神社仏閣探訪シリーズ。
少し前になりますが、7月10日の土曜日に京都の東福寺を訪れてきましたので、写真と覚書などを残しておきます。
東福寺は京都市東山区にある禅寺です。最寄り駅は京阪またはJRの東福寺駅ということになりますが、京阪の場合は鳥羽街道駅からでも近いです。
3年前に訪れた泉涌寺(→こちら)は東福寺のすぐ近くです。泉涌寺は敷地の広いお寺でしたが、東福寺もと負けず劣らず広く、その周囲のお寺も含めるとかなりの広さになります。くまなく見て回るのはなかなかたいへん、時間の余裕が必要です。
いつもなら淀屋橋から京阪特急でいくところですが、今回は諸事情によりJRで京都まで出たあと、東福寺駅までJRで行きました。JR京都駅からJR東福寺駅は1駅です。
東福寺は何といっても通天橋が有名です。混んでいるかなと思って訪れましたが…、この日はガラガラでした 笑。7月上旬はコロナ第4派も一段落したころだったと思いますが、それでも人は少なく、のんびり巡ることができました。
今ごろはちょうど紅葉のシーズンですので、さすがに人は少しは復活しているのかもしれません?
東福寺の周囲には小さなお寺もたくさんあります。
いくつかのお寺が並ぶ道を抜け、東福寺へ。
青々とした木々が心地よい季節です。(今は少し季節外れ…笑)
しかし暑さはかなりのものでした。
西側の門。
敷地内に入ると、さっそく通天橋へと向かう回廊が見えてきます。
まずは通天橋の方に向かいます。(ちなみに通天橋方面は有料です。)
通天橋の様子。
おそらく混雑しがちなスペースと思われますが、この日は人もそんなに多くなかったです。
長く続く回廊がよい雰囲気です。
奈良の長谷寺の回廊も長かったですが、こちらもなかなかのもの。
通天橋から見る盛夏の緑の様子。
こちらはお寺の西の方から、遠目で通天橋をとらえた1枚。
この角度の方が有名かもしれません。
今はちょうど紅葉の季節ですので、今ならもっと綺麗な写真が撮れそうです。
(これ以外にも偃月橋、臥雲橋という橋もありましたが、写真は省略。)
東福寺は臨済宗東福寺派の大本山です。
鎌倉時代に摂関家の九条兼家によって創建されたと言われ、開山は円爾というお坊さんです。発願が1236年、諸堂の完成が1271年とのことですので、形になるまで実に35年もかかっています。
12世紀後半は戦乱の時代でしたが、13世紀は諸寺復興の時代、1236年~1271年といえばちょうど承久の乱と元寇の間ですので、比較的落ち着いていた時代なのかもしれません。
ちなみに東福寺の名前は、奈良の東大寺と興福寺から1字を取り、合体させた名前なのだそうです。
その後の室町時代には京都五山に列せられた格の高い禅寺。
畿内のお寺は、室町後期から戦国時代にかけて兵火に遭い、一時的に衰退したお寺も多いですが、東福寺は解説を見る限り、無傷というわけではないにせよ大きな衰退の形跡はなさそうです。畿内の他のお寺と同様に豊臣秀吉から徳川家光の時代にかけて諸堂の改修なども行われ、それなりの規模を維持したまま現在に至っているようです。
自分の見た印象では、幕末維新期の関連の碑などが多いように感じました。鳥羽伏見の戦いの際には東福寺に長州藩の陣が置かれていたと言われますので、その関係なのかもしれません。
日露戦争時には一時的にロシア兵の捕虜収容所になったというエピソードもあるようです。
文化財も多数所有しているお寺で、中でも無準師範像が美術ファンの中では最も有名かもしれません。
伽藍の様子です。
三門。
この門がかなり良かったです。
柱から屋根にかけての装飾も良い感じ。
ちなみにこの門は国宝に指定されています。
敷地内の雰囲気。
見よ、この人の少なさを 笑。
こちらが本堂。
本坊。
この建物も良い感じで気に入りました。
こちらは愛染堂。(これは有料スペースです。)
八角形の建物です。中には愛染明王がいました。
開山堂とその庭園。(これも有料ゾーン。)
実は開山堂の左側は工事中で、この写真は工事の部分を避けて撮影しています 笑。
いくつかの碑の記録です。
如空の句碑。
如空とは鎌倉時代後期の禅僧、如一のことのようです。
ちなみに普通に「如空」で検索すると、お酒しか出てきません 笑。
維新戦役忠魂之碑。
戊辰戦争などの戦没者を弔う碑のようです。
防長忠魂碑。
鹿児島藩招魂碑。
薩長関係の碑も目立ちます。鳥羽伏見の戦いとの関連と思われます。
意外と維新前後の碑が多いのも東福寺の特徴。
日蓮柱の碑。
禅寺のはずですが、謎に日蓮の碑も立っています。
「真言は亡国、念仏は無間地獄、禅は天魔、律は国賊」と他宗を排撃した日蓮ですが、意外と禅寺にも関わりがあるのかも?
7月上旬なのでアジサイがまだ残っていました。
こちらは蓮の花。
蓮はちょうどこのころがシーズンです。蓮は朝に咲くと言われますが、この日の訪問はお昼過ぎ、意外とお昼以降でも花は残っているようです。
蓮の密集地帯。
こちらは皇室の方々の寄贈による木々です。いずれも昭和天皇の弟とその配偶者による寄贈です。
夏ですが紅く色づいています。
高松宮夫妻による植樹。
三笠宮夫妻による植樹。
しかしなぜか秩父宮は配偶者による寄贈だけ…?
何かあったのかと勘ぐってしまいます 笑。
東福寺はその周囲にも小さなお寺がたくさんあります。
そのなかのいくつかをピックアップ。
退耕庵。
1346年創建の同じく臨済宗のお寺です。鳥羽伏見の戦いの殉難者の菩提寺でもあるそうです。
碑も残っていました。
こちらは別のお寺のかわいい六地蔵。
芬陀院(雪舟寺)。
1321~4年の創建。
室町時代の有名な画家である雪舟が、東福寺参拝の際に立ち寄ったと言われているため、雪舟寺とも言われます。
雪舟庭園の案内。
雪舟は幼いころに涙でネズミの絵を描いたというエピソードがあるためか、ネズミのゆるキャラ風のイラストが描かれていました 笑。ゆるいテイストでいい感じです。
こちらは東福寺駅前の様子。
近くには仲恭天皇陵もあるようです。仲恭天皇は承久の乱の際の天皇で、歴代天皇で最も即位期間が短い(在位約2か月)天皇でもあり、九条廃帝とも言われます。
れいわ新選組のポスターとの組み合わせが良い感じ 笑。(日本近代草創期の「維新」「新選組」ということばも、すっかり現在政治と関わりが深い言葉になってしまいました。)
以上、東福寺とその周辺の様子でした。
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おまけ。
JR京都駅前にあった、吉田初三郎による京都の鳥瞰図。
1928年(昭和3年)の京都の様子です。駅前の壁に大きく掲示されていました。
南東方面の細部の様子。
少し小さくて見にくいですが、中央下側に今回訪れた東福寺もあります。右下には桃山御陵(明治天皇陵)、その上には伏見稲荷(→こちら)もありますが、距離感や位置関係はいい加減?笑
中央やや右側には清水寺(→こちら)もあります。その上の「木戸孝允の墓」は京都霊山護国神社(→こちら)の敷地内です。その他様々な名所も描かれています。
吉田初三郎の絵は面白くて、細部を延々見てしまいますね。