【加計勉 経歴のウソ⁉️】戦中、曽根の「毒ガス工場」の 教官だったのでは❓ | ☆Dancing the Dream ☆

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■父の伝記出版費の名目で
学園の金を孝太郎のおこずかいに❗️
番頭さんが握る証拠❗️


〜〜番頭ワタナベ「巨悪対チンカス」発売中@yoswata6月26日
あ、思い出した。渡邉「おまえも金がないと困るだろう。
これは50周年事業の加計勉の伝記出費料として
(嘘の名目で)払おうかとも考えている」と言っていた。
文科省は50周年事業の帳簿を調べて下さい。
200万円の不正支払いが見つかります。
嘘なら訴えてみろよwwww〜〜

〜byじじい通信さんの秀逸な一作

加計学園の創設者・加計勉の伝記は何冊か出ているようだが、
その度に、渡邊(北村)事務局長は、
加計孝太郎のおこずかいを捻出していたのだろうか…

■加計勉の経歴のウソ⁉️
戦中、加計勉は、
曽根「毒ガス製造工場」に関わる
教官だった
…⁉️


記録に記されている加計勉の経歴は、
広島高等師範学校(広島大学 教育学部)卒後、
戦時中、1944年9月、教育招集により、
福岡県旧小倉市の「航空機工場」で
学生の引率責任者だったことになっている。

しかし、それが事実とは異なるとしたら、
加計勉の伝記も書き換えねばならないだろう。

福岡県旧小倉市に曽根飛行場はあったが、
「航空機工場」があったというのは、
史実とは異なるのだそうだ。

当時の旧小倉市の曽根町にあった曽根飛行場には、
戦闘機工場や航空機工場の併設は無かったという。
曽根町には学徒も動員され、
そこにあったのは、
満州(満州第七三一部隊)に送る毒ガス弾を製造した
曽根毒ガス工場(東京第二陸軍造兵廠 曽根製造所)であった。


東京第二陸軍造兵廠曽根製造所(曽根毒ガス工場)
福岡県北九州市小倉南区にある戦争遺構。

曽根毒ガス工場は、1937(昭和12)年に開設され、
中国大陸で使用する毒ガスを兵器に詰め込む作業が敗戦まで行われていた。
現在跡地は陸上自衛隊曽根訓練所となり、
2000年3月からは日本で唯一の市街戦を想定した
「重要防護施設訓練所」として利用されている。

日本軍は、1919年 武器開発のための「陸軍科学研究所」を設置し、
化学兵器の開発は、百人町の「第6陸軍技術研究所」で行われた。
さらに1939年「謀略の岩畔」との異名をとった岩畔豪雄大佐によって、
秘密兵器開発の通称「登戸研究所」が設立され、
原子爆弾、生物兵器、 化学兵器、 特攻兵器、 謀略兵器、 風船爆弾、
缶詰爆弾、 怪力光線、殺人光線、電気投擲砲など、
国際法で禁止された兵器開発を行っていたのである。

毒ガス(化学兵器)製造工場は、
「地図から消された毒ガスの島」と言われる
今のしまなみ海道よりやや西に位置する
瀬戸内海の小島・大久野島や、
また、今も旧毒ガス工場の建物が残る北九州小倉市の曽根や、
習志野学校満州第五二六部隊などの教育訓練工場であった。

加計勉が、年端もいかない子供達を毒ガス兵器工場に動員する
引率教員か監督教員のような仕事をしていたのではないだろうか。

加計勉は、曽根の〈戦闘機工場〉の生徒たちの待遇の改善を求め、
時に軍側責任者との対立も起こしたとされているが、
それは、半分はウソで、半分は本当なのだろうと思われる。
あったのは〈戦闘機工場〉ではなく〈毒ガス工場〉だ。
加計勉が、毒ガス工場に動員される子供の
何らかの指導に関わったことは隠しているが、
そこで働かされ、健康を害した子供も、
死んだ子供も大勢いたのであるから、
待遇の改善を求めていたのだとしたら、
少なくとも、子供達の身を案じる心は持っていたのだろう。

曽根の工場では、大久野島で製造された毒ガスを運びこみ、
砲弾に充填する作業を行なっていた。
加計勉は、この行程で何らか子供を指導する立場にいたのではないか。
彼とても徴兵された全ての人と同じく
加害者であり、被害者なのだろうが、
化学兵器が国際法違反の大量破壊兵器であることは
当然 知っていたはずだ。

また、重要なことは、終戦時の《大量投棄》に
関わっていた可能性もあるということだ。
原爆を受けた広島の知識者、
大学を創設するような教育者としては、
少なくとも事実を語る責任はある。
裏を返せば、政府の機密情報の隠蔽の協力者として、
年若い教師の私立一条校が認可される過程で
どれほど優遇されたかということも想像せざるを得ない。

BC兵器のうち、
毒ガス兵器は、このように、秘密裏に日本でも製造されたが、
生物兵器の場合は、
1932年、陸軍軍医学校防疫部の下に石井四郎ら軍医5人の
防疫研究室(別名「三研」)が開設され、
同時に出先研究施設も設置され、
満州の七三一部隊や、中国およびシンガポールの部隊が置かれた。

これらの大量破壊兵器の使用は、人道上の罪として
国際法で禁止されていたが、
日本軍は、開発製造しただけでなく、
実際に戦場でBC兵器を使ったのである。

テレ朝のドキュメンタリー(↓動画)には、
15歳から「大久野島」毒ガス製造工場で働かされ、
その影響で障害者となりガンを患っている証言者、
また、習志野学校の毒ガス工場の詳細な資料が紹介されている。
資料には、中国全土で毒ガスを使用した手書き地図まで残されていた。


テレビ朝日 テレメンタリー 2012年8月14日放送
『地図から消された島で~暴かれる毒ガス戦の真実~』

■安倍と日本軍の遺棄した
「毒ガス処理」事業という莫大な利権


さらに…
日本の毒ガス兵器に関わる罪は、戦中では終わっていない。
恐ろしいことに、
戦後も、罪に罪を重ねるような欲深い連中が、
戦中と同じ顔ぶれ(その子孫)で戻ってきて、
「残留兵器の処理ビジネス」に群がっているのだ。

この記事(↓)を紹介する。

〜〜【苅田港の旧陸軍毒ガス処理】
福岡県苅田町の苅田港沖などの海底で
旧日本軍が遺棄したとみられる「毒ガス弾」が見つかり、
旧防衛庁が2003年2月、
日米平和・文化交流協会」(秋山直紀 理事長)の前身団体に、
調査事業を約900万円で委託した。
結果を基に同年11月、第1期処理事業の入札が行われ
神戸製鋼所」が落札。
06年からは国土交通省所管の事業となり、
神鋼が引き続き受注し現在第5期を実施中。
これまでの総事業費は約260億円で、
計約2000発が無害化処理されている。〜〜
(西日本新聞 2008年08月29日)


安倍が務めていた「神戸製鋼所」に
260億円が転がり込んだというわけだ。
つまり、
《旧日本軍の遺棄した毒ガスの処理》事業は、
莫大な金になるのだ❗️
そして、これは、中国全土で《遺棄された毒ガス処理》事業が
展開できるという無尽蔵な儲け話なのだ。

    

**最大の旧日本軍の遺棄化学兵器の砲弾埋設地、ハルバ嶺における砲弾数は約 30~40 万発。 
**2007年安倍は温家宝総理に旧日本軍の棄化学兵器の廃棄のため新設備導入を表明。


【防衛利権 詳細記事↓】
**【日本の戦争麻薬ビジネス⑤】
 戦争=金‼️ 戦争麻薬中毒患者の「汚れた防衛産業 今昔物語」

**最大の防衛利権「旧日本軍の毒ガス処理」の真ん中に安倍がいた❗️
 「内閣府」操作はモリカケと同じ手口


■オウム中川のVXガス知見は、
アメリカにとって最重要情報❗️
米軍手先・Tu博士(千葉科学大)が
聞き取り完了後… 死刑…の無情…


そして、西日本新聞の記事の文中にも出てくる
日米平和・文化交流協会については、
この記事にも書いたが…

「日米平和・文化交流協会」の前身は、
「日米文化振興会」という名称で、
戦後、GHQ参謀第2部(G2)の「赤狩りのウィロビー 」と言われた
チャールス・A・ウイロビー少将が、
マッカーサーの愛したスパイ・笠井重治に作らせたものだ。

”文化交流”を偽装した「日米平和・文化交流協会」を中心に、
協会とほぼ一体の国防族議員の「安全保障議員協議会」、
米国の右派シンクタンク「ヘリテージ財団」などの共催で、
「日米安保戦略会議」をひらく。
「日米平和・文化交流協会」は、日米戦争屋が、
日本の防衛利権を貪る装置なのだ。

この「日米平和・文化交流協会」理事に
1998年〜2005年まで、安倍も就任していた。

そして、加計の千葉科学大の教授になったBC兵器の専門家で、
オウム事件の捜査協力もしていたTu博士(杜祖健)も協会の理事だった。
Tu博士は、台湾系アメリカ人で、コロラド大学名誉教授でもある。
父(杜聡明)は、日本統治時代の台湾の後藤新平のアヘン専売に
協力し、推進した医学者だ。
杜 父子は、共に、日本から旭日中綬章受章を授与されている。

先日の7月6日、
松本智津夫、早川紀代秀、井上嘉浩、新実智光、
土谷正実、中川智正、遠藤誠一、
オウムの死刑囚7人の死刑が執行されてしまったが…

Tu博士は、特例として中川智正への面会を許可され、
計14回の面会を重ね、
中川と連名で論文を書いていた。
中川は、「オウムの化学兵器と薬物の製造表」という
見事な論文を獄中で書き、Tu博士を驚かせたという。

そして、死刑執行の約2ヶ月ほど前の5月21日、
Tu博士と中川の論文が、
日本法中毒学会の学術誌「Forensic Toxicology」電子版に掲載された。
論文のタイトルは、
〜〜「Murders with VX:Aum Shinrikyo in Japan
 and the assassination of Kim Jong-Nam in Malaysia」
(VXによる殺人~日本におけるオウム真理教と
 マレーシアでの金正男氏暗殺)〜〜である。
収監中の死刑囚の論文が学術専門誌に載るのは、
極めて異例なことだった。

この論文は、昨年2017年11月に発表されたものだが、
歴史的な南北会談、そして、米朝会談の行方が注目されるこの時期に、
金正男暗殺事件にまつわる〈化学兵器〉使用事件の解決の
一助となるであろう論文を改めて電子版で出したのだろう。

2017年2月、金正男氏がvxガスが暗殺された件で、
毒性学の専門家としてTu博士は、
毎日新聞の岸記者より原稿の依頼があった。
(2/25毎日新聞 朝刊に載った)

その際、オウムの中川死刑囚(医師)から
弁護士を通じてメールがあり、中川と交流したが、
〈中川はマレーシア政府が検証する前に、金正男 暗殺はvxである〉
と断定していた。

vxに関して、
vxの製造、vxの中毒、vxの治療(カンフル剤アトロピンで処置)の
一連の経験をもつ専門家は、世界で中川ただ一人だったのだ。


中川は、岡山県出身、京都府立医科大学医学部卒の医師だった。
オウムでは、土谷正実と共に化学兵器の開発製造に深く関わっていた。

彼は、坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件にも関与しているが、
Tu博士の関心は、
VX襲撃事件、VX殺人事件についてだった。

中川は、
一に、VXを開発し、
二に、オウムのVX中毒者を解毒剤PAMで治療し、
三に、自分自身もVXに手を浸し解毒剤で一命を取り留める。
〜という経験をした《世界で唯一の医師》であった。

重要な知見としてこの記録の残さねばならない
ということだったのだ。
Tu博士の他に、面会できるのは、
米シンクタンクCNASの
元米海軍長官のRichard Danzigだけだったということからも、
Tu博士の一連の中川への関与は、
米軍の指示に基づき、日本政府が受容したという経緯だろう。

つまり、中川の頭の中だけにある
vxの「人体実験」の微細なデータは、
軍事における貴重な知的財産であるということだろう。
利用できるものは利用し尽くす。
A級戦犯を傀儡にし、
731部隊の情報を吸い上げて日本の医師会に重鎮に据え、
原爆被害者の治療なしの調査でデーターを持ち去った、
冷酷な戦争屋の論理だ。

加計学園の千葉科学大の教授・Tu博士とは、
米軍の化学兵器の知見収集のために働く。
そういう人物であるということだ。

加計や日大の
安倍の要請で生まれた危機管理学部は、
注視しなければならないだろう。
知らぬ間に、何かとんでもないものに
化けるかもしれない。