超空気支配社会/辻田真佐憲 | れぽれろのブログ

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辻田真佐憲さんの新著「超空気支配社会」(文春新書)を読みました。
以下、本書の覚書と感想などをまとめておきます。

辻田真佐憲さんは近現代史研究者で、過去に「日本の軍歌」「ふしぎな君が代」「たのしいプロパガンダ」「大本営発表」「文部省の研究」「空気の検閲」「天皇のお言葉」「古関裕而の昭和史」の8冊の新書を出されています。いずれも近代・現代の特定分野の歴史を取り扱った書籍ですが、タイトルを見ると分かるように、かなり取り扱いが難しいものをテーマとして取り上げる書き手です。
最近では社会学者西田亮介さんとの対談本「新プロパガンダ論」も出版されています。

自分はこの著者の作品が好きで、以上の書籍はすべて読んでいます。

今回発売の「超空気支配社会」は、そんな著者による初の評論集となっています。過去の新書では著者の肩書は「近現代史研究者」となっていましたが、今回の本では肩書が「評論家・近現代史研究者」と変わっており、肩書がバージョンアップされています。

と言っても急に評論を書き始めたというわけではなく、本書では2014年から2021年にかけて著者が雑誌やWebなどの各媒体で発表した評論・エッセイを改めてまとめ直したという形になっています。最近はラジオやインターネット放送でレギュラー番組を持ち、現代の世相について積極的に発言を続けている著者ですので、それ故に肩書がアップデートされたということなのかもしれません。

本書の内容は4章立てで、1章が昨今話題の東京オリンピックや新型コロナウイルス関連の文章、2章が教育問題や皇室問題、愛国エンターテインメントなどを扱った文章、3章は軍歌や観光、戦争ゲームなどを取り扱った文章、4章が総合知、評論、中間の重要性を指摘した文章となっています。
全体として、この著者のいつもの傾向の通り文章は読みやすく、社会の問題に適切に向き合いつつも、社会や文化をやや斜めから見てユーモアとともに記述する部分もあり、面白く読み進めることができます。
全体として1章・4章はやや硬めですが、2章・3章はテーマもやや柔らかめで楽しく読める章になっていますので、真ん中の章から読むのもおすすめかもしれません。

著者の肩書は近現代史研究者ですので、本書の中でもやはり過去の歴史を参照しつつ現代を評論する部分が、やはり面白いように思います。
たとえば冒頭のオリンピック論では、1964年の東京オリンピック開催直前において国民のオリンピックへの関心は実はかなり薄く、むしろ開催後の成功体験が歴史として記憶されていることが明らかにされています。(故に、批判の多い現在の東京オリンピックもひとたび開催されれば成功体験になる可能性もある。)
新型コロナウイルス関連でも、100年前のスペイン風邪時代のマスク同調圧力問題を取り上げたり、専門家に任せることの失敗(負けた戦争を積極的に主導した戦前の陸海軍も軍事の専門家集団であった)や、自粛の同調圧力問題(戦時下の監視社会も上からの弾圧だけではなく、下からの密告・協力・同調圧力が重要であった)など、歴史との関わりで現代社会を論じており、たいへん面白いです。

これらの歴史を踏まえた上で、著者は現代社会を「超空気支配社会」と名付けています。
政治においても経済においても、インフルエンサーたちが社会の空気を読みながら情報発信し、政治的動員や経済的利益につなげていくのが現代の社会。とくにインターネット・SNSの発達がその空気支配を加速させています。この状態に抗うには、山本七平「空気の研究」によると空気の外に超越的な視点を持つことが重要とされます。

本書ではこの超空気支配に抗う一手段(≒超越的な視点の獲得)として、「総合知」「評論」「中間」といったキーワードが重視され、おもに4章でこれらのキーワードに対する議論が展開されています。
自分なりにまとめると、特定の物事に深く詳しい専門家は社会にとって当然必要だが、専門以外の分野に疎い専門家の知だけでは空気支配に抗うことは難しく、大衆に訴えることのできる広く浅い総合知が要求される。これを担うのが評論家であり、専門家の専門知と評論家の総合知が組み合わさって初めて社会が健全となる。また、特定の極端な立場に固執するのではなく、常に自己反省と相互検証により中間的な立ち位置を模索、単なる左右対立・陣営帰属などではなく、個別の言説の質の高さで物事を判断する。このように常に中間を考えることにより、特定の同調圧力から自由になり、より健全な情報受容・情報発信が可能になる…。
「中間」については3章の付論である戦争ゲーム論においても議論が展開されており、特定の立場だけではなく常に別の立場を想起する認識の在り様を「ゲーム的主観性」と名付け、著者自身の趣味を通して中間的な思考につなげていく、たいへん面白い文章になっています。(このゲーム的主観性の文章は過去に批評誌「ゲンロン9」に掲載された文章で、個人的に本書で最もお気に入りの文章です。)

本書は単に概念的な話に留まっているわけではなく、各事象に対する著者の処方箋はたいへん具体的です。
一例を自分なりにまとめると、君が代は現在においてこれ以上の国歌はないとしつつも、強制的に歌わせるようなことは良くなく、式典などにおいては歌うのではなく「聴く国歌」を推奨する。官僚の忖度を失くすことは難しく、組織を円滑に回すためにも自主的に先んじて行動する忖度は必要、しかし事後的にトップの責任をうやむやにしないためにも、文書の保存と情報公開の徹底が肝要。イデオロギー的に古くなった彫像や記念碑をむやみに破壊するのは良くなく、撤去するにしても十分な議論を行った上で博物館などで解説とともに展示・保管する。etc…。
全て総合知的な視点から、評論家的に、中間を意識した穏当な処方箋になっています。このあたり、著者は自身の主張を前面に押し出すのではなく控えめに著述されていますが、著者の意見を読みつつ具体的な処方箋を考えてみるのも本書の有益な読み方です。

一方、時折笑いの部分が少なからず見られるのもこの著者ならではの特徴。
トンデモ教育勅語本の紹介、天皇陛下即位の祭典のレポート、領土主権展示館などの博物館のレポート、北朝鮮をはじめとする観光の文章などは、著者の好奇心とユーモアが微笑ましく、たいへん楽しく読めます。(たとえば天皇陛下即位の祭典における万歳四十五唱の全文書き起こしの部分など、このような無駄なディテールは個人的には笑わずにはおれません 笑。)
宮崎県のざっくりとした神話紹介の混乱ぶりなども、今後我々が旅行する際の楽しみ方の参考にもなります。
ユーモアは大切です。著者によると政治が文化に関与する手段として、検閲(陰)とプロパガンダ(陽)があるとされます。このうちのプロパガンダに抗う手段として、プロパガンダを笑いつついなす手法は個人的に好みであり、また有効であると感じます。笑いの要素は極めて重要。

ということで、昨今の時事問題から近年の文化事象まで、幅広く取り扱った本評論集はたいへん面白く、政治や文化に関心のある方にとってはおすすめの著作です。
本書を読みながら、総合知、評論、中間といったキーワードを考えつつ、昨今の社会的・文化的事象を真面目に、かつときに笑いとともに考えてみるのもまた楽しいと思います。
なお、肩書が評論家にアップデートされた著者ですが、個人的にはこの著者の本来の持ち味は、やはり取り扱いが難しい分野についてのディテールをまとめた歴史本(過去8冊の新書に代表される)にあると個人的に思います。評論家としての活躍を期待しつつ、歴史本の出版についてもまた今後も期待して待ちたいと思います。