1997年の第1回全世界ウエイト制大会は、初めて体重別で競われる全世界大会です。大相撲の本拠地、東京の両国国技館で開催され、大山総裁の三年祭の神事も試合場で行われました。試合が始まる前に神妙な気持ちになりました。
また、大会の翌日には三峰山の三峯神社内に「大山倍達之顕彰碑」が建立され除幕式が行われたそうです。それから十数年後に私は道場の仲間達と三峰山を訪れることができました。
重量級決勝のフランシスコ・フィリォ×グラウベ・フェイトーザはブラジルの兄弟弟子対決でした。高尾正紀に前蹴りで一本勝ちし勝ち上がったフィリォ。田村悦宏にブラジリアンキックで衝撃の一本勝ちをし、ニコラスとの激闘を制したグラウベ。主審は二人の師匠の磯部師範という、これ以上ない舞台。試合は派手なブラジリアンキックの応酬を期待しましたが、弟弟子のグラウベが蛇に睨まれた蛙状態のようで、フィリォが兄弟子の貫禄で一方的に攻め下段回し蹴りで技ありを奪い快勝。初代全世界重量級王者が誕生しました。
軽重量級決勝は高久昌義×堀池典久の日本人ライバル対決。城南支部で数見肇と切磋琢磨する高久は着実に勝ち上がり、キングオブキョクシン中村誠師範に鍛えられている堀池は一本や技ありを取り絶好調。試合は互角の戦いが続くが延長の後半で高久の動きが勝ったようで判定勝ち。大きな目で相手の目をしっかりと見て戦う高久が初代全世界軽重量級王者となりました。
堀池×高久
中量級の木山仁×ギャリー・オニールは、全世界大会4位、全日本大会準優勝と小兵ながら無差別での実績を誇るギャリーに対して、代表選考会で滑り込み出場の木山。誰もがギャリーの圧勝と考えるなか、木山のギャリー対策が素晴らしく、ギャリーのステップからの蹴りの大技を見切り、要所々々で突き蹴りのラッシュをかけ、まさかの下克上を達成。

木山×ギャリー
木山は準決勝の木立裕之、決勝の足立慎史との日本人対決を制し見事に初代全世界中量級王者を勝ち取りました。
軽量級準決勝の成嶋竜×ピーター・サウィッキー(ポーランド)は、優勝候補の「一撃の竜」成嶋に対し、サウィッキーは蹴りの大技を連発し成嶋は接近できずに得意なパターンに持ち込めず。再延長まで同様の展開となり、優勝を義務づけられた成嶋がまさかの敗退となり、応援していた私も残念でした。

成嶋×ピーター
サウィッキーは決勝戦レチェク・ジャジェビニアクとのポーランド同門対決を制し、初代全世界軽量級王者となりました。
大山総裁の三年祭ではじまった、大山総裁時代にはない初めての体重別の全世界大会。各階級少数精鋭のレベルの高い大会で、四階級全てが同じ国の選手同士の決勝となり、二階級で外国人初の世界チャンピオンが誕生しました。

第2回全世界ウエイト制空手道選手権大会
2001年の第2回全世界ウエイト制大会、私は道場に入って二年目で茶帯となっており、道場の多くの先輩、同輩、後輩達と大阪府立体育会館で観戦しました。大阪難波界隈での道場の仲間との楽しい飲み会は本当に良い思い出です。
重量級決勝は数見肇×門井敦嗣の対戦。後の全世界大会王者ブラジルのテイシェイラ、全世界大会3位のピチュクノフを破って絶好調の門井に対して、ブラジルの実力者セルジオ、後の全世界大会準優勝のプレカノフに薄氷の勝利と誰が見ても絶不調の数見。正直、今回は数見が負けると思いました。しかし、そこは歴戦の強者・数見肇がまさかの底力を発揮し門井の野望を砕きました。やはり数見は強かった!
門井×数見
軽重量級決勝は木山仁×セルゲイ・オシポフの対戦。ここまで突きからの鋭い上段回し蹴りを武器に、池田祥規、池田雅人、田中健太郎と日本代表を立て続けに下して勝ち上がってきた不気味な強さのオシポフ。木山も軍門に下るかと思われたがオシポフの鋭い上段の大技に確実に反応し、アグレッシブに攻め込み堂々の勝利は素晴らしかったです。木山は二階級制覇しました。
木山×オシポフ
中量級準決勝はエミル・コストヴ(ブルガリア)×ホスロ・ヤグビ(イラン)の対戦。ロシアの強豪バクーシンから飛び二段回し蹴りで一撃KO勝ちし、日本の伊藤慎にも勝った日本の道場で稽古するホスロ。勢いに乗ったホスロが鉄の拳を持つコストブに挑むが、コストブの壁は厚く突きと内股蹴りで攻められ敗退しました。

コストヴ×ホスロ
コストヴは決勝で木立裕之から上段膝蹴りで一本勝ちを納めて優勝。試合終了後に道場のイラン人の先輩が旧知のホスロとハグ&キスをしだしてビックリでした!
軽量級準決勝の福井裕樹×リュウジ・イソベ。リュウジは極真会館南米地区責任者、ブラジル支部長の磯部清次師範のご子息。その足技は足技自慢のブラジル勢の中でもピカイチ。ブラジリアンキック(打ち下ろす変則回し蹴り=縦蹴り)は芸術品の域。秘かに優勝してほしいと応援していましたが、福井の反射神経が良く、良い蹴りをもらわず互角。試し割り判定で福井の勝ちとなり残念!(すいません)

福井×リュウジ
リュウジとの激闘に辛勝した福井ですが、決勝では中村誠師範門下の田ケ原正文が安定した戦いで福井に判定勝ちし優勝しました。
結果的に四階級の内、三階級で日本が王座をとりましたか、内容的には圧勝というわけではなく、二年後の無差別の全世界大会での王座奪還が楽しみでもあり心配でもありました。そんなことを道場の仲間と話ながら、近鉄特急で名古屋に帰りました。

第3回カラテワールドカップ
2005年の第3回カラテワールドカップは、大阪府立体育会館で開催され、高校生の時に極真空手の同好会で一緒に稽古した、正義塾の山田保斉塾長を誘って二人で大阪へ行き観戦しました。
山田塾長は試合観戦もさることながら、試合場の片隅で試合前にアップをする有力選手の観察にも熱心で、世界の一流選手のアップの様子を貪欲に吸収しようという指導者の顔になっていました。山田塾長の緻密な指導により、松田道場主催の若鯱杯大会において、正義塾から毎年のように優勝を含む入賞者を排出しています。
重量級の塚本徳臣×デニス・グリゴリエフ(ロシア)は第1回重量級王者×第2回重量級王者のチャンピオン対決。一進一退の攻防が続くなか、下段回し蹴りで注意を下に集めてからの、塚本の代名詞「マッハ蹴り」が決り、デニスは崩れ落ちていきました。場内が最高に盛り上がったことは言うまでもありません。
塚本が勢いに乗って優勝するかと思われましたが、続く準決勝で巨漢の塚越孝行に敗れ、塚越は決勝でドナタス・イムブラス(リトアニア)に試し割り判定で勝ちを納め重量級王者となりました。
中量級はヴァレリー・ディミトロフ(ブルガリア)が、代名詞の「ヴァレリーキック」(下段踵蹴り)や多彩な技を駆使して日本代表など他の選手を寄せ付けず余裕で優勝を決めました。まさに「ブルガリアの神童」と呼ぶに相応しい活躍でした。

ヴァレリーのヴァレリーキック
軽量級は無差別の大会でも数々の実績を誇る、日本のベテラン谷川光が安定した試合運びで、第1回カラテワールドカップに続き再び優勝を果たしました。「人間風車」と呼ばれた回り込む動きの元祖で、中指一本拳での攻撃や大車輪キックなど個性的な技の持ち主でした。

谷川の人間風車と呼ばれた回り込む動き
この大会の翌月に守山道場を始めることになっていた私は、行き帰りの近鉄電車の中で道場での指導や運営などについて、空手道場主である正義塾・山田塾長に様々な教えを受けたことは言うまでもありません。私にとって朝から夜まで空手一色の、本当に有意義な一日となりました。
(文中敬称略)
埼玉県奥秩父三峰山の大山倍達之顕彰碑にて