第2部 クイロンの虎(1) | ぬうむ

第2部 クイロンの虎(1)

(ブログネタ:部屋はキレイ? 参加中)

目 次 第1部 カトムスへの道(1)  2008年11月08日
           (2)  2008年11月09日
           (3)  2008年11月10日
          (3)  2008年11月16日
          (4)  2008年11月24日
          (5)  2008年11月25日
          (6)  2008年11月30日
登場人物など(途中まで) 登場人物と地名の整理 2008年11月20日
          (2)  2008年12月07日
          (3)  2008年12月13日
          (4)  2008年12月15日
          (5)  2008年12月20日
          (6)  2008年12月23日
エピローグ            2008年12月24日

ジュリアのルームは生活維持ロボット、オクサン38によっていつも清潔に保たれている。しかし、ジュリアは、このルームだけでなくパナイクの街が好きではなかった。誰もがこの街に好きで住んでいるわけではないことも知っているから、文句を言ったことはない。ひとつの壁いっぱいに表示モジュールがあるのに立体ホログラムの性能があまりよくないので、せいぜい4分の1のサイズにしかできないのも不満のひとつだった。


このクイロンのエリア内であれば、パナイクを自由に出て行くこともできた。しかし、このエリアの中ではどこも湿度が高く、蒸し暑いのには変わりない。みんなと同じで生まれたときから家族とは離ればなれで、仕事以外にはしがらみがない。それに、もう居住エリアを変える条件の「ひとつのエリアに50年以上居住すること」はクリアしたのだから、クイロンの長(おさ)ベオハンの許可さえあれば、もっと涼しく乾いた居住エリア、たとえば第2種エリアのイコロドあたりに移ることもできる。


通常業務を終え、4時間も超過して働いた後にルームに戻ったのが28時。シャワーも終え、寝るまでの8時間を昔の映画と持ち帰った仕事で過ごそうと思っていた。壁面表示モジュールの右上に赤いランプが点滅し、ライポルからの連絡があることを告げた。右のポケットに入れたケータイを手にする必要はなかったが、表面の紫がかった光沢の美しい面に触れるのが好きだった。伸縮するひもがときに邪魔に感じることもあるが、なくすと面倒なので、いつもスーツの腰あたりにつないでいる。表面の右隅を軽く触れ、壁のモジュールではなく、ケータイの上にライポルの小さなホログラムを出した。


「ジュリア、夜の食事に行こうと思う。もうすぐ仕事が終わるから、30時に着く。それでいいかい?」

またか。ライポルはわたしの決められた相手として公認されているので文句は言えないが、1人目の子どもを産んだときになぜか胸のあたりが苦しくなってしまって、義務付けられている2人目の子どもを作ることに関しては気が乗らない。
「ライポル、食事に誘ってくれるのはうれしいけれど、あしたまでに無重力状態のドーム内植物の受粉に関する報告書を出さないといけないのよ」事実ジュリアが働いているパナイク生物研究所では最近になって、この星カトムスのヒト以外の生物の研究が急ピッチに進んでいる。ルームにも、紅色クリカエデの苗木を何本か専用容器に入れて持ち帰っている。
「上層部から急いでやれという命令が出てるらしいのよ。悪いけれど・・・」
「わかった。急ぐことじゃないしな。今度にしよう」と通信が切れた。他人が決めたペアなんてこんなものだ。


ケータイをポケットにしまうと、急におなかが空いてきた。職場で22時にとった夕食が軽いものだったから当たり前だろう。壁面モジュールに向かって「C定食」と小声で言うと、オクサン38が「それは本日すでに食べました。A定食をお勧めします」という。まあ、どっちでもかなわない。「じゃそれにして」小さなテーブルに座る前に、テーブルの向こうの壁に穴があき、A定食のトレイがテーブルの上に排出された。
(ふん、もうできてたんじゃないの)


    ◇    ◇    ◇    ◇


気がつくと、ベッドで寝ていた。でも、ボクのベッドでもなければ、この部屋の中は今までに見たことがない。ここはどこだろう。バッグがあることを確認して、ぬうむは立ち上がり、とにかくこの部屋から出ようとした。ちょうどそのとき、ドアが開いた。もう80歳くらいになろうとする老婆があらわれ、ぬうむに穏やかに話しかけた。


「眼が覚めたかい、ぬうむ」
「えっ、はい。あなたはだれですか?ボクのことを知ってるの?」
「わしゃ、お前の担任だった真壁の母親じゃよ。お前のことは娘から連絡を受けたからよく知っておるよ」
「えっ。真壁先生のお母さんって昔亡くなったって聞いたけれど・・・」
「ふん。娘が管理役を引き継いだときにわしゃ、カトムスに来たんじゃよ。65年間も地球に住んでいたけど、娘に管理役の仕事をまかせて、引退したんじゃ。わしももうじき100歳じゃからのう」


カトムス・・・。そうだ。ボクは湖の穴に入ったことを思い出した。底についてから、歩き出したとたんにあのまばゆい光に包まれて意識を失ったんだ。ひょっとして、ここがカトムス星なのか。


「ここはカトムス星なの?」
「そうじゃよ。カトムスの特殊エリア、ジャファナというところじゃ」
「ジャファナ・・・。それは地名なの?」
「そうともいえるのう。ぬうむよ、わしがこの周りを案内してやるから明日帰るんじゃぞ」
「ええっ。タメ子、いや為我井さんはどこにいるの?とりあえず会って話したいんだけれど」
「彼女に会うことはないと真鍋からも聞いているはずじゃぞ。大体が、もうジャファナにはおらんから会おうと思っても無理じゃがな」
「せっかくここまで来たんだから、会うまでは帰らないですよ。道とか乗り物とかはあるんでしょ?」

「ふん。何にも知らんのに無謀じゃのう。お前さんの頭と体じゃ100年かかっても会えんぞ。エリアを移動するだけでも最低そのエリアに50年住まなくちゃならんし、ここからだと他のエリアに行くのはほとんど無理なんじゃよ。為我井、ここでは『レイナ』と呼ばれているんじゃが、彼女が向かったのは多分ベルガオンじゃから、まず不可能じゃな」
「レイナか・・・。移動するトンネルがここには50か所もあって移動先を選べるんだってそのレイナが言っていたんだ。そのトンネルに行けばいいんでしょう?」
「移動先を選べるのはそれぞれのエリアの長か、カトムスの根本的な機能を運営するナシク一族だけじゃよ」
「おばあちゃんならできるの?」
「ばかな。我々他の星の管理役っていうのは、カトムスではどっちかというと下級階層なんじゃよ。下級階層がベルガオンに行くのは一族から呼ばれたときか機械が壊れたときだけじゃよ」
「ふーん。難しいんだな。でもなんか方法はあるんでしょ?」
「ないのお、お若いの」


そのあとも真壁おばあちゃんからいろんなことが聞けた。カトムス人といっても1000年以上も地球環境にいたため、外見も考え方も変ってきているっていうことだけど、ボク自身が純粋なカトムス人と会っていないためか何だか違和感なく付き合えそうな感じだ。


2~3時間も面白く話を聞いているうちに夜の10時になってしまった。おばあちゃんも疲れたようなので、案内された先ほどの部屋で寝ることにした。寝る前にノートにおばあちゃんから聞いたカトムスに関することを思い出して書いておいた。


カトムスは、地球から173光年離れたアギラー系の惑星であること。地表の広さは地球の約4倍。2300年ほど前に小彗星が衝突し、壊滅的な被害を受けたけれど科学技術によって現在は30億人程度のカトムス人が規律正しく生活している。でも、衝突の影響で、外気は汚染され、気温がマイナス200度にもなってしまったため、巨大なドーム(球状の生活圏)を作り、人々はそこで暮らしている。


ドームは、ここも入れると全部で10個あり、それぞれが独立したエリアと呼ばれている。ここジャファナは一番小さくて直径が500キロメートルくらいで、中に地球と同じ環境を再現している。他の星との連絡エリアはここも含めると合計3つあり、それぞれのエリアの環境は、通じている星の環境に合わせていて、住んでいるのはそれぞれの管理役とそれに係わる者たちだけであるため特殊エリアといわれている。他に、第1種エリアとして寒暖の度合いが異なる3つのエリア、この星の中枢となる機関が多く、環境もよい第2種エリアが3つ、そしてカトムスの政治的決定権を持つナシク一族が住んでいるベルガオンという第3種エリアがある。特殊エリア以外のドームの大きさは、それぞれ異なるが直径1万キロを超えている。


特殊エリアから他のエリアへの移動は、相手エリアの長の承諾がないかぎり不可能であるが、同種間または第1種と第2種間の移動は、50年間居住したものにかぎり自分のエリアの長の許可だけで可能である。第3種エリア居住者の移動は基本的に自由である。


特殊エリア以外は、通常のカトムス時間、つまり1日36時間、1年243日で進んでいく。寿命の平均は、160から170歳。25歳から100歳までは任意の10年間を除き、勤労する義務があるが、貨幣の概念がなく、すべての人が公共住宅に住み、公共の仕事に就く。概念と言えば、夫婦・恋人という概念も存在せず、したがって恋愛の感情がないそうだ。決められた男と女が同居することもなく、2人の子どもを作り、その生まれた子どもは、生まれた直後から10歳まで地球で言う「施設」で育てられ、誰が親なのか、子なのかわからないため親子という概念もないらしい。


カトムス人の外見は地球人にかなり似ているようだ。違うのは、身長が男女ともに150センチ程度であること。体毛がほとんどなく、衣服はジャンプスーツのようなものを常につけている。耳と鼻については、ほとんど機能していないが、目は地球人に比べ高機能だ。言葉は地球のそれとはまったく違い、超音波のようなものだから地球人には意味はもちろん、聞き取ることさえ困難なんだそうだ。住居は、ルームと呼ばれる地球でいう2DKのマンションみたいなもので、原則として独り暮らしである。


    ◇    ◇    ◇    ◇


そんなことは分かっていたはずだ。ジュリアは思わず舌打ちした。紅色クリカエデの苗木に液状イオン化レジデスを与えるなんて。枯れてしまうことは簡単に推測できたはずだ。ルームに付属した実験室のなかでも充分な設備は整っているが、さっき見たチキュウの映画のワンシーンに強いインパクトを感じてしまい、初歩的なミスをしてしまった。持ってきた苗木の半分が使えなくなってしまったのだ。


もう35時を過ぎてしまった。36時になるとライフソナーと非常用ライト以外のすべての電源が切れるので、急がなければ。レポートにするには苗木が足りないがやらなくてはならない。残った苗木を5つの実験用無重力チューブに1本ずつ入れた(これで行くしかない)。


30分後。予想された結果しか出そうにないとわかってきた段階で、同時にレポート作成を始めた。実験中ケータイの分析プログラムをオンにしておいたので、あと10分もあればレポートもできあがる。36時に間に合わなければ、朝早く起きればいい。


すべての実験が終わり、ほっとしたジュリアが小声で「ベッド」というと、居間兼寝室となっている部屋でわずかにギーっという音がした。もう寝る準備も整った。レポートもあと数秒で終わるだろう。ジュリアは、片付けを始めた。(10分前か。あの映画のせいでこんなにぎりぎりになっちゃったな)実験室を出ようとふと専用容器の紅色クリカエデを見た。


(なんてことだ!さっき枯れたはずの最初の苗木のうちたった2本だが、生命兆候が見られる。監視モニタはオンになっていたはずなのに気がつかなかったんだ!一体どういうことだろう)


    ◇    ◇    ◇    ◇


夢だったのか人がしゃべるような声が聞こえ、眼がさめた。顔を洗い終えると、真壁おばあちゃんのいる居間に向かった。家の中も、窓から見る景色もまったく地球と変らず、本当にここがカトムスなのかという疑問が再びよみがえってきたが、おばあちゃんの姿を見たときにはやっぱり現実だったんだと改めて思った。


「おや、早起きじゃな。まだ8時じゃよ。地球では休みの日には10時頃まで寝ていたろうに」
「おはようございます。昨日は早く寝たんで・・・。ところで、ここで一緒にご飯食べていいですか?」
「ああ、構わんよ。こっちに来て座んなさい。わたしゃお茶でも入れてやろう」
「ありがとうございます」


ボクはバッグの中からコンビニ弁当とパンを取り出した。「おばあちゃん、パン食べない?」
「おや、嬉しいね。いただくとするかね」と真壁おばあちゃん。「今日少し見てから帰るかね?」
「いや、やっぱりタメ子っていうかレイナを探すことにしました」
「強情なやつだね。まぁ、こういうのが地球人のいいところかも知れないね」
「わかってくれたんですね。よかった。それじゃあボクがここでレイナに会うための方法とか教えてください」
「じゃから、他のエリアに行くには相手エリアの長の許可が必要じゃ。しかも大気や言葉の問題があるっていっとるじゃろう」
「だけど、100年位前にボクのおじいちゃん、ん?そのお父さんかな、は行ったことあるんだからボクでも行けると思うんだけどなぁ。」
「あの人の場合は、わしもよく知らんが、適合手術を受けたし、ナシクに呼ばれたからベルガオンに行けたんじゃよ。お前の場合は、ナシクにもまだ知られとらんから今日か明日帰ったほうがいいんじゃ」
「適合手術って言ったよね。それって簡単なんでしょ。その手術をすれば他のエリアでも、生きてられたり、話したりできるの?」
「うーん。人の話を聞いておるのか・・・。仕方ないから教えてやるが、吸い込んだ大気中にある物質をその生物の環境に合わせるのと、カトムスの信号を簡単にいえば翻訳するもんで、首の後ろにチップを埋め込んで脳のそれぞれの役割をはたしているところと接続するだけの簡単なもんじゃよ。しかしなぁ、お前がカトムス人に話しかけられるようにはならんぞ。それにどうやってベルガオンに行くっちゅうんじゃ」
「とりあえず、第1種か第2種エリアに行って・・・」
「じゃから、ジャファナから出るには受け入れ先の長の許可がいるんじゃよ」
「おばあちゃん誰か知らないの?」
「そうじゃなぁ・・・。クイロンのベオハンならなんとかなるかもしれんな。・・・じゃけど、お前がカトムス人でないことがわかったら、すぐ捕まって、2度と地球に帰れんかもしれんぞ。それでもいいのか」


ボクの答えは、ここに来たときにすでに決まっていた。