【加計と毒ガス弾と金❗️】無尽蔵な毒ガス弾処理利権が絡む地❗️千葉科学大の銚子606件更新中… | ☆Dancing the Dream ☆

☆Dancing the Dream ☆

Let us celebrate
The Joy of life ♡
with ☆Michael Jackson☆

**2018年07月09日(月)【加計勉 経歴のウソ⁉️】 
 戦中、曽根の「毒ガス工場」の 教官だったのでは❓

**2018年07月16日(月)【加計と林原と恐竜ブランド】  
 破産した林原健を囲う死神ウヨ➡︎浜田マキ子〜安倍洋子〜加瀬英明

**2018年07月19日(木)【加計勉と毒ガス】 
 岡山進出の謎 / 忠海中学コネクション/池田勇人・宮澤喜一
 /大原に擦り寄る…

**2018年07月24日(火)【加計の泥船にのる天満屋】
 林原倒産→イオン進出→天満屋危機→加計と結託→安倍に連結

**2018年08月09日(木)【加計勉と半田山の毒ガス】
 加計勉が購入した学校用地(半田山)は「毒ガス弾充填工場」跡地だった⁉️



■加計学園 岡山理科大学(半田山)も
千葉科学大学(銚子)も毒ガス弾遺棄地❗️
無尽蔵な毒ガス処理利権が絡む❗️

加計学園 岡山理科大学は、
岡山市内の小高い丘(半田山)の上に建つ。

半田山は、旧日本軍の
広島陸軍兵器補給廠 三軒屋填藥所」が置かれ、
「半田山歩兵・工兵作業場」「岡山東陸軍射撃場」があった。
(これらの正確な範囲は不明)

加計勉が入手した土地、
岡山理科大学がある半田山には、
戦争末期、「毒ガス弾」が配備されていた。
従って、この周辺には、
遺棄された毒ガス弾が埋設されている可能性がある。

本土防衛のための「捨て石」にされた「沖縄戦」も終盤になると、
日本各地に、国際法違反の化学兵器を秘密裏に配備したわけだが、
貧者の核兵器と言われた「毒ガス」は、
敵軍だけに効力を及ぼすものではない。
日本兵も民間人も須く、お国のために
この秘密兵器の犠牲になるべし という計画だったのだ。

敗戦後、日本軍は中国大陸に大量の毒ガス弾を遺棄したが、
日本国内、日本国中にも、相当数の毒ガス弾を廃棄、遺棄している。

戦後、
日本政府は、「旧軍毒ガス弾等の全国調査」を
1973年と2003年の2度しか行っていないが、
環境省の2度目の調査で、
下図のように、「毒ガスを廃棄、遺棄した場所」が
日本国中に点在していることが示されている。

「廃棄」も「遺棄」も方法に変わりはなく、
米司令部の監視監督の元で場所を指定されて行われた場合を
「廃棄」と呼んでいるだけであって、
焼却される場合もあったが、ほとんどが海中投棄された。
無力化されて処理されたわけでも何でもない。

日本軍が米軍進駐の前に、
埋設、海中投棄するなど「遺棄」した毒ガス弾に関しては、
公文書が残存せず、遺棄場所の調査は、
寄せられた証言に頼る他ないのが現状である。

そして、「毒ガス弾 被災or発見or処理された場所」を 青で示す
環境省が作成した地図をご覧いただきたい。

飛び抜けて多数の毒ガス弾が見つかっているのは「銚子」であり、
調査した2003年時点で606件と桁違いである。
1951年に海岸で毒ガス砲弾を発見した人が4名死亡するという事件以来、
毒ガス弾 被災事故が頻発し、
1970年以降、集中的な掃海事業が行われている。

銚子市といえば、銚子半島突端に設置された
加計学園の千葉科学大学(2004年)。
銚子市は、加計の大学誘致によって財政破綻の危機に追い込まれて
「第二の夕張」とも言われ、
今治の岡山理科大学 獣医学部と同じく、
多額の助成金返還を巡って現在も市民との闘争が続いている。

千葉科学大学には、安倍総理 肝いりの危機管理学部が設置され、
オウム事件の調査で重要な役割を担った
BC兵器の専門家 Anthony Tu(杜祖健/ 台湾系)博士
教授として招いている。
Tu博士は防衛マフィアの巣窟「日米平和・文化交流協会」理事でもあった。
Tu博士の父・杜聡明は、日本統治時代の台湾の
後藤新平の「アヘン専売」に貢献した医学者だ。
安倍総理も少なくとも1998年〜2005年まで 同会の理事に就任していた。
「日米平和・文化交流協会」の安保研は、防衛庁の入札で調査委託を受け、
210億もの毒ガス処理事業(福岡の苅田港)を神戸製鋼に齎している。
http://shopworld.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_9f82.html

加計と「毒ガス」の縁は深い。
戦中、加計勉は、
大久野島(広島陸軍兵器補給廠 忠海分廠)から運ばれた
毒ガスを砲弾に充填していた「曽根毒ガス工場」で、
動員学徒を指導する教官だったことを隠し、
経歴詐称している疑いが濃厚である。
戦後は、軍の機密保持者という立場を特権的に利用して、
学校法人経営者として成り上がったのである。

毒ガスという化学兵器に関わった年若い学徒たちは、
何も知らされないまま戦争犯罪に加担させられ、
加害者と被害者の両面の立場から
身体の障害とともに精神的苦悩に苛まれる人生を歩んできた。
毒ガス障害者への健康診断や後遺症の研究を行う広島大学を中心とする
「大久野島毒ガス傷害研究会」の発足(1961年)を契機に、
後遺症を負う彼らは負の遺産の証言者となって団体を組織してきたが、
高齢化が進み、その灯も消えようとしている。
2017年) http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=76989
2018年) https://news.yahoo.co.jp/pickup/6292847

「大久野島毒ガス傷害研究会」が発足して、
かつて毒ガス工場で使役された学徒たちが口を開き始めたのと同年、
1961年、加計勉は広島を離れ岡山へと進出するための
学校用地(半田山)を入手したのである。

加計は、創立時から防衛マフィアの一隅にいた。
加計学園は、過去も現在も
そして、未来も 防衛利権に与ろうとしているのだろう。

化学兵器処理事業(旧軍毒ガス処理)というのは、金になる
無尽蔵とも言える巨大な防衛利権なのだ。
※国内のみならず中国の毒ガス処理利権の中心に安倍がいる
ということについての詳細記事はこちら

■ 環境省 毒ガス弾の調査資料
**環境省 国内における旧軍毒ガス弾等に関する取組について
**軍毒ガス弾等の研究、生産及び配備等の経緯
**旧軍毒ガス弾等の保有、廃棄、発見及び被災等の状況
**旧軍毒ガス弾等の廃棄・遺棄状況 (↓下図表)
**戦後における旧軍毒ガス弾等の発見・被災・掃海等の処理状況(↓図)








■岡山理科大学(半田山)の敷地内
「午砲台」そばの地下豪を
「役所が閉鎖していった…」

岡山理科大学の「クラブハウス」から
駐車場を突き当りまで行った斜面の下に、
陸軍が使っていた空砲で時を知らせる「午砲台」があった。

〜〜その「午砲台」の西側斜面下に、
大東亜戦争末期、陸軍が地下壕を掘削していました。
掘削した部隊、用途ともに不明です。
・・・行ってみたところ残念ながら、閉鎖されていました(゜Д゜;)
近所の方の話では
2、3年前(取材時、平成24年)に役所が来て閉鎖したよ」との事です。
長さは10m程度だったそうです。〜〜
「戦争遺跡」現地調査ブログ 大日本者神國也 より
http://shinkokunippon.blog122.fc2.com/blog-entry-1368.html



■映画『にがい涙の大地から』
監督 海南友子のメッセージ


戦争が終わって60年 今もなお傷つけられる人々と出会って
 第3回集会 2005年7月9日
〜より

「ちょっと恐い話をします。
先ほど見ていただいた環境省の資料の裏側に日本地図があります。
この日本地図には、戦争が終わった後で
日本の国内で起こった毒ガスの事故、
もしくは毒ガスが見つかった地点が描かれています。
見ていただくと分かるんですけれども、
本当に見つかってない県を探すほうが簡単で、
つまり全国的に日本の国内にも毒ガス弾があったり、
もしくは死亡事故が起きているんです。

これは何故かというと、沖縄戦が終わったころに、
今度はいよいよ本土決戦で日本国内が戦場になるということで、
アメリカ軍や連合軍に対して毒ガスを使うために、
あちこちに毒ガスを配備したんですね。
それが敗戦時に不法投棄されたり、もしくは紛失してしまったりした。
毒ガスのある原料は殺虫剤の原料になるので、
どこかに供出してしまったりもして、
結局日本の国内にもいっぱいまだ毒ガスがあるんです。

実際に事故がけっこう起きています。
最近だと3年前に茨城県の神栖町で井戸から
毒ガス由来の砒素が出て子供が怪我をしたり、
神奈川県の寒川町でこれも3年前に
高速道路の工事現場から毒ガスの入った瓶が見つかりまして、
それで8人が被害を受けています。
1人はかなり重症で、恐らく今日見ていただいた映画の男性の
被害者のような感じで、これから一生苦しむことになると思います。
去年の12月には福岡で上映会があったんですが、
福岡県のある港町で一昨年に港から800発毒ガスが見つかりまして、
自治体と国の協力で1個ずつ引き上げて回収している途中でした。
ですから本当に他人事じゃないというか、
自分が住んでいる地域から毒ガスが出ていますので、
見ていただいた映画みたいな状況が
いつ自分に降りかかるか分からないということで、
たいへん皆さん怖がっていました。(中略)

皆さんがお住まいの地域とかゆかりのある方がお住まいの地域で、
関係のありそうな所がありましたら是非、
環境省の方に問い合わせをして欲しいんですね。
べつに私は環境省の協力者でもないんですが、
自分の国内でちゃんと対応ができるのは環境省だけなので、
ぜひ情報があったり危険性の問い合わせがあったら、
環境省に連絡していただけたらと思っています。
さっき言ったように日本は2回しか毒ガスの調査をしていなくて…

「いちおう日本政府もジュネーブ協定に加盟しましたので、
97年からちょっとずつ実は処理を始めてるんですね。
国交がない時代に中国が山の中に埋めていた60万発に関しては、
もうそれはやりますというふうに腹をくくって、
いま一生懸命処理を進めてるんです。

3000億円の予算をかけて処理施設を作る
という話になってるんですけれども、
ODAとかと一緒で、結局日本のなんとか重工とかに
そういうお金が落ちるんですね。
もちろん処理するんですからどこにお金が落ちてもいいんですけども、
結局また儲けるのは日本の企業みたいな、そういう状況になっている。
 
この4年でまだ4万発しか処理できていなくて、
まあ60万発ぐらいありますから、
あと何十年かかるかは計算すれば分かっていただけることですが。
ですから日本政府は被害者への補償はまったくしないけれど、
毒ガス弾の処理は仕方がないからやりますということです。」

「私の上映会にも、すごく身なりのいいサラリーマンの方が
時々いらっしゃるんですね、
いわゆる市民運動とかに居ないタイプの方で。
何でこんなところに来るのかなあと思っていたら、
一人の方がある会社の名刺をくれて分かったんですが、
毒ガス処理のプラントは結構大きなお金になるみたいです。
そういうのを狙って〈今日は勉強に来ました〉って
その方おっしゃっていて。
〈私たちは何年も化学兵器の処理の研究をやってるんだけど、
被害者には会ったことがなくて、今日初めて映画で見ました〉とか、
〈これは絶対処理しなきゃいけませんね〉と言いながら、
目がもうお金の感じになっていました。」


【ドキュメンタリー映画『にがい涙の大地から』あらすじ】
リュウ・ミンが19歳の時、父親が、旧日本軍の遺棄した砲弾の事故にあった。
手足が吹き飛び18日間苦しんで死んだ。
父の死後、治療費は莫大な借金になり、家も全て売った彼女たちは、
一生働いても消せない借金を背負ってしまった。
李臣は29歳の時、河の浚渫作業中に旧日本軍の毒ガスの事故にあった。
毒ガスの入れ物に触った両手は水泡が沢山できて、
ぶどうの房のように膨れ上がった。
涙が止まらなくなり、手の指と指の間はくっついて水かきのようになった。
体中から膿がでて、口や性器は腐ってひどい匂いがした。
毒ガスの後遺症で極貧生活に転落した李臣一家は追いつめられて
2回、自殺未遂をはかっている。
2003年8月には、中国東北部のチチハル市で、
新たな遺棄毒ガス兵器の事故が起きた。
1名が死亡、子供を含む43名が深刻な後遺症を負った。
戦争が終わって60年。中国の大地には今も、
日本が棄ててきた兵器が人知れず眠っている。...


【海南友子(かなともこ)経歴】
1971年 東京都生まれ。
日本女子大学在籍中に、是枝裕和のテレビドキュメンタリーに出演。
卒業後、NHKに入局。報道ディレクターとしてNHKスペシャルなどで
環境問題の番組を制作。2000年に独立。
初監督作品01年『マルディエム彼女の人生に起きたこと』
(インドネシアの慰安婦)
04年の『にがい涙の大地から』(旧日本軍の遺棄兵器)
黒田清・日本ジャーナリスト会議新人賞を受賞、
台湾国際ドキュメンタリー映画祭正式出品。平塚らいてう賞受賞。
以下こちら↓
http://kanatomoko.jp/profile.html