先日テレビを見ていたら、なんだか白ごま油がすごく健康に良いとか、お肌に良い等と言っていて、それについて「白ごま油に詳しい専門家」と呼ばれる医学博士の何とか言う人が出てきてなんだかんだと説明していました。
 もちろん内容は胡散臭くて、お肌に塗るとすぐ浸透して毛細血管に入って血液とともに直接肝臓に届くなどと、うわあ体に悪そうと思わずつぶやいてしまうようなお話だったのですが、それ以前にふと思ったのが「白ごま油に詳しい専門家」です。


 仮に「白ごま油は本当に体に良いのだろうか?」と言う疑問が上がった場合(本来の番組の構成はそうなっていた)、それを誰か専門家に尋ねるとしたらおそらく「白ごま油に詳しくない、普通の栄養学の先生あるいは皮膚科の医師」が最も相応しいと思うのですが、白ごま油に詳しい人と言うコードで探せばまあだいたいはその効果に肯定的な人が出てきますよね。つまりその時点で非常に大きなバイアスです。


 ほかの物事で考えた場合、例えば「農薬問題に詳しい専門家」を探した場合、松永和紀さんや高橋久仁子先生や中西準子先生といった名前は決して挙がってこないでしょう。「農薬問題に詳しい専門家」を探したときにまず名前が挙がるのはおそらく小若順一であったり、植村振作であったり、安田節子であったりでしょう。
 つまり農薬問題に興味を持ったとして、それについて調べようとして「農薬問題に詳しい専門家」を当たったとき、それは意図せずとも「農薬問題が存在していることを自明として研究している専門家」にアクセスしていることになるのです。


 ○○問題の専門家にとっては○○問題などあって当然なので、その問題の前提をいくつか無視していることが多く、そこを疑うことはなかなか出来ないというか、飛ばされた前提が存在することそのものを隠されています。ところが、本当はそここそ見て欲しいと言う問題は少なくありません。
 農薬問題で言えば、残留農薬の恐ろしさを訴える人は多いのですが、実際のところ残留農薬による被害がそれほど大きいのか?と言うと全くそんなことはありません。具体的に言えば農薬を原因とする死者は自殺者を除くと年間数人くらいで、もし自殺者を勘定に入れたとしてもその数は階段から滑って転んで打ち所悪く亡くなった方々の半分にも遠く及びません。
 本筋と違うので慢性毒性のほうの話はしませんが、私に言わせれば「残留農薬があって、具体的に何が困るんだ?」と言うくらいなのですが、「農薬問題の専門家」からそういう話が出ることは滅多にありません。


 かといって、じゃあ「○○に詳しい専門家」が怪しいならいったいどうやって調べればいいんだ、となりますけどそれはちょっと難しいですね。普通に専門家に当たればそれでいいことも当然あるわけで(火山について知りたいなら火山の専門家に・・・それはどうかな)、それこそがリテラシーだ、と言ってもいいですけど説明になってないし。むしろ、トンデモ専門家に人が流れるのはある程度仕方がない、と割り切って、その後のフォローを手厚くしていかねばならない、と構えておくのがいいですかね。


 というわけで、○○について調べる場合、まず○○の専門家に当たるのが正しいかどうか?はちょっと気をつけておくと良いかもしれません。しかしまあ冒頭のテレビの話に戻ると、そういう部分のリテラシーこそがマスコミに一番欠けている所なんじゃないか、と思えますね。