メトロポリタン美術館展 -西洋絵画の500年- (大阪市立美術館) | れぽれろのブログ

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12月11日の土曜日、「メトロポリタン美術館展-西洋絵画の500年-」と題された展示を鑑賞しに、天王寺にある大阪市立美術館に行ってきました。
実は先月の11月23日に、この展示を見ようと思って天王寺まで行ったのですが、予約必須との情報を聞いて急に行く気がなくなり(笑)、代わりにあべのハルカスの福富太郎のコレクション展(→こちら)を見に行ったという経緯があります。しかし、改めてメトロポリタン展のラインナップをみてみると、たいへん貴重な作品がたくさん来日しており、やはりこれは見ておかねばならぬということで、改めてチケットを予約して再参戦することにしました。
実際に会場を訪れてみると当日券も販売されているようで、必ずしも予約必須というわけではなく、とくに鑑賞時間制限などもありませんでした。(このあたりは自分の勘違いだったのかも。)

メトロポリタン美術館はアメリカのニューヨークにある美術館です。今回はその所蔵品から65点がやってくるという大規模な来日展示です。
登場する作家名を並べるだけでもかなりすごい。フラ・アンジェリコ、ラファエロ、クラーナハ、ティツィアーノ、エル・グレコ、ベラスケス、ムリーリョ、カラヴァッジョ、ラ・トゥール、プッサン、ルーベンス、フェルメール、レンブラント、ヴァトー、ブーシェ、フラゴナール、ターナー、ゴヤ、クールベ、ドーミエ、コロー、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン…、美術史の書籍で太字ゴシックで登場するような巨匠の名前がずらりと並ぶ、贅沢なラインナップになっていました。

ジャンルも初期ルネサンスから盛期ルネサンス、北方ルネサンス、ヴェネツィア派、マニエリスム、バロック、17世紀オランダ絵画、フランス古典主義、ロココ、新古典主義、フランスアカデミー派、レアリスム、バルビゾン派、印象派、ポスト印象派と、15世紀初頭から19世紀後半まで、ほぼ網羅的におよそ500年の西欧美術史を俯瞰できる内容になっていました。

この網羅性はなかなかすごく、主要な美術の潮流で登場しないのは19世紀のロマン主義絵画くらいでしょうか。過去も自分はルーヴル美術館展、プラド美術館展、ウィーン美術史美術館展、エルミタージュ美術館展などの来日展示をあれこれ見てきましたが、これほど網羅性の高い美術展示は初めてです。個別の作品を見ると、必ずしもそれぞれの時代の潮流を代表する作品が来ているわけではありませんが、それでもこの網羅性はかなりのものです。少々混雑している展覧会ではありますが、美術史にご興味のある方はきっと見ておいて損のない展覧会だと思います。

ということで、今回は本展の作品の中から個人的にお気に入りの作品を8枚選び、それぞれの作品についての感想などをコメントしてみようと思います。以下の8枚は必ずしも本展を代表する絵画ではないものも含まれており、いささか趣味性の高いチョイスではありますが、ご興味のある方はお読みください。



・パリスの審判/クラーナハ (1528年頃)


まずは北方ルネサンスの巨匠、クラーナハの作品から。
一般に明朗なイタリアルネサンスに対し、北方のドイツルネサンスは禍々しさやや妖艶さが強く、全体の構成よりも細部にこだわりがある作品が多いという傾向があります。このクラーナハの作品も面白さは全体より細部にあります。男性の鎧や服装、女性の髪に始まり、馬の肌の質感や木々や葉っぱの質感、背後に見える船や山など、一つ一つが非常に細かく描かれており、細部を見ていて飽きません。
ほっそりした女性の身体もクラーナハならではのもので、豊満な身体が描かれがちなイタリアルネサンス絵画とは対極的で面白いです。



・男性の肖像/ベラスケス (1635年頃)


続いてはスペイン・バロックの巨匠、ベラスケスの作品からの一枚。

バロックについてはカラヴァッジョやラ・トゥールなどの作家の作品も展示されており、今回は彼らの方が完成度の高い作品が来日していますが、個人的な好みでこのベラスケスを取り上げます。
ベラスケスの場合は上のクラーナハのとは真逆で、細部は極めて大胆に描かれており、それでいて遠目で見るとしっかりとした人物画に見えるという、これがなんともいえずかっこいい画家です。
この作品は必ずしもベラスケスの代表作ではありませんが、それでも実物では部分的に細部の荒々しい筆遣いは確認できます。実物の絵に目を近づけたり遠ざけたりしながら鑑賞してみるのも面白いかもしれません。



・信仰の寓意/フェルメール (1670-72年頃)


こちらは本展の1つの目玉である17世紀オランダの画家フェルメールの作品です。
当時の経済的覇権国であった17世紀オランダは多くの面白い画家が次々に誕生した場所、その中でも群抜いて面白いのがフェルメールです。
この作品も、全体の構図(床の模様をはじめ全体の構成が幾何学的)、細部の装飾(とくに布の質感と金属やガラスの光沢の部分など)、色彩(とくに青が強烈に印象的)、描かれる小物の象徴的な意味など、とにかく見どころが多すぎる絵画です。
本展で1枚だけ選ぶとすると、自分はやはりこのフェルメールの作品ということになりそうです。



・テラスの陽気な集い/ヤン・ステーン (1670年頃)


フェルメールと同時代のオランダ画家、ヤン・ステーンの作品も個人的に好みです。
ステーンは風俗画家であり風刺画家で、当時の社会風俗の在り様を風刺的に描いたとされる作品が多いですが、いつもこの作家の作品を見て感じるのは、人物がやたらと楽しげな作品が多く、本当に風刺する意図で描いているのか?と疑問に思えてくる点です 笑。
この絵も酔っ払いたちがひたすら騒ぐ作品で、一人一人の表情を見るのが楽しく、見ていて飽きません。子供が2人描かれていますが、またこの子供がぜんぜん可愛げがないというのも楽しい 笑。
一般にこの時代以前の絵画は王や教会のためのものが多かったですが、こういった商業者階級の風俗画が増えてくるのも、17世紀オランダの1つの特徴だと思います。



・メズタン/ヴァトー (1718-20年頃)


続いては18世紀フランスのロココの画家、ヴァトーの作品。
フランス・ロココの画家はヴァトーの他にブーシェとフラゴナールが来ており、とくにブーシェの作品がいかにもロココ的で明るい享楽的な作品ですが、個人的にこのヴァトーの作品をチョイス。
いかにもロココらしい森をバックに(ロココ絵画はこのような森でいちゃつくカップルが描かれがちです 笑)、男性が1人でギターを弾くポージングが好みで、顔や指の表現も良い。人物に引き付けられる絵画です。
ヴァトーは作品自体が希少(来日することも少ない)なので、その意味でも見ておく価値のある絵画だと思います。



・シャボン玉/シャルダン (1733-34年頃)


こちらのシャルダンもロココ期のフランスの画家ですが、シャルダンはロココの享楽性とは無縁の、落ち着いた風俗画や静物画を多く残されている作家です。子供の絵が可愛らしいのもシャルダンの特徴。
シャボン玉を吹く男性の姿と、後ろからのぞき込む小さな子供。シャボン玉にははかなさなどの象徴的意味もありそうですが、それよりも生活の一番面を切り取ったような、落ち着いた描き方に魅力を感じます。
当時の市民社会の生活の様子を感じることのできるのも、シャルダンの面白いところです。



・ホセ・コスタ・イ・ボルネス、通称ペピート/ゴヤ (1810年)


続いては18世紀末から19世紀にかけて活躍したスペインの画家、ゴヤの作品からの一枚。ゴヤは初期はロココ風の明るい作品を描いていましたが、徐々に聴力を失い、とくに19世紀に入るとかなり主観的かつ奇怪な絵を描くようになる画家です。
ゴヤは宮廷画家でしたが、王族であれあまり対象を美化せずに描く画家で、この作品でも子供はゴヤなりのストレートな視点で人物をとらえているように見え、興味深い一枚。細部の描き方は同じスペインの画家であるベラスケス譲りの大胆な筆遣いで、背景を省略する描き方もベラスケスに似ます。
近代絵画はゴヤに始まるという意見も聞かれます。細部をあまり描き込まない省略的な描き方や、人物を個人的主観でとらえたように見えるこの作品は、まさに初期近代的な絵画作品と言っても良いように思います。



・海辺にて/ルノワール (1883年)


最後はルノワールです。
19世紀後半のフランスの美術潮流である印象派の手法は、画家の目を通して捉えた外界の光をそのままキャンバス上に再現する試みであり、同時代の画家モネなどは晩年までその試みを貫いた画家ですが、ルノワールは印象派的手法の限界を知り、途中でこの手法を捨てた画家でもあります。
本展では「ヒナギクを持つ少女」(1889年)などが後期ルノワールらしい暖色中心の明るい絵画ですが、自分はこちらの「海辺にて」をチョイス。とくに背景が印象派的な手法で描かれていますが、人物や服装の様子はルノワールならではのもので、青色が目を引くのもこの作品の心地よい部分。
意味から離れ、絵を見ることのシンプルな快楽を味わうことができるのが、ルノワールの良いところです。



ということで、楽しい展示でした。
本展は大阪では1月中旬までの展示、その後は東京の国立新美術館に巡回します。中世末から近世を経て近代へ、ヨーロッパ絵画史の変遷が分かる面白い展示になっていますので、ご興味のある方にはおすすめの展覧会です。