ボクもそれに習ってーーお見舞いと書く。

ところがボクの字はボクが舞を踊っているかの如くーー

カタチは悪く、酔舞ーー拳法で言う酔拳だ。

そこで「お」から一文字一文字丁寧に書いてみて教わる。

カタチが悪い。お手本をまねるがうまくバランスが取れない。

――こういうのにボクは向いていない。小学生のころ、教室で教わった書道と同じ結論だった。

でもペン文字は、ゆっくりと落ち着いて、一文字一文字書いていくと、そこそこに読める。文字内の感覚、合間、跳ね、置きーーのようなことを一つ一つこなしていくと、丁寧な、まとまった字になる。

そう、文字はこうして書くんだ――と書き綴っていくと、2行目から元の宇宙語に戻って行ってしまう。

 

自分で筆を買ってきて、字の練習ーーついては、習字ーー落ち着きの練習ーーをしよう。

 

 

そう言えば、元奥さんが――ある決断をした後、盛んに書道を練習して、書画を習うところまで突き詰めていたっけ。

もともと元奥さんは字が達筆だったのに。

いま親父がボクに教えようとしているのは、なんなんだろうーー