滋賀県大津市 近江神宮とその周辺 | れぽれろのブログ

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神社仏閣探訪シリーズ。
11月20日の土曜日、滋賀県大津市にある近江神宮を訪れ、合わせて大津市の市街地周辺や琵琶湖南端部の周辺を歩いてきました。

今回のおもなキーワードは、近江神宮、琵琶湖、天智天皇、かるた、百人一首、おおつ光ルくん、飛び出し小僧、などです。
以下、写真と覚書を残しておきます。



(1)近江神宮

まずは今回の目的地、近江神宮です。
近江神宮は滋賀県大津市錦織にある神社(現在の町名は神宮町)で、最寄り駅は京阪石山坂本線の近江神宮前駅です。

当日は新快速でJR大阪駅からJR大津駅まで行き、JR大津駅から京阪びわこ浜大津駅まで歩いて乗り継ぎました。京阪のびわこ浜大津駅から近江神宮前駅までは4駅です。駅を降りて西に向かい、住宅地の中をしばらく歩くと、近江神宮の参道の森が見えてきました。


参道の様子。

それなりに深い森です。昼なお暗い参道。


やがて鳥居が見えてきます。

ちょうど鳥居の方向(西側)から日が差しており、良い雰囲気です。


門の様子。

門は塗り直されているのか、綺麗な色でした。右側の紅葉とセット。
コロナ明けの11月、紅葉のシーズンということもあって、それなりに人はいてました。


こちらが拝殿。

門は綺麗な丹塗りでしたが、こちらは落ち着いた雰囲気です。


近江神宮は近代の新しい神社で、創建は1940年(昭和15年)。

祭神は天智天皇であるという設定になっています。天智天皇は逆賊蘇我氏を討って大化の改新を成し遂げた人物ですので、戦前日本にとって重要な人物です。その天智天皇が後に都を定めたのが近江大津宮であり、そのためこの大津の地に天智天皇を祀る神社ができたということのようです。
新しい神社なので、古い謂れや歴史などを感じることはできませんが、境内は良い雰囲気でした。


境内の雰囲気。

小さくて分かりにくいですが、左側の壁に掲げられているのは百人一首の絵札です。実は大津はかるたの町、百人一首の町でもあり、近江神宮も百人一首と深く関わっています。(大津とかるたについては後で触れます。)


訪れたのは、11月後半のちょうど紅葉のシーズン。


綺麗な紅葉が楽しめました。



こちらは水時計。

天智天皇は671年に日本で初めて水時計を設置したと人物と言われています。この水時計の設置日が6月10日であるということで、1920年(大正9年)に毎年6月10日が時の記念日として設定され、近江神宮では毎年この日に漏刻祭というお祭りが催されるのだそうです。
ちなみにこの水時計は戦後の1964年(昭和39年)に設立されたもので、日本・スイス修交100周年の記念碑も兼ねています。(スイスは時計の国だからだと思われます。) この写真では見にくいですが、文字盤の右下に小さく「Ω」の文字が刻まれています。(おそらくは時計メーカーのことと思われます。)


こちらは保田与重郎の句碑。

「さざなみの しがの山路の 春にまよい ひとり眺めし 花ざかりかな」
保田与重郎は日本浪漫派の詩人で、ちょうど近江神宮ができた1940年前後に活躍された方です。


農地報償の碑。

1969年(昭和44年)の碑です。
おそらくは戦後の農地改革に関わる碑と思われます。揮毫は当時の首相であった佐藤栄作です。
なかなか物々しい碑です。


ちなみに近江神宮には、1960年の安保闘争で亡くなった樺美智子が奉納した石があるらしいですが、奉納石柱はかなりたくさんあるので、残念ながら見つけられませんでした…。



(2)和歌と大津かるた

上でも少し書きましたが、大津は和歌の町、かるたの町です。これはおそらく、百人一首の第1番が天智天皇であるということと関係しているものと思われます。


近江神宮付近にあった、天智天皇御製の碑。

「秋の田の かりほのいほの 苫と荒み わが衣手は 露に濡れつつ」
有名な百人一首の1番最初の歌が碑になっています。このような歌碑が近江神宮の周辺にはたくさんありました。


柿本人麻呂の歌碑。

「近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ」
人麻呂が近江を訪れ、古都大津京を偲んだ歌でしょうか。


額田王の歌碑。

「君待つと わが恋ひ居れば わが宿の すだれ動かし 秋の風ふく」
額田王は天武天皇(天智天皇の弟)の妃ですが、一説によると天智天皇にも寵愛されたともいわれています。左下にみえる解説でも、「君」は天智天皇を表すという解釈になっています。
ちなみに揮毫は田辺聖子となっています。


こちらは先ほど上で少し触れた、近江神宮境内の百人一首のアップ。

個人的に好きな三条院の歌をチョイスして撮影。


近江神宮の敷地内には、近江勧学館という研修センターがあります。

ここもで高校生による百人一首の大会が開かれていました。


この近江勧学館では「かるたくじ」というキーホルダーが売られています。百人一首の和歌が書かれたキーホルダーですが、単に好きな歌のキーホルダーを買うというのではなく、300円を払ってくじのように引き、当たったものを持ち帰るというかたちになっています。

自分もチャレンジしてみました。結果は…

ずいぶんシブい歌が当たりました 笑。藤原俊成のこの歌はわりと好きなので、満足です。



(3)おおつ光ルくん

恒例のゆるキャラ紹介コーナー。
大津には「おおつ光ルくん」というゆるキャラが設定されています。光源氏に由来する思われる、平安貴族のキャラクタです。近江神宮周辺や大津の街中のあちこちで見ることができるゆるキャラです。
かるたの町であることと、あと同じ大津市内の石山寺と紫式部の関係などが由来になっているものと思われます。


これがおおつ光ルくんです。

観光案内の地図に描かれていました。
かるた取りをする光ルくん、取っている札はもちろん天智天皇のもの。


人形とイラストのセット。

こちらは近江神宮の敷地内で撮影したものです。右上に少し見えるのは蝉丸の歌です。


先ほどの近江勧学館の前にも光ルくんが。
マスクの着用を呼びかける光ルくん。



路上喫煙を戒める光ルくん。



駐車場に潜む光ルくん。

「P」の文字にも注目。内部にも光ルくんが生息しています。


なお、おおつ光ルくんは6年前に訪れた石山寺の記録にも登場しています。(→こちら



(4)大津の街の様子

大津市街もあちこち歩いてきました。

こちらはJR大津駅から北に走る目抜き通りである「中央大通り」です。

イチョウの木がずっと植えられています。ちょうど綺麗に色づいている時期です。
左に見えるのは華階寺というお寺ですが、お寺の建物の中に商業施設も入っています。(この写真の下に小さく薬局が見えます。) 面白い建物です。


大通りから少し離れると、古い町並みが残っています。

良い雰囲気です。
大津は滋賀県の県庁所在地ですが、JR大津駅前に大きな繁華街などはなく、あまり賑わっている印象はありません。その代り、このような良い雰囲気の景観も残されています。
JR大津駅はJR京都駅から2駅、この2つの県庁所在地はかなり近く隣接しているので(おそらく日本の県庁所在地の中心駅間の距離は一番近い?)、人々は京都の方に買い物や食事などに出かけるのかもしれません。


こちらは旧大津公会堂。

1934年(昭和9年)の洋風建築です。

長らく公会堂として使用されていましたが、現在は中はレストランになっています。イタリアンやお肉のお店などがいくつか入っています。レトロ建築をカフェやレストランとして再利用する、昨今よく見られるパターンです。


大津事件の碑。

大津事件は1891年(明治24年)に、ロシアの皇太子が日本の警官によって襲撃されたという、日本史上に残る事件です。事件は外交問題となり、明治天皇が直接ロシア皇太子見舞う措置を取るなど、大事件になりました。
犯人はもちろん死刑になる、と思いきや、当時の大審院長であった小島惟謙は殺人未遂罪に極刑は適用できないと無期懲役を宣告、司法権の独立を守ったとして日本史の教科書などにも記載されている事件です。ちなみにこのときのロシア皇太子は後のニコライ2世で、ロシア革命により殺害されたロマノフ朝最後の皇帝でもあります。
碑には「此付近露国皇太子遭難之地」と書かれており、「この付近」という曖昧な表現なので、実は本当の事件現場はよく分かっていないのかもしれません 笑。


明治天皇大津別院行在所。

その明治天皇が訪れたとされる場所のようです。(大津事件の際かどうかは不明。)


さて、滋賀県と言えば飛び出し小僧です。
全国でも飛び出し小僧の設置率が高く、飛び出し小僧の発祥も滋賀県であると言われています。

町を歩けば飛び出し小僧にあたる。



女の子バージョン。



この赤鬼の子供バージョンが気に入りました。


標準的な赤シャツ・オレンジズボンの飛び出し小僧は意外と見かけませんでした…。


こちらは史跡の注意看板。

一番下の「反吐」が目につきます。今どきなかなか目にしない文字です。実際に反吐による被害が発生したのではないかと推測します 笑。



(5)琵琶湖ホテルと琵琶湖の風景

最後は琵琶湖です。
大津と言えば琵琶湖の南端、今回はその琵琶湖畔にある琵琶湖ホテルで1泊してきました。


こちらが琵琶湖ホテル。

瑠璃色のラインカラーが走る、独特の外観になっています。瑠璃色は重要な色らしく、このホテルの温泉も「瑠璃の湯」となっていました。
当日は観光客が多く、フロントはかなり混雑していました。大津は京都からも近いので、京都に観光に来た人たちがここに泊まるケースも多いのだと思われます。
琵琶湖ホテルは皇族も利用する由緒正しいホテルのようです。現在は新しい建物になっていますが、旧館は歴史が古く、昭和天皇も宿泊したホテルなのだとか。


琵琶湖ホテルの客室側の外観。

夕方にホテルの北側を撮影。この写真の左側が北で、北にはすぐに琵琶湖があり、全部屋が北向きになっていて、窓から琵琶湖が一望できるというホテルになっています。


夕方に琵琶湖付近をを散策してきました。

夕暮れの比叡山方面。



夕暮れの琵琶湖。





山田豊三郎の像。

琵琶湖畔にあった像です。
山田豊三郎は元大津市長で、1980年から2003年まで、実に23年も市長を務めていた方のようです。


上の写真との違いが分かりにくいかもしれませんが、こちらはホテルの部屋の中から、翌日の早朝に撮影した写真です。



ホテルのベッドは琵琶湖に向かう形で北が足(南枕)で窓際に設置されており、朝目覚めてカーテンを開けると、目の前に朝の琵琶湖の光景が飛び込んできます。なかなか感動的な朝の光景です。

通常大阪からであれば近江神宮は日帰りで十分に行ける距離ですが、一泊するのもまた良いものです。琵琶湖ホテルは普通の地方のビジネスホテルなどに比べるとやや高めですが、連休などの混雑時の東京のビジネスホテル程度の値段で宿泊できますので、そんなに高いというわけではありません。それなりの値段でたいへん良い雰囲気のホテルですので、おすすめ度は高いです。



ということで、近江神宮とその周辺の様子でした。
古代から近代まで、様々な謂れが確認できて面白かったです。ちょうど紅葉の季節とも重なっていたので、良い雰囲気が楽しめました。