佐藤正午の「人参倶楽部」を読んだ! | とんとん・にっき

佐藤正午の「人参倶楽部」を読んだ!

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佐藤正午の「人参倶楽部」を読みました。去年、読み終わっていたのですが、今回またサラッと読んでみました。佐藤正午を読んだのは、岩波新書の「小説の読み書き」(2006年6月)が最初でした。このブログに「小説の読み書き」のことを書いたとき、池上冬樹が佐藤正午の「5」の書評を取り上げて、以下の部分を引用しました。


小説を読みながら何度もため息をついた。ゆったりとした語りなのに、文章は張りつめていて、軽い昴奮を覚えてしまうからだ。佐藤正午が抜群の語り部であり、賞に恵まれないものの文壇で五指に入る「小説巧者」であると僕は断定するけれど、それでもあらためて新作に出会うと、五指ではなくベスト3、いやそれ以上ではないかと思ったりする。


たしかに佐藤正午の小説は、読めば読むほど「小説巧者」という、池上冬樹の指摘が当たっています。「身の上話」は、次はどうなるんだろう、という読ませる技術の最たるもので、「書店員ミチルの身の上話」というテレビドラマにもなり、配役にも恵まれて、ついつい毎回観てしまいました。「人参倶楽部」も、読ませます。扱っている主題は他愛のないものの積み重ねですが、帯にもある通り「グラスの向こう側で交錯する儚く、哀しい男と女の愛」です。下に目次を掲げておきます。なぜか小説の中に重要なキーワードとして、「除湿器」「ドライヤー」「電気あんか」「冷蔵庫」などが出てきます。


・失恋倶楽部

・消息

・ドライヤーを贈る

・元気です

・彼女の電気あんか

・あのひと

・眠る女

・夜のうちに

・冷蔵庫を抱いた女

・行秋


例えば、初めに出てくる「失恋倶楽部」。裏口の扉が、酔ったお客の悪戯で、店名の人参倶楽部が失恋倶楽部に変わっているところからきています。「ときどき女房の他に何人の女を知っているか指を折ってみることがある」と、思わせぶりな書き出しで始まります。主人公は午後8時から午前5時まで営業のスナック・バーを一人で切り盛りして7年になります。最初は一人ではなく、女房と一緒でしたが、4年前の息子が生まれ、それ以来、店には「私」だけが出るようになりました。この7年の間に二度、夫婦は離婚の危機を乗り越えています。相手は二人とも人参倶楽部のお客でした。二度目は一昨年の夏、そのとき女房は子供のために別れないのだと、あなたを許すのではなく、息子のために離婚を避けたいのだと。弁解の余地がなかったから、ただ頭を垂れて聞くばかりでした。と、小説の背景をサラリと説明します。


例えば「彼女の電気あんか」。私は名目上、ソフトボール・チーム人参倶楽部のオーナー。実際には、暇と金と30過ぎて弱った体力をもてあました洋服屋の発案で、彼がすべてを取りしきる。選手は全員、私の店で駆り集められた。つまり全員が酔った状態で彼に口説かれたわけだ。ソフトボールの試合中、選手の一人、ビールを飲みながら話しかける小説家。「ほんとは僕が口説くつもり瀬誘ったら、もっと年上がいいって本人が言うから、じゃあ人参倶楽部のマスターはどうだって訊いたら、あたしの好みにぴったしだって」と言う。「仲を取り持ってくれるのは有り難いけど、少し若すぎないか?」と答えた。小説家は今週の金曜日が閉めきりで、このことを小説に使わせてもらえないか、という。佐藤は自虐的に、「小説家の言うことなんか信じちゃだめよ。平気で嘘ばっかりつくんだから。ぜんぜん仕事なんかしてないくせに、何か都合が悪くなると締め切りで忙しいって、何でも締め切りのせいにしちゃうの。評判悪いのよ、あいつ。のむ時間と小説家九時間と逆になればまともなのに」と、女の子に言わせています。


例えば、最後の「行秋」。やっぱり家族のことで締めくくります。

おとつい、そしてきのう夫は家に帰らなかった。・・・隠し事が一つ知れるたびに無駄なお金を使って、子供たちに会いたい気持ちを押さえて。そしていつも通りの結婚生活。10年間つづけてきた毎日の繰り返し。子煩悩な父親、父親似の子供たち。あたしは明日も明後日も自分の口には合わない朝食を彼らのために用意するだろう。・・・駐車場の砂利のきしむ音がすぐ耳元で聞こえる。寝室で勇太が数を唱えはじめじきに千恵子の声が加わり、やがて、金属と金属の触れ合う澄んだ音が響いてドアが開く。子供たちが玄関へ駆けだして行く。冬の間近い朝。夫はいつものように帰ってくる。


文庫本の最後に、重里徹也(毎日新聞論説委員)の解説があります。そこの作品の面白さを挙げるために、重里は三つの枠組みを提出しています。一つ目は、この作品の描かれている時代。人参倶楽部のマスターいさむ。彼は1980年の夏の終わりにこの店を開いた。それから7年経っているので、1987年ということ。妻と二人の子供がいます。二つ目は、主人公が属している世代。団塊の世代の下、新人類の上。狭間の世代です。けっこう真面目に生きているけど、どこか不全感を抱えている世代。この小説の全体はこの世代のやるせなさや戸惑いが基調になっている。そして三つ目は、小説ボブ態になっているのが地方の街だということ。近くにある大きな都市は博多。でも博多の都市圏でもない。海に面している街で、海岸通りでは朝市が開かれる。つまり、この連作短篇集は、1987年の九州かその近辺の街を舞台に、1952年生まれの35歳のスナックのマスターを中心とした人間模様を描いている、ということになると、重里は解説しています。


本のカバーには、以下のようにあります。

深夜営業の酒場、「人参倶楽部」。マスターの元には、それぞれに事情を抱えた客が夜ごと訪れる。不倫に疲れた女、すべてが冗談のような小説家、勤め帰りのホステス、来るはずのない女を待つ男・・・。人々はグラスを傾けながら、他愛のない言葉を交わし、人生を紡ぐ・・・。静謐な夜の帳で絡み合う、男と女の儚く哀しい恋愛模様を、透明な文体で描く連作短編。


佐藤正午:略歴

1955年長崎県佐世保市生まれ。83年「永遠の1/2」ですばる文学賞を受賞。2000年に刊行した「ジャンプ」はベストセラーとなり、「本の雑誌」ベスト1に選ばれる。09年刊行の「身の上話」は13年にNHKでドラマ化。その他に「ビコーズ」「女について」「スペインの雨」「彼女について知ることのすべて」「ありのすさび」「5」「アンダーリポート」「ダンスホール」など、著書多数。


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