しばらくブログを更新できずにいた。というのも2週間ほど前、木から落ちて骨折し、入院をしていたからだ。
ちょっと詳しく書きたい。
某所で木に登って枯れた枝を切っていたところ、足場にしていた幹が折れてしまい、6メートルくらいの高さからほぼ直立した体勢で落下してしまった。
頭を強打することなく落ちたことは不幸中の幸いだった。ただ、左足のかかとに全体重がかかるような状態で着地したことで、かかとに激痛が走った。痛みが治まるまで、近くにあったベンチでしばらく休んでいたが、きっとただの打撲では済まないだろうと不安だった。
病院でレントゲンとCTを撮った結果、案の定、骨折だった。それもほっとければ骨と骨がくっついて完治するような単純なものではないらしく、手術をすることになり、即日入院した。
入院1日目。
お盆休み明け、ふたたび酷暑のなかでの作業がはじまった矢先、唐突に特大の連休を得た嬉しさと、手術の恐怖や、労災や保険などの手続きの面倒くささを思い、1日目が終わった。
入院2日目。
手術の日が明明後日に決まった。手術は半身麻酔で行うとのことだった。半身麻酔での手術ははじめてで、不安な気持ちに。主治医の先生から「(手術は)不安ですか」と訊かれ、「こわいです」と返答した。「不安です」よりも「こわいです」の方が、より不安な気持ちが伝わると思ったからだ。まあ、伝わったところでって話だけど。
入院3日目。
午前中、入院してはじめてのシャワーを浴びた。まだ車椅子生活のため、安全に服を脱ぎシャワーを浴びれるかどうか、ふたりの看護師さんがサポートについた。看護士さんのひとりは腕に自傷行為と思われる傷があるが、20代くらいのキュートな女性だった。服を脱ぐときに(たぶん)ちんちんを見られたけど、ドMだから嬉しかった。
午後は骨折してずれてしまった部分を正しい位置に戻す、「整復」という治療を受けた。主治医(まだ20代に見える若いお姉ちゃん)が自らの手でグイッと骨を戻そうとするのだけれど、これがめちゃめちゃ痛かった。「いったぁ」と声を出して痛がる都度、主治医さんが「ごめんねぇ…ごめんねぇ…」と優しい言葉をかけてくれた。結局、良い具合に整復はできず、痛い思いをしただけだったが、まだ20代に見える若いお姉ちゃん(主治医)に優しい言葉をたくさんかけられ嬉しかった。
入院4日目。
この日は手術の前日。手術に向けて、お腹のなかをなるべく空っぽにしないといけないらしく、浣腸を打つことになった。打ってくれた看護師さんは度のきついメガネをかけた黒髪でちょっと垢抜けない少女のような美女だった。もちろんこっちはドMなので、心のなかで歓喜した。
入院5日目。
ついに来た手術日は、酷く長く感じられる一日だった。半身麻酔で痛みはないとはいえ、意識があるなかでの手術ははじまるまでやっぱりこわかった。ただ、手術がはじまり、本当に痛くないことが実感できると気持ちがやわらいだ。意外だったのは手術室にJ-POPが流れていたことだった(有線放送?)。患者の気持ちを安堵させるため流しているに違いないが、個人的には別になくていいじゃんと思ってしまう。だって嫌いな歌だったら嫌だもん。ちなみに手術直後に手術室に流れていたのはSEKAI NO OWARI「Dragon Night」と米米CLUBの「浪漫飛行」で、どっちも好きな曲でござんした。
手術が無事終わり、病室に運ばれ、しばらくベッドで安静にしていると、じわじわと吐き気がやってきた。口からこみ上げてくるものを我慢できず、看護師さんに用意してもらった器に透明の胃液(?)を2、3発吐いてしまった。
我慢を続け吐き気がおさまったのはよかったが、束の間だった。しだいに麻酔が切れてきて、今度は手術をしたかかとの痛みに襲われた。痛み止めの座薬は効果がなく、苦痛に耐えるしかなかった。
夜が来ると、おしっこに行きたくなった。ただ、体を起こすことは許されていないため、尿瓶にすることになった。看護師さんが尿瓶をちんちんにあててくれた。消灯により病室が薄暗く、その看護師さんがどんな人だったのかはっきりとはわからなかったが、なんとなく若い女性の雰囲気を感じた。先日に引き続き、ドMの自分は心のなかで歓喜した。しかしそれも束の間で、この日の夜は足の痛みで満足に寝ることができなかった。
入院6日目。
満足になることができずに、朝をむかえた。手術を終え、やっと口にものを入れることができるのは嬉しかった。朝食後に飲んだロキソニンが効果を発揮し、痛みが落ち着いてきた。さすがロキソニン。無人島にひとつ持っていくとしたらロキソニンに限る。
入院7日目。
手術をしたかかとの痛みはまだ残る。痛みに山があり、昼はマシだが夜になると痛みが増す。ロキソニンを飲み、耐えた。気を紛らわせるため、テレビを観まくった。
入院8日目。
痛みがだいぶ治まってきて、暇つぶしにテレビを観まくった。
入院9日目。
車椅子から松葉杖に出世した。とはいっても、まだ体が自由に動かせる状態ではないため、看護師さんに付き添ってもらい、シャワーを浴びることになった。付き添いの看護師さんはこのフロアでも1、2を争う若くて色白の美人だった。ばっちり全裸を見られ、僕の心のなかに潜む露出狂がガッツポーズした。
入院10日目。
看護師さんと患者さんの会話に耳をすませるのが楽しかった。僕のとなりの患者さんは語尾が「っす」とか「っすね」が口癖のヤンキー気質な男性で、歳はどっちか忘れたが28とか29だと看護師さんとの会話で知った。あと、ワケあって福島から静岡に来たこと(ワケは話したがらない様子)、既婚者で二人の子供がいること、トヨタのヴェルファイアからまたヴェルファイアに買い換えることなどを話していた。
入院11日目。
連日、テレビのニュースは台風一色。ノロノロ台風は今年の流行語になると確信した。
入院12日目。
この日もテレビを観まくった。それはもう、命和のナンシー関といわれそうなくらいテレビを観まくった。
入院13日目。
入院13日目の本日、台風のなか退院した。主治医の先生からは、「台風が過ぎてからの退院でもいいですよ」とのことだったが、過ぎるまではまだ2、3日もあり、ヒマすぎて死にそうだったため、親に車で迎えに来てもらい帰宅した。
「やっぱり家が一番落ち着く」とはありきたりな言葉だが、それを身を持って感じつつ、労災や県民共済の書類を書いたり、溜まりに溜まったネットの動画やXのつぶやきをチェックしたり、今こうしてブログを書いたりと、甘美な時間を過ごしている。
退院はできたものの、しばらく通院(リハビリ)が続く。主治医の先生いわく、松葉杖なしで動けるようになるには最低でも1ヶ月半かかるとのことだ。植木屋として現場復帰するまではしばらくかかるが、自分としては大変喜ばしいことだ。だってまだまだ続く暑さを回避できるから(不真面目)。
追記
写真は木から落下後、一日経過した足。腫れはまだパンパンだけど、前日よりも少しだけおさまった感じ。足の裏にもアザができるなんてびっくりした。