やっぱJ-POPが好き 自己満日記 -2ページ目

やっぱJ-POPが好き 自己満日記

J-POPと本が好き。水着が食い込んだアイドルの尻はもっと好きです。週末は図書館をうろちょろする、ケチで自由な独身のオッサンです。もちろん友達はいません。

仕事中に木から落ち、かかとを骨折し、入院し、手術し、退院し、今はたまに通院するくらいで、基本は自宅で療養中…といえば聞こえはいいが、ただ単に毎日毎日家でぐーたらしているだけである。

 

惰性とは手強いもので、働いていないのに働いていた時と同じくらい腹が減って、ついつい食い過ぎてしまうし、ひまつぶしにメルカリとかヤフオクを見ちゃうもんだから、無駄遣いをしてしまうし、ニコ生・ふわっち・ツイキャスをだらだら視聴しては、あっという間にウン時間も経っていて虚無感におそわれてしまう。

 

夜になって寝床につく時、自堕落な1日を過ごしてしまった後悔と、社会復帰できる自信がじわじわなくなっていく自分を感じ、なかなか眠れなかったりする。

 

そして次の日、性懲りも無く同じような1日を過ごしている。

 

以上、寝ます。

死後、天国や地獄はあるのだろうか。人はどこにいくのだろうか。何もない無の世界なのだろうか。何かに生まれ変わるのだろうか。

 

宇宙はどのようにはじまったのだろうか。

 

宇宙がはじまる前にも何か宇宙のようなものはあったのだろうか。

 

宇宙の果ての果ての果てのそのまた果てはどうなっているのだろうか。

 

そういった、死後の世界や宇宙の神秘ははっきりと解明されていないがゆえに、モヤモヤしてしまったり恐怖感を覚える。

 

そんな気持ちを少し和らげてくれる一冊と出会った(まだ読み途中)。それは過去に2度、生死をさまよい臨死体験をした木内鶴彦さんが、この体験から得た知見を書いた『「臨死体験」が教えてくれた宇宙の仕組み』だ。そのキーワードは五次元。

 

木内さんいわく五次元の世界とは、過去から未来にいたる生きとし生けるもののあらゆる記憶、経験、宇宙誕生から終焉にいたる膨大な情報が集まっている、膨大な意識体の空間のようなものだという。

 

2度の臨死状態のなかでこの五次元にアクセスできたことでわかった、宇宙は五次元のひずみによってはじまったことや、人間を含めあらゆる生き物は死後、五次元に戻るといった話は興味深いものがあった。

昔も今も変わらないオールドスクールなロックンロールの姿勢で歌う50回転ズが好きだ。もちろん、新曲の「NO FUTUREじゃいられない」も好きだ。いつまでも童心を忘れてはいけないと感じさせる名曲だ(ベタ惚れ)。

 

そんな本作は、スタジオにビンテージ機材を持ち込んで、メンバーのみでレコーディングとミックスを行ったという。「たしかに言われてみればビンテージ機材特有の音を感じるなぁ」と気づけるほどの耳を自分は持っていないのだけれど、メンバーだけのこだわりと情熱が詰まった、50回転ズ純度100パーの一作に思う。

 

追記

ジャケットの中央に写るドラムのボギーさんが、コレクターズの加藤ひさしさんに見える

 

昭和の東京の街やカルチャーに詳しい泉麻人さんの著書「50年代東京日記 City boysの時代」は、昭和50年代(1975年から1984年)の自身のエピソードを綴った、回想録のような一冊だ。泉さんいわく「前半のマスコミ思考のアホ学生から始まって、後半はコラムニスト駆け出しの時代となる。学生時代に憧れていた人とその4、5年後に仕事をご一緒していたのだから、しあわせな50年代だった」という。

 

泉さんの記憶力の高さと、未だに当時のメモ・日記・スケジュール帳を持っているという物持ちの良さが回想をより鮮明なものにしていて読み応えがあり、なかでもキャンディーズのエピソードは興味深かった。

 

昭和48年の秋にレコードデビューしたキャンディーズは、そのちょっと前からドリフターズの「8時だョ!全員集合」のコントに出演していたという。テレビは今以上に大きな影響力を持ったメディアなわけで、だからレコードデビュー前から知名度や人気はあったはずだがしかし、毎朝数分の番組で流れていたというデビュー曲も、つづく曲も大きなヒットにはならなかったというのは意外な話だった。ちなみにウィキペディアによると、昭和50年に初のヒットとなった「年下の男の子」は5枚目のシングルだった。

 

また、まだ高校生だった泉さんのこんなちょっとしたエピソードも、へぇ~だった。

通学していた慶応の付属高校は1学年ごとにクラス替えがあったが、高2のこの年のクラスには”キャンディーズ好き”で知られる自民党の石破茂がいた。しかし、石破クンとは当時さほど親しくもなく、デビュー当時のキャンディーズのことを語り合ったおぼえはない

松葉杖生活も2週間。この生活にもすっかり慣れたが、自由に歩けていたときと比べ、松葉杖を使っての歩行は軽快には動けず、体力の消耗も早い。だから計画的・効率的に行動するよう心がけるようになった。ただ、無駄な行動があっても、それはそれで体力作りになって健康的だと思う。

 

松葉杖無しで仕事(植木屋)に復帰できるようになるのはまだまだ先で、毎日が休日だ。そんなわけで、ついつい夜更かしをして、だらだらとネットを眺めてしまう。これは改善しないといけない。怪我をした足以外は健康でいなければならない。だから規則正しい生活を心がけたいと思う。ただ、人生はまだ長い(だろう)し、完治するまではしっかりとだらだらするのもまぁいいではないかとも思う。

その地元にしかない、その地元に根づいたローカルなお店に足を運ぶのも、その地に訪れたことをリアルに感じられて楽しい。「すごいローカルチェーン100」にはそんなスーパー、コンビニ、レストランを紹介した一冊だ。

 

うちの地元静岡にはどんなお店が紹介されているか期待してページをめくると、しずてつストアーだった。意外と知らなかったお店が知れると思っていただけに、ちょっと残念だった。けれどそれこそ地元に根づいている証拠。他の都道府県の出身者からしたら新鮮に映るのかもしれない。

 

ちなみにしずてつストアーはほんのりハイソな雰囲気と品揃えのスーパーで、たまに行くことがある。肉厚で具が詰まった蓬莱の肉まんはジューシーで美味い。ちょっとだけ値が張るけど。

 

おとぎ話の「HELL」は原点回帰といったらいいのか、懐かしくてほっこりするアルバムだった。

 

2000年のデビューからもう20ウン年経ち、メンバーの佇まいは以前にも増して渋みが増したけれど、アルバムの「恋は水色」「ね。」「絵画」「正義の味方」を聴いていると、デビュー当時のちょっと青臭くて、ポップで、ロックなおとぎ話が浮かび、懐かしさが込み上げる。もちろん今のおとぎ話でしか出せない音楽を奏でているのだろうけれど、感受性も語彙力も低い自分にはそれが言葉にできないのでございます。

 

ラストの「正義の味方」はアルバムのなかでもとりわけ好きな一曲だ。臆病な半面、プライドは人一倍高い、そんな思春期ド真ん中の青年の恋心を歌った、不器用でやさしくて強い一曲だ。

先月、木から落下し、かかとを骨折し、入院し、手術し、退院し、これから通院・リハビリの生活がはじまる。

 

ちょっと前まではエゲツないと思っていたけれど、かかとから打たれた10cmくらいの2本のピンを見るのもすっかり慣れたし、一日一回、ピンのまわりから出てきて固まった血を拭きながら消毒するのも慣れた。

 

不安なことといえば、2、3週間後にピンを抜かなければならないことだ。想像するだけで痛い。

 

主治医の先生いわく、「小学生でも普通に耐えられる程度の痛み」と言っていたが本当だろうか。また、「注射も針が刺さったときは痛いけど、抜くときは痛くないから、それと同じ」とも言っていた。その言葉を聞いたときはなるほどと思った。けれど、ピンは麻酔が効いているときに打たれたわけで、普通の注射とはワケが違うのだ。

 

抜くのって、やっぱちょっと痛いだろうなぁ。

しばらくブログを更新できずにいた。というのも2週間ほど前、木から落ちて骨折し、入院をしていたからだ。

 

ちょっと詳しく書きたい。

 

某所で木に登って枯れた枝を切っていたところ、足場にしていた幹が折れてしまい、6メートルくらいの高さからほぼ直立した体勢で落下してしまった。

 

頭を強打することなく落ちたことは不幸中の幸いだった。ただ、左足のかかとに全体重がかかるような状態で着地したことで、かかとに激痛が走った。痛みが治まるまで、近くにあったベンチでしばらく休んでいたが、きっとただの打撲では済まないだろうと不安だった。

 

病院でレントゲンとCTを撮った結果、案の定、骨折だった。それもほっとければ骨と骨がくっついて完治するような単純なものではないらしく、手術をすることになり、即日入院した。

 

入院1日目。

お盆休み明け、ふたたび酷暑のなかでの作業がはじまった矢先、唐突に特大の連休を得た嬉しさと、手術の恐怖や、労災や保険などの手続きの面倒くささを思い、1日目が終わった。

 

入院2日目。

手術の日が明明後日に決まった。手術は半身麻酔で行うとのことだった。半身麻酔での手術ははじめてで、不安な気持ちに。主治医の先生から「(手術は)不安ですか」と訊かれ、「こわいです」と返答した。「不安です」よりも「こわいです」の方が、より不安な気持ちが伝わると思ったからだ。まあ、伝わったところでって話だけど。

 

入院3日目。

午前中、入院してはじめてのシャワーを浴びた。まだ車椅子生活のため、安全に服を脱ぎシャワーを浴びれるかどうか、ふたりの看護師さんがサポートについた。看護士さんのひとりは腕に自傷行為と思われる傷があるが、20代くらいのキュートな女性だった。服を脱ぐときに(たぶん)ちんちんを見られたけど、ドMだから嬉しかった。

 

午後は骨折してずれてしまった部分を正しい位置に戻す、「整復」という治療を受けた。主治医(まだ20代に見える若いお姉ちゃん)が自らの手でグイッと骨を戻そうとするのだけれど、これがめちゃめちゃ痛かった。「いったぁ」と声を出して痛がる都度、主治医さんが「ごめんねぇ…ごめんねぇ…」と優しい言葉をかけてくれた。結局、良い具合に整復はできず、痛い思いをしただけだったが、まだ20代に見える若いお姉ちゃん(主治医)に優しい言葉をたくさんかけられ嬉しかった。

 

入院4日目。

この日は手術の前日。手術に向けて、お腹のなかをなるべく空っぽにしないといけないらしく、浣腸を打つことになった。打ってくれた看護師さんは度のきついメガネをかけた黒髪でちょっと垢抜けない少女のような美女だった。もちろんこっちはドMなので、心のなかで歓喜した。

 

入院5日目。

ついに来た手術日は、酷く長く感じられる一日だった。半身麻酔で痛みはないとはいえ、意識があるなかでの手術ははじまるまでやっぱりこわかった。ただ、手術がはじまり、本当に痛くないことが実感できると気持ちがやわらいだ。意外だったのは手術室にJ-POPが流れていたことだった(有線放送?)。患者の気持ちを安堵させるため流しているに違いないが、個人的には別になくていいじゃんと思ってしまう。だって嫌いな歌だったら嫌だもん。ちなみに手術直後に手術室に流れていたのはSEKAI NO OWARI「Dragon Night」と米米CLUBの「浪漫飛行」で、どっちも好きな曲でござんした。

 

手術が無事終わり、病室に運ばれ、しばらくベッドで安静にしていると、じわじわと吐き気がやってきた。口からこみ上げてくるものを我慢できず、看護師さんに用意してもらった器に透明の胃液(?)を2、3発吐いてしまった。

 

我慢を続け吐き気がおさまったのはよかったが、束の間だった。しだいに麻酔が切れてきて、今度は手術をしたかかとの痛みに襲われた。痛み止めの座薬は効果がなく、苦痛に耐えるしかなかった。

 

夜が来ると、おしっこに行きたくなった。ただ、体を起こすことは許されていないため、尿瓶にすることになった。看護師さんが尿瓶をちんちんにあててくれた。消灯により病室が薄暗く、その看護師さんがどんな人だったのかはっきりとはわからなかったが、なんとなく若い女性の雰囲気を感じた。先日に引き続き、ドMの自分は心のなかで歓喜した。しかしそれも束の間で、この日の夜は足の痛みで満足に寝ることができなかった。

 

入院6日目。

満足になることができずに、朝をむかえた。手術を終え、やっと口にものを入れることができるのは嬉しかった。朝食後に飲んだロキソニンが効果を発揮し、痛みが落ち着いてきた。さすがロキソニン。無人島にひとつ持っていくとしたらロキソニンに限る。

 

入院7日目。

手術をしたかかとの痛みはまだ残る。痛みに山があり、昼はマシだが夜になると痛みが増す。ロキソニンを飲み、耐えた。気を紛らわせるため、テレビを観まくった。

 

入院8日目。

痛みがだいぶ治まってきて、暇つぶしにテレビを観まくった。

 

入院9日目。

車椅子から松葉杖に出世した。とはいっても、まだ体が自由に動かせる状態ではないため、看護師さんに付き添ってもらい、シャワーを浴びることになった。付き添いの看護師さんはこのフロアでも1、2を争う若くて色白の美人だった。ばっちり全裸を見られ、僕の心のなかに潜む露出狂がガッツポーズした。

 

入院10日目。

看護師さんと患者さんの会話に耳をすませるのが楽しかった。僕のとなりの患者さんは語尾が「っす」とか「っすね」が口癖のヤンキー気質な男性で、歳はどっちか忘れたが28とか29だと看護師さんとの会話で知った。あと、ワケあって福島から静岡に来たこと(ワケは話したがらない様子)、既婚者で二人の子供がいること、トヨタのヴェルファイアからまたヴェルファイアに買い換えることなどを話していた。

 

入院11日目。

連日、テレビのニュースは台風一色。ノロノロ台風は今年の流行語になると確信した。

 

入院12日目。

この日もテレビを観まくった。それはもう、命和のナンシー関といわれそうなくらいテレビを観まくった。

 

入院13日目。

入院13日目の本日、台風のなか退院した。主治医の先生からは、「台風が過ぎてからの退院でもいいですよ」とのことだったが、過ぎるまではまだ2、3日もあり、ヒマすぎて死にそうだったため、親に車で迎えに来てもらい帰宅した。

 

「やっぱり家が一番落ち着く」とはありきたりな言葉だが、それを身を持って感じつつ、労災や県民共済の書類を書いたり、溜まりに溜まったネットの動画やXのつぶやきをチェックしたり、今こうしてブログを書いたりと、甘美な時間を過ごしている。

 

退院はできたものの、しばらく通院(リハビリ)が続く。主治医の先生いわく、松葉杖なしで動けるようになるには最低でも1ヶ月半かかるとのことだ。植木屋として現場復帰するまではしばらくかかるが、自分としては大変喜ばしいことだ。だってまだまだ続く暑さを回避できるから(不真面目)。

 

 

追記

写真は木から落下後、一日経過した足。腫れはまだパンパンだけど、前日よりも少しだけおさまった感じ。足の裏にもアザができるなんてびっくりした。

 

暇つぶしにユーチューブを開いたところ、動画のサムネイルに写る、広瀬すずを思わせる美貌の女子に目を奪われ、クリックしてしまった。流れてきたのは「18才の夏休み」という一曲だった。

 

十八、夏休み、恋、アイス、蝉、青空、駄菓子屋…。そんな夏の青春キーワードが、どこか懐かしくてキラキラしたメロディに乗せて歌われる一曲だった。こういう一曲を聴くと、それとは真逆の冴えない日々を送っていた僕の学生時代をふと思い出してしまう。

 

僕の18才(高三)の夏休みは、美大受験の予備校の夏期講習に通う毎日だった。予備校は東京にあり、実家の静岡から通える距離ではなかったため、神奈川に住む親戚のマンションを宿にして通っていた。最初は緊張感を持って真面目に通っていたのだけれど、日に日に予備校の雰囲気にも慣れてきて、講習をサボることが多くなった。

 

サボって何をしていたかというと、当時、静岡になかったタワレコで誰かの新譜を視聴機で聴いたりしていた。なかでもよく視聴したのはアンドリューW.K.の「I Get Wet」だった。予備校には職人のように巧いデッサンを描く浪人生や優秀な現役生が多くて劣等感を持ってしまうけれど、この一曲を聴いているときは受験生というプレッシャーを忘れ、最強の気分になれた。もう何度繰り返し視聴したことだろう。何を歌っているのかはわからなかったけれど。

 

っていうか、音楽レビューをするつもりで書きはじめたのに、自分語りが止まらない。いっつもそうだ。

 

以上、寝ます。