頼朝と義時 武家政権の誕生/呉座勇一 | れぽれろのブログ

れぽれろのブログ

美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

呉座勇一さんの新著「頼朝と義時 武家政権の誕生」(講談社現代新書)を読みました。
以下、本書の覚書と感想などをまとめておきます。


呉座勇一さんは日本中世史がご専門の歴史学者です。歴史系の書籍をよく読まれる読書人層の方々の中には、2016年に中公新書から出版された「応仁の乱」を読まれた方も多いのではないかと思います(自分も読みました)。この本はどういうわけか実証系の歴史本にしては異例のヒットを記録した本で、呉座勇一さんはこのヒットにより一躍有名になった方でもあります。
そんな著者の新刊がこの「頼朝と義時」です。来年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」という、平安時代末期から鎌倉時代初期までを描く物語が予定されており、著者もこの作品の時代考証に当初関わっていたとのことです(ただし諸般の事情により著者は途中降板)。本書「頼朝と義時」は著者なりの時代考証の成果を一冊にまとめた本で、治承寿永の乱(源平の戦い)から承久の乱までの主だった歴史上の事件や戦いなどの詳細を、1冊で俯瞰できる内容になっていました。

本書の主人公は源頼朝と北条義時です。源頼朝は言わずと知れた源氏のトップで、鎌倉幕府を開いた人。北条義時は二代執権で、その後の鎌倉幕府・武家政権の基礎を固めた人です。

この2人の人物の動きを中心に、本書では時代に沿って様々な事件や政治の動きが取り上げられ、それぞれの出来事についての一般的な通説や史観が紹介された後、それに対し著者が実証の立場から検討を加え、出来事の発生理由やその背景について1つ1つ著者なりの結論を出していく、という形で文章が進んでいきます。
そして1つ1つの出来事の積み重ねから、当時の時代背景や時代の流れを知ることができると同時に、頼朝と義時がどんな人物であったのかが浮かび上がってくる、というのが本書の構造です。


本書をざっくりとまとめると、およそ以下のような感じです。(自分なりの意訳を含みます。)

頼朝は幼いころに平治の乱に巻き込まれて敗北、父義朝をはじめ源氏の主要人物は殺され、頼朝も伊豆に流されますが、そこから東国武士の棟梁として自らの権力基盤を固めていくことになります。
頼朝の目的は、河内源氏一門の血統を存続させ、その権力基盤を後世に残すこと、そして自らがその権力の中心に座ることです。
頼朝はたいへん情に厚い面があり、それ故に東国を中心とした在地の武士たちに慕われました。また頼朝は交渉力や分析力に長けており、当時の政治権力の中枢であった後白河法皇や九条兼実としたたかに交渉を行いました。この人心掌握と交渉力により、頼朝は瞬く間に東国の支配者になっていきます。
当時の地方は荘園制で、中央の荘園経営は基本的に地方の現地勢力に丸投げ、なので現地勢力も一定程度力を持っていましたが、頼朝ほどに大規模に東国の土地を掌握した現地勢力は史上初でした。

一方で都を支配する平氏の側は、とくに清盛の死後に西国武士たちの離反が起こり、多くの武士たちは源義仲や源義経の側に付くことになります。義仲の挙兵により平氏は都を追われ、さらに義経の追撃により平氏は壇ノ浦で滅亡します。
頼朝は冷酷で打算的な面もあり、とくに源氏一門の棟梁としての立場を維持することにかけては妥協はなく、源氏の血統存続を脅かす存在であると判断した場合は、ただちに義仲や義経であれ追討します。
いくぶん偶発的な平氏の滅亡と、周到な源氏系対抗勢力の殲滅により、頼朝は東国支配を安定的なものとし、史上かつてない東国現地勢力の大集団である鎌倉幕府が成立、頼朝は征夷代将軍に就任します。

頼朝の死後は御家人の合議体制になりますが、次第に東国権力の安定性は揺らぎ、和田合戦や三代将軍実朝の暗殺などの事件が勃発します。これらの内紛に勝利し、時局の解決の目途付けを行ってきたのが、二代執権北条義時です。義時は頼朝の妻政子の弟で、その血統を存分に利用、また頼朝の交渉力・人心掌握力を間近に学んでいたことから、頼朝死後の権力闘争に着実に勝利していきます。
頼朝は自らと御家人の関係性構築(人と人との関係性構築)を重視しましたが、義時の時代にはこれが拡張され、幕府と御家人との関係性構築(システムと人との関係性構築)を重視する方向にシフトしていきます。
そして勃発する承久の乱。後鳥羽上皇の挙兵に対し東国武士が離反することなく結集できたのは、有名な北条政子の演説の効果も一定程度あったようですが、何よりも幕府の下に集結した方が御家人たちの利益になるという形に持って行った、義時や幕府のあり方にあります。乱に勝利した義時を中心に、鎌倉幕府は西国の武士団をも掌握し、この後長らく幕府は安定的に存続していくことになります。
人から制度へ、公武協調から幕府専横へ、摂家将軍の安定的な擁立と執権の世襲へ、この変化を着実に実現させたのが、義時という人物でした。


本書を通して面白いと感じた点をいくつか。

1つは当時の権力の正統性、権威のあり方が本書から理解できる点です。
平安末期当時、皇族-貴族-武士という階級の序列は正統性の根拠としてたいへん重要でした。いかに能力の高い頼朝や義時とはいえ、権力を掌握するには、その根拠となる正統性が必要でした。
頼朝の挙兵は以仁王(皇族)の綸旨がその根拠になり、綸旨があるが故に武士たちは頼朝の元に結集しました。同様に義仲の入京も北陸宮(皇族)の擁立が正統性の根拠になっています。

平家都落ち以降の大きな敗因の1つは、都落ちに後白河法皇を同行させなかったこと。幼い安徳天皇の同行だけでは正統性が薄弱で、このことが致命的になったという分析も面白いです。

承久の乱で勝利した義時も、権力の安定と正統性確保のために乱後ただちに後堀河天皇と後高倉上皇を即位させています。とくに後高倉上皇は天皇を経ずに上皇になった異例の存在でした。
日本の歴史は「玉(ぎょく=天皇)を取った方が勝つ」などと言われますが、一見実力主義にみえる戦乱の平安末期-鎌倉初期であってもこれは同じ。源氏も北条氏も実力のみで権力を掌握したわけではなく、その背後には権威の正統性確保のための周到な配慮があったようです。

もう1つは歴史の妙、当事者たちの意図を越えて歴史が進んでいく様子が分かるのも、本書の面白い点です。
当初の頼朝の挙兵は勘違いによるところが大きく、清盛による以仁王の残党狩りの指示を、頼朝側が源氏殲滅の挙兵と捉えたからです。(清盛は以仁王の乱後に源氏を殲滅させる意図はなかった。)
その頼朝側も平氏を滅亡させるつもりはなく、頼朝は東西の源平勢力の拮抗を考えていたようですが、アンチ平氏の武士団は西国にも思いのほか多く、彼らが義経側に付いたことが、結果として義経の電撃的勝利から平氏の滅亡に結びつきました。
後鳥羽上皇による承久の乱も、直接の原因は大内裏の火災です。後鳥羽は大内裏復興のために重税を課し、これに反発する東国武士たちが納税を拒否したため、後鳥羽は挙兵することになりました。しかし結果はまさかの後鳥羽側の敗北。義時側は西国武士を支配する意図はありませんでしたが、結果として鎌倉幕府は西国も含め全国の武士団を掌握することになりました。
世の摂理は人智を越える、プレイヤーの意図せざる結果としての歴史が転がっていく、そういう様子が日本中世史においても観察できるのも、本書の面白い点だと考えます。

その他にも個別に面白い事実はたくさん紹介されています。
頼朝が鎌倉に拠点を置いたのは、鎌倉が交通の要所であたからであり、鎌倉は単なる田舎ではなく、頼朝以前から都市的要素が強かったこと。
中央政権によるの地方の討伐は現地勢力の協力が必須。中央の遠征軍が到着前に現地軍で騒乱が解決することも多く、基本的に中央の遠征軍はあまり活躍しない。なので富士川の戦いの遠征軍(鳥の羽音で逃亡する)の弱さは、実は遠征軍のデフォルトであったこと。
義経は一見電撃的に平氏を滅亡させたように見えますが、実は周到に準備(西国武士の兵力調達)を重ねており、平氏に対する勝利は奇策などではなく実は単純に兵力の差であったこと。などなど、面白い記述がたくさん。
その他、一の谷のひよどり越えの詳細な場所特定や、公暁による実朝暗殺の分析(背後に陰謀はなかった)なども、歴史好きにとって読み応えのあるポイントかもしれません。


ということで、本書は歴史を読む面白さを味わうことのできる、たいへん楽しい本でした。
本書はどちらかといえば実証主義的な本ですので、物語的にスラスラ読める本ではありませんが、高校日本史レベルの知識があれば十分面白く読める本であるとも思います。
「鎌倉殿の13人」を見ながら折に触れて本書を紐解く、というような読み方を行ってみても、また面白い読書体験になるのかもしれません。