『名古屋 空手物語 ~怪物志願~ 』第77話



《愛知支部黒帯 第一期生から辿る足跡 其の㉕》


Оクンの空手仲間である(川合)鬼の四課デカ長がZ道会の名古屋支部長に就任する予定だと云う事デ、Оクンからの誘いも有り一緒にセミナーへ参加する為、長野県飯田市高森町の小沢代表の所まで行って来た。
私の家からだと片道、車デ3時間半の強行軍であり、高速道路と食事とセミナーで日曜日を一日費やした。


セミナーと云っても、Оクンも(川合)鬼の四課デカ長も私の○○空手愛知支部○○○道場の後輩だから、空手は出来る(二人共、此れまで空手に長年携わって来てルし…ネ)。
セミナーでZ道会の小沢主席師範から直接指導を受けたのは、マウント関連であった。
Z道会は、総合格闘技を標榜する空手団体である。


Оクンは、高校時代に柔道部だったから未だ「投げ」と「寝技」(「関節」は、高校生では遣らないカモ知れない)の経験があるが、私も(川合)鬼の四課デカ長も「殴る」「蹴る」以外は初体験である。
全くの初心者としテ、セミナー(実地体験)に臨ンだ。


名古屋は雨模様だったが、恵那の長ぁ~いトンネルを脱けたら雪に変わって居た(川端康成の小説『雪国』みたいデ少し感動モノでしタ)。
道場近くの焼肉屋デ昼食を摂る。「3大会連続 内閣総理大臣賞受賞 日本一の宮崎牛 極上の風味」の張り紙が貼って有った。
我々愛知県民の地元スーパーで手に入る最上級国産牛肉は、「飛騨牛」である。流石に「宮崎牛」は此れまで食した事が無い。知り合いには食した奴が居るけれど、「宮崎牛」が一番美味いと叫ンで居た。


「ディヤーナ国際学園 空手・格闘技道場 アトラスアスレチック」の看板が有る道場へと入る。
「投げ」と「寝技」と「関節」の説明は小沢主席師範にして貰えたが、実地の相手は青い道着を羽織った17歳の青年ダ。今年の3月からは大学生だと云う。
習うコチラは4名だが、私とОクンと(川合)鬼の四課デカ長の3名は既に60歳を越えている。


まるで孫との稽古であるが、向こうは17歳に成るまでの10年間を「投げ」「寝技」「関節」のマウントに費やして来ている。
今回は、総てがマウントのセミナーだから、パワーだけで何とか出来る相手では無い。
例に拠っテ、セミナーの内容の詳細は勝手には語れないけれど、マウントを初体験しテ感じたのは、我々の様に純粋な空手しかした事の無い人間の寝技関係のイメージとは懸け離れた技だったと云う事ダ。
勿論、総合格闘技の試合は、何度も視聴している。「腕十字」や「アキレス腱固め」も、イメージとしては知って居るけれど実際の技は矢張り違う。


我々の様な空手の専門家は、「腕拉ぎ逆十字」を掛けた場合、10、20、50%みたいな感じデ相手の腕を絞って行く。「早くタップしろヨ」と思っている状態でも、絶対に100%は締めていないダロゥ・・・。
処が柔術の専門家は、固めに入った瞬間に100%…否、200%で決める。此れは、眼から鱗ダ。
今回、マウントを体験するまでは、柔道や柔術は多人数相手の喧嘩で役に立たないと考えて来た。
しかし、此奴らは僅か数秒デ相手を転がしテ固めに入った瞬間関節をブチ壊す。最初の人間が関節を壊された後に残った奴らが果たしテ掛って行けるダロゥか!?


逆に学ばせテ貰えたと云う感触だった。我々空手家も、一瞬デ相手をブッ壊す気概が無くては、折角稽古デ磨いた「突き」も「蹴り」も実践の役には立たないのダ。
もし、相手が刃物を持って居た場合、コチラの拳がナイフ拠りも恐ろしいと相手に伝わらなけれバ為らないのである。
其れは、拳道会の土管割りの「手刀」や「裏拳」であり、大相撲の旭道山関の「張り手」カモ知れない。
兎に角、一発デ相手が膝ざま詰き、骨折して仕舞う程の一撃ダ。


早速、自分の道場デ道場生に語った。
「お前達ネェ、喧嘩デ相手が3人だとする。普通は、3人共に伸バさなけりゃ駄目だと思っチまうわナ。でも、最初に向っテ来た1人目を徹底的に伸バして仕舞えば良いンだヨ。其奴がグループのリーダーなら尚更ダ。其の後デ向って来られる奴はそんなに居ない筈だし、仮に10人居テ其の全員が命懸けデ向って来られる奴らばっかりだったら天下が取れるゾ(爆笑)」
「譬えバさ、こんな事は絶対無いダロゥけど、極真のチャンピオンと街中で喧嘩に為ったとすルじゃない…空手では勝てンわナ(苦笑)。でも、マウントを覚えテ於けバ、柔術の専門家には勝てン程度でも、相手が空手の大会しか知らないのなら、何発かの蹴りや突きは受け捌いテ転がし関節を破壊する事も可能カモね(笑)」


と、まぁ道場生にはデカぃ事を云いながら、セミナーで17歳の高校生指導員に投げられるのをパワーで堪えたら、左太腿の裏側筋を伸ばしテ仕舞った。
道場生には常々、「投げの専門家に投げられソォになったら俺達空手家が我慢しテも無理だから、大人しく投げられロ。寧ろ、自分から先に転がった方が勝機を見出せるゾ。片脚を持たれた時も、ケンケン跳びデ我慢する拠り相手を道連れにして倒れ込ンだ方が何とか成るモンさ」…等とほざいとる自分が高校生相手に醜態を晒して仕舞った(苦笑)。
やっぱ駄目だワ。普段遣って無い事は、瞬発的には出来ンもんだ(爆笑 自戒訓なのに)。


道着のズボンを下ろして左太腿の裏側を直に小沢主席師範に観て貰う。
「どう為ってマスか!?」
「内出血は無いンで腱が切れてはおらズ、伸びたダケでしょうネ。痛みマスか!?」
「エェ…左足に体重を懸けると、カクンと身体が落ちソゥです」
「座って氷で冷やしましょう。3日間冷やしたら、其の後は温めて下さい」
てな訳デ、私は一人抜け小沢主席師範の隣に座り、残り3名の寝技押さえ込みからの肘関節固め稽古を見学する事になった。
小沢主席師範が、ОクンとОクンの弟子(Оクン道場師範代)の寝技関節稽古を観て居て動き出した。見本を示すと云う。Оクンの上に重なった小沢主席師範が、密着した盡でスルスルと動き数秒にしテ腕拉ぎ逆十字を掛けて仕舞った。
タップする間も無く、Оクンが「痛たたたた・・・」と先に叫ぶ。小沢主席師範は、三回程同じ攻めを繰り返した。
Оクンの絶叫を訊きながら、(ダウンタウンの浜田と同じくサド体質の)私は椅子に腰掛けもっと観たいと爆笑していた(笑)。


あ~ぁ、寝技からの関節…稽古したかったナァ。我々が遣ると、身体をぴったり密着した盡、ああも鮮やかに動けないダロゥ。どれダケの稽古の繰り返しが必要なのか知らん・・・・・・
寝技の時は、肘や膝で相手の耳を痛め付けているのが能く判った。畳に擦り付けられ、肘や膝でグリグリと耳を攻められる事に拠り、総合格闘家の耳はカリフラワー状態なのだナと。
柔道経験者のОクン曰く、海外ではカリフラワー耳は格闘家の尊敬の的らしい。此れは関係ないが、もう一つのОクンの持論を…東欧や欧米の様な海外では、髭を生やしテ年上にみられる事が男の望みである。
東洋の何処かの周辺国では、無駄毛を無くしテ中性的な男性がキャアキャアと女性に騒がれる。若く観られるそんな時代が私くしの昭和以降、長らく続いた。しかし最近になっテ、ジャ○○○の問題がニュースで流れ昭和からの最大有名芸能社の名称が消えた。
日本も韓国も、東欧や欧州諸国の様に男性ホルモン剥き出しの時代に還るのか!? ハタ又、老若男女ビジュアル系の若者が此れからもチヤホヤされる時代が継続するのか!? だソゥである(笑)。


3対1や5対1の喧嘩の話に少し戻るケド、ソゥ云う世界の頭目の方から訊いた教訓としては、「先に殺ると決めた方が強い」だった。


私が感銘を受けた気魄を物語る書物が何点か有る。
此れまでも、此の連載の中デ都度表記して来た。望月三起也の漫画『俺の新選組』デ、新選組の多摩近藤派の土方歳三が水戸芹沢派の新見に棍棒デ小突かれ散々に殺られテ居たのに、日本刀を抜いた瞬間から狼に変貌する場面。若しくは、徳川四天王の一人、本田平八郎忠勝が道場稽古デ全く勝てなかった相手に真剣勝負を挑まれ、鎧兜を身に付け蜻蛉切の槍を手に馬デ決闘場所に出向いた処、相手が遁走した場面などetc.etc…覚えて於いデならバ幸いデス。
又、一つ新たな場面を御紹介しましょう。


『闘いて候う』(森田雅 洋泉社刊)…小説家の(故)安部譲二氏が語る処に拠ると、安藤組の最強は花形敬氏では無く森田雅氏との事。其の安藤組大幹部森田雅氏の第二弾の著作ダ。残念ながら、其の執筆途中で森田氏はお亡くなりになられましたが、其の書籍からの抜粋デス。


森田雅氏が或る親分の身柄を攫って閉じ込めて居た場所に安藤社長が顔を出した。丁寧に挨拶をし掛けた安藤社長に対し、拉致された親分が毒付き暴れ出したから、森田雅氏は親分を押さえ込もうとして失態を演じる。
背後に物凄い殺気を感じて振り向く森田雅氏の眼に飛び込ンで来たのは、五寸釘を先端に打ち込ンだ安藤組特有の殴り込み用棍棒を振り上げテ、親分の脳天に躊躇なく叩き込もうとして居る安藤社長の姿であった。


~安藤は眼光や疵の威力のほかに、それこそ身体全体が攻撃のかたまりとなっていた。しかも冷静に、私を重森親分から遠ざけてから自分で五寸釘棍棒を生身の人間に打ち込もうとする、その瞬間の安藤の姿全体から放たれる殺気、それは凄まじく、恐ろしい迫力だった。この安藤の怒った正体を直に見た人たちは、あの数々の彼の歴戦の犠牲になった人たちを除けば(彼らは真っ向から見てやられたのだから知っているだろうが)我々若手組では私一人ではないかと思われる。ウルフ以上のヒョウの化身が今まさに獲物を噛み砕かんといった凄惨な感じがしたものだ。安藤のあの非の打ちどころがないような端正な面立ちが、一瞬にして取りつく島もない酷薄な形相となったのだ。何んと表現したらよいのか、とにかく譬えようもない「特別の男」を目の当たりにして、これなら大抵の悪党どもは呆然自失、降参してしまうだろう、と改めて安藤昇という男の強さを納得したのだった~


安藤昇氏自身も、御自身の著作の中で色々と語っておられる。
「ヤクザは辞めたが、男を辞めたつもりは無ぇ」
「片手で絶壁にぶら下がっているとする。どうするか!? 俺は、其の片手を離してみるね」


当に昔から云われて来た「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の格言其のモノである。



長くなりましたのデ、本日は此れまでと致しマス。


【※此の作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、一切関係ありません】