防衛省の研究/辻田真佐憲 | れぽれろのブログ

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辻田真佐憲さんの新著「防衛省の研究 歴代幹部でたどる戦後日本の国防史」(朝日新書)を読みました。以下、覚書と感想などをまとめておきます。

本書の著者である辻田真佐憲さんの肩書は近現代史研究家ですが、著者は最近は評論家としても活躍され、ラジオやネット動画などにも積極的に出演されており、直近では今年の6月に文春新書から「超空気支配社会」という評論本も出版されています。過去記事で書いてきた通り、自分はこの著者の著作が好きで、新書で出版されている単著はすべて読んでいます。
直近の「超空気支配社会」は評論本でしたが、今回の「防衛省の研究」はがっちりした近現代史の本です。「超空気支配社会」もたいへん面白い本でしたが、この本の感想の記事(→こちら)でも書いた通り、この著者の本来の魅力はやはり、近現代の取り扱いの難しい事象(軍歌、国歌、プロパガンダ、戦争、検閲、天皇など)を扱った歴史本にあるというのが、自分の所感です。なので、今回の「防衛省の研究」はたいへん楽しみにしていた著作でした。

今回の「防衛省の研究」のテーマは、戦後日本の国防です。これもまた扱いが難しいテーマで、この手の本はともすればマニアックな軍事的知識を並べるだけの内容、もしくは脅威や排外主義をあおるような内容、また逆に平和主義を重視するあまり自衛隊や防衛のあり方を批判するだけの内容、などといった偏った本になりがちです。
「防衛省の研究」はそのいずれでもなく、近代国家として当然の如く必要になってくる防衛というものの重要性を認めたうえで、マニアックな軍事的知識の羅列ではなく、戦争の脅威をあおるような形でもなく、戦後日本の防衛の歴史と問題点を分かりやすく解説されている、たいへん面白い本になっていました。

本書は読みやすさを工夫するため、列伝(人物伝)のかたちをとっています。

主要登場人物は、増原恵吉、林敬三、槇智雄、海原治、久保卓也、夏目晴雄、西廣整輝、栗栖弘臣、守屋武昌、田母神俊雄、河野克敏、などなどです。と言っても多くの人はこれらの人物の名前すら知らないと思います。いずれも戦後の防衛庁(防衛省)や自衛隊の幹部たちですが、自分も守屋武昌と田母神俊雄以外は、著者の解説に触れるまでは知りませんでした。
本書ではこれら歴代幹部の生涯が描かれ、読者はそれぞれの人物の生涯を追ううちに、知らず知らずのうちに戦後日本の国防の歴史と、時代ごとの国防の問題点が頭に入ってくるという構成になっており、たいへん面白く読み進めることができました。

本書は各人物の生涯を追うことがまず第一に面白いですが、自分はそれぞれの時代の国防のあり方とその課題について、考えながら読み進めました。
本書は3部構成で、第1部が戦後すぐから60年代にかけて(昭和中期)、第2部が60年代から80年代にかけて(昭和後期)、第3部が90年代以降(平成期)と、おおよそざっくりと分けて把握することができます。

本書の内容及び本書から知ることのできるそれぞれの時代の国防の課題を、自分なりの解釈を含めながらおおよそまとめると以下の通り。

本書第1部、戦後から50年代にかけての最も大きな課題は、旧軍人の排除とシビリアンコントロールです。
第二次大戦後に日本はアメリカに占領され一旦武装解除させられますが、米ソ冷戦の激化と朝鮮戦争の勃発により、日本はアメリカより再軍備を要望され、その結果警察予備隊が組織されることになります。このときに戦前の失敗を回避するため、旧陸海軍の関係者を幹部に採用することは見送られ、警察予備隊は旧内務省系の役人によって組織されることになりました。本書に登場する増原恵吉(警察予備隊本部長官)や林敬三(統合幕僚長会議議長)ら警察予備隊上層部は、いずれも旧内務官僚です。
その後自衛隊が組織されるに至っても旧軍人は事務方幹部にはなれず、文民による統治(シビリアンコントロール)という名目で、制服組(=現場自衛官≒旧軍人)と背広組(=事務方≒旧内務官僚)がきっちりと分けられ、後者が前者を管理し、前者は後者に抗えない、という形が出来上がります。シビリアンコントロールの真の意味は理解されず、威張る背広組とそれに従わざるを得ない制服組といういびつな構図が長く続いたという指摘は興味深いです。
その他、槇智雄(防衛大学校初代校長)の章も重要で、英国風ジェントルマン教育は理念としては良いものですが、現場自衛官の不満から似非愛国的なものに飛びつく恐れがあるという指摘は本書第3部の問題意識にもつながります。
掃海部隊に始まる旧海軍-海上保安庁-海上自衛隊の連続性についてまとめられた海軍軍人たちの章も面白いです。

本書第2部、とくに70年代から80年代にかけての課題は、低成長時代の国防予算のあり方です。
第2部はとくに海原治のキャラクタが印象的で、この章に目が奪われがちですが、自分は久保卓也の章がまず重要であると感じます。戦後から60年代にかけて、対ソ連を仮想敵とする第一次から第四次の防衛力整備計画(通称一次防から四次防)は、ソ連の防衛力増強と比例して費用的に膨張していきますが、これに歯止めをかけたのが久保卓也(及びその部下たち)です。久保らはポシビリティー(可能性)とプロバビリティー(蓋然性)を分けて考え、前者については1%でも可能性がある限り備えよ、後者については発生確率に応じて(将来的な拡張性を含め)検討せよという考えを元にした、いわゆる基盤的防衛力構想の制定の結果、防衛予算の合理化が図られ、この方向性は90年代まで継続しました。
一方でもう1つの重要なのが栗栖弘臣の章です。栗栖は70年代の統幕議長、タカ派発言や軍事パレードの強行などを行ったやや過激な印象のある人物で、「自衛隊は有事には超法規的に行動することも致し方ない」旨の発言(いわゆる超法規発言)により更迭されますが、この問題はとくに冷戦体制終了後に顕在化してきます。
その他、三島由紀夫と防大生のアンケート扱った章も面白く、これも90年代以降に続く問題が扱われています。

第3部は冷戦終了後の90年代以降。激変する国際関係を背景に現実に自衛官が海外に派兵される時代、続発する災害に対し自衛官が迅速に行動する必要性が増えた時代、中国の台頭とアメリカの凋落により「有事」の想定が不可避になった時代、まさに前章の栗栖弘臣の懸念が顕在化したのがこの時代です。こういった事情を背景に、現場自衛官が活躍する機会は増え、自衛官は国民から好感をもたれるようになりましたが、一方でバランスの欠いた愛国物語が氾濫し、自衛官たちもこういった思想に影響されがちになるという事態が起こります。
90年代以降の防衛に関わる著者の問題意識は、とくに田母神俊雄の章に現れているように思います。航空幕僚長であった田母神は自らの思う歴史観を論説として発表しますが、これはバランスの欠いた愛国史観ともいうべきもので、田母神は幕僚長を解任されるという事件に発展します。このような粗雑な愛国物語の蔓延を防止するためにも「穏当な歴史観」を示し教育することも、必要なのではないかというのが著者の見解。
また、80年代以前に重視された「軍隊からの安全」(軍人・自衛官の暴走を防止し国民の生活を守る)も大切だが、90年代以降は「軍隊による安全」(自衛官の尽力により災害を含む新たな脅威から国民の生活を守る)も大切であるとされ、前者と後者の両立が大切であるというところで、本書は締めくくられています。

以上ざっくりと本書の概略を自分なりにまとめてみましたが、本書の面白さはこれらの内容だけに非ず。細部の情報が充実しており、細かいエピソードや事実関係の1つ1つにも面白いものが多いです。
警察予備隊の名前の由来、三自衛隊(陸海空)それぞれを指す隠語とその理由、旧陸海軍と自衛官の階級の違いなどの詳細も面白い。
笑える要素も多く、警察予備隊発足当時のアメリカ式号令の珍翻訳の数々や、酒好きの幹部自衛官たちの様子(とくに夏目晴雄の執務室が「夏目バー」と化していた事実など)や、70年代の防大在学生のアンケートの悪ふざけぶりなど、事態を憂慮するよりも先に笑えてくるという、このような面白エピソードの数々が紹介されるのもこの著者ならでは。
日本近代史好きとしては、自衛官のダンスパーティーに乗り込んでくる辻政信(旧陸軍軍人)のエピソード、海原治の入省時の口頭試問の相手が筧克彦(神道国家主義者)であったというエピソード、戦後の右派界隈で流行していた三上卓(五一五事件の主犯)の歌を林敬三が禁じていたというエピソードなど、日本近代史の登場人物が意外なところで顔を出しているのも面白い。このあたりの面白さはぜひ本書を手に取って確認して頂きたいところです。

著者は2018年の著書「空気の検閲」のあとがきに、「趣味と政治と学問の相関図」という図を掲載されています。我々が目指すべきは真・善・美ですが、真は学問と、善は政治と、美は趣味と関わっており、学問・政治・趣味それぞれの方向に偏りすぎると、つまらなくなるどころかむしろ弊害も大きくなる。目指すべきは学問・政治・趣味のバランスであり、その程よい中庸が真・善・美である、という趣旨の図です。
本書「防衛省の研究」はまさに学問・政治・趣味がバランスよく織り交ぜられており、学問的な実証性はもちろん、政治的にも重要なメッセージも含まれていて、かつ趣味的に読んでも面白いとういう本として仕上がっているように思います。著書「超空気支配社会」において評論家的に「中間」の必要性を述べた著者が、防衛というテーマで近現代史家としてまさに「中間」を形作る本を書き上げた、と言っても良いのではないかと思います。

ということで、本書はたいへん面白い本でした。戦後日本の国防の歴史について知りたい人、現在にもつながる国防の問題点について考えたい人、幹部自衛官の面白エピソードを読んで楽しみたい人、いずれの動機でも本書は面白く読めると思います。
歴史好きとしては今後もこの著者の作品には目が離せません。現在著者は早くも次回作のために取材を繰り返しているようですので、また来年の著作も期待して待ちたいと思います。