コレクター福富太郎の眼/あべのハルカス美術館 | れぽれろのブログ

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11月23日の祝日の日、「コレクター福富太郎の眼」と題された展示を鑑賞しに、あべのハルカス美術館に行ってきました。以下、本展の覚書と感想などをまとめておきます。


この日は実は、大阪市立美術館で開催されているメトロポリタン美術館展に行こうと思っていたのですが、この展示は日時指定予約制であるらしく事前に予約が必要、しかも鑑賞時間が1時間と限られているとのことで、何やら面倒くさくなり、急に行く気がなくなりました 笑。代わりに大阪市立美術館から道路を1つ隔てた目と鼻の先、あべのハルカス美術館の展示を見に行くことにしました。

福富太郎は1931年生まれ、本業は昭和期のキャバレーの経営者とのことですが、絵画の蒐集家としても知られている方です。近代日本の絵画作品がお好きな方は、画集などで出典が「福富太郎コレクション」などとなっているのを見たことのある方も多いのではないかと思います。
本展はこの福富太郎の蒐集品の中から、80点の近代日本画・洋画を展示する展覧会になっていました。

展示は大きく6パートに分かれ、前半の3パートが日本画、後半の3パートが洋画となっていました。
前半3パートの日本画はほぼすべて美人画・女性画で、男性が登場する絵画はほとんどなし。かなりコレクターの趣味が反映された展示であったという感触です。
一方後半3パートの洋画については、女性画に限らず様々なジャンルの絵画が並んでおり、近代日本美術史上の有名な画家も多数登場し、それなりに網羅的に洋画を俯瞰できる内容になっていたように思います。
個人的には前半の日本画パートがとくに面白かったです。


前半の1つめのパートは、美人画の巨匠である鏑木清方の特集展示でした。清方は福富コレクションの中でも中核を成すものであるらしく、多くの清方作品が並んでいました。展示の順序は必ずしも時代順ではありませんでしたが、自分は時代ごとの変化を考えながら鑑賞しました。
一般に近代日本の絵画は、欧化と日本回帰の間を揺れ動く明治から、大正ロマン・昭和モダンの時代を経て、30年代の国粋化・伝統回帰時代に至る、という大まかな流れで捉えることができます。清方の場合も、やや洋画風の洋服の美人の群像画である「あしわけ舟」(1904)に始まり、大正期にはベックリン風の人魚を描いた「妖魚」(1920)のようなややデカダン調の作品も登場、30年代になると江戸時代の勝川春章を下敷きにしたとされる浮世絵的な「今戸橋」(1935)に至るという、絵画史の流れと符合して考えることができる点が面白いです。

続いての2つのパートが鏑木清方以外の日本画の展示となりますが、本展の面白いところは、東日本の作家のパートと西日本の作家のパートを分けて、比較できる形で展示されている点にあります。
東日本の作家の展示は、まずは天保時代の江戸の浮世絵美人画から始まり、その後にそれとよく似た明治の美人画が続く形で、江戸と東京が地続きであることがよく分かる流れになっています。
大正ロマン時代には、池田輝方お夏狂乱」(1914)のようなほのかな狂気を感じさせる作品や、松本華羊殉教」(1916)の手鎖を使った美人画の表現などが印象的。

全体的に静的な作品が多い中、有名な竹久夢二の「かごめかごめ」(1912)は動的な作品で、夢二ならではのデザイン的な人体造形と画面構成が楽しめる面白い作品です。

そんな中、梶田半古天宇受売命」(1897)や尾竹竹坡ゆたかなる国土」(1916)のような、国威発揚系美人画(?)がある点も、この東日本パートの面白いところ。
梶田半古の作品は日本神話のアメノウズメを描いた作品で、日本画なのにどことなく洋画風の印象なのが明治後期の作品らしい感じ。

尾竹竹坡の作品は女性を描いた群像図ですが、伝統的な四季山水図のように4分割された画面に描かれるのは季節ごとの労働の情景。人物の衣装や髪型は奈良朝よりもずっと古い時代を思わせる格好で、神話時代の自然と労働を描くという雰囲気がどことなく近代国民国家の労働観にもつながる。それでいて登場人物は皆女性で美人画の要素もあるという、たいへん楽しい作品になっていました。
全体的にこの東日本パートは、個人的に知らない作家も多く、面白かったです。

一方の西日本の作家パートは国威発揚的な要素は全くなく、逆に大正ロマン・デカダン的な要素が東日本より強く表れている印象です。
北野恒富、島成園、甲斐荘楠音、秦テルヲらの作品は、妖艶さ、キッチュさ、前衛的要素などのオンパレード。とくに面白いのが北野恒富(→こちらの高津宮の回で石碑が登場した方です。)で、計3枚が展示されていましたがどれも作品の印象は違い、「浴後」(1912)の洋画っぽい顔と日本画っぽい身体の折衷のような人物表現や、「道行」(1913)のカラスと男女の大胆な画面構成、「ゆうべ」(1923)の淡い塗りとぼんやりした表情と、いずれも強い印象を残す作品です。
この他にも、生活感あふれる伊藤小坡つづきもの」(1916)や、ポージングが楽しい寺島紫明鷺姫」(1918)など、見どころはたくさん。そんな中、巨匠上村松園の「よそおい」(1902)は、本展で最も完成度の高い作品だと思います。
また、上村松園、島成園、伊藤小坡と、女性作家が多く展示されてているのも西日本パートの特徴かもしれません。


後半は洋画パート。前半の日本画(とくに東日本)はあまり有名でない人も多かったですが、後半の洋画は、高橋由一、山本芳翠、五姓田義松、岡田三郎助、岸田劉生、萬鉄五郎、佐伯祐三、村山塊多と、比較的有名な作家が次々登場し、それなりに明治から昭和にかけての洋画を広く俯瞰できる内容になっていたように思います。日本画はほぼすべて美人画・女性画でしたが、後半はそれ以外の絵画もかなり多く、コレクターの日本画と洋画についての考えの差が表れているように感じます。

個人的に面白かったのをいくつか。
明治初年の高橋由一小幡耳休の肖像」(1872)は近世の大首絵をそのまま洋画にしたような作品で、題材は浮世絵の延長ですが手法は洋画という、過渡期らしい面白い作品になっています。
岸田劉生南禅寺疎水付近」(1925)はやわらかな落ち着いた感じの風景画で、同作家の10年前の有名な「切通之写生」などの細密で緊張感のある風景画とはまるで違う、作家の時代による変化が感じられる作品。同じく劉生の「京都祇園舞妓之像」(1926)は顔がやたらと大きい肖像画のシリーズの1枚で、大正後期から昭和期の劉生の肖像画の特徴がよく表れている1枚になっています。
満谷国四郎軍人の妻」(1904)は、これまた同作家の後年の装飾的な作風とは全く違った古典主義的な作品で、日露戦争時の出征した夫(おそらくは戦死)を思う妻の様子が、軍刀・軍帽とともに硬い表情で描かれた印象的な作品。
その他、風刺画で有名なジョルジュ・ビゴーの作品「京都にて」(1891)は、風刺画ではない普通の京都の街の情景で、ビゴーの風刺画以外の作品を見られるのも珍しいかもしれません。


全体を通して個人的なお気に入りを2枚選ぶなら、日本画なら上にもあげた上村松園の「よそおい」(1902)、洋画なら小磯良平の「婦人像」(1967)です。
上村松園の「よそおい」はバランスの良い画面、細密に描かれた顔、服装の装飾の面白さと、他の美人画とは一線を画す見ごたえある作品。小磯良平の「婦人像」はやや趣味的なチョイスですが、この作家の後期のサラッと描いた画風の割に、人物の表情が印象的に捉えられており、モダンでかつ心地よさのある一品になっていると思います。


ということで、面白い展示でした。
コロナ明けで美術館も混んでいるかな?とも思いましたが、祝日の割にはさほどの混雑もなく、のんびり鑑賞することができました。やはり美術館は予約して気合を入れていく場所ではなく、本展のようにふらっと訪れて鑑賞できる場であってほしいです。
とはいうものの、メトロポリタン美術館展のラインナップを見ると、貴重な作品がいっぱい。とくにフラ・アンジェリコ、クラーナハ、フェルメール、ヴァトーの4枚は貴重すぎるので、やはり見に行けば良かったかなと後悔も感じています 笑。