佐藤正午の「小説の読み書き」を読む! | とんとん・にっき

佐藤正午の「小説の読み書き」を読む!


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日曜日の朝は、NHKの「新日曜美術館」を見るのと、朝日新聞の「読書」欄を見る、このふたつが楽しみである、というようなことを以前、このブログで書いたことがあります。まあ、そのふたつは、僕のなかでは単に習慣になっているということだけで、大した意味はありませんが。いずれにせよ、そのふたつから、「インスパイア」されるというか、刺激を受けます。つまり、美術の展覧会へ行くとか、新しい作家を見つけて本を購入して読むとか、そんな指針のひとつに僕のなかではなっています。あるいは、観に行ったことのある展覧会を再度テレビで見直すとか、読んだことのある本を再度新聞の書評という形で読み直すとか、そういう役割もあります。もちろん、すべてを鵜呑みにするわけではなく、「フィルター」にかけるというか、僕の中での取捨選択は当然行われているのでしょうが。


さて、切り抜いておいた2月18日の朝日新聞「読書」欄、「物語の森 どこに連れれれていく?」と題された池上冬樹の書評です。取り上げられているのは、佐藤正午の「5」という作品です。池上冬樹という作家のことは、どういう作品を書く作家なのか、僕はほとんどなにも知りません。名前だけは何回か聞いたことがありますが。いや~、それにしても「同業者」に対してここまで言うのかと、驚きました。なにが驚いたかというと、以下、絶賛している「書評」の出だしの一文を掲げます。


小説を読みながら何度もため息をついた。ゆったりとした語りなのに、文章は張りつめていて、軽い昴奮を覚えてしまうからだ。佐藤正午が抜群の語り部であり、賞に恵まれないものの文壇で五指に入る「小説巧者」であると僕は断定するけれど、それでもあらためて新作に出会うと、五指ではなくベスト3、いやそれ以上ではないかと思ったりする。


もちろん、佐藤正午の「5」という作品、こう書かれたからには読まねばなるまい。すぐに本屋で探しましたが見つからず、結局ネットで注文して到着を待っている状態です。もちろん、まだ読んでもいないので、ここでは絶賛された「5」という作品のことを取り上げるのではなく、佐藤正午の「小説の読み書き」(岩波新書)という作品についてです。佐藤正午についてはまったくなにも知りませんでしたが、本屋に平積みされたこの本、「小説だっておもしろいじゃん。『小説の書き方』にこだわったユニークな文章読本」と本の帯にあり、それにつられて購入したというわけです。とはいえ、「小説論」や「文章読本」のたぐいは、僕は分かりもしないのに、ついつい買ってしまいます。


帯の裏には、こう書いてあります。

文章を書くと言うとき、人は書き直すという意味でその言葉を使っている。そのことが前提としてある。そしてその前提で書かれた文章は、ふつうに書き直すというときの意味でまた書き直される。つまり推敲される。そこまでを含めて、「書く」は「書き直す」とイコールになる。だから書かれた小説とはすでにじゅうぶんに書き直された小説である。そうやって書かれた小説を読む。・・・読むことによってさらに小説は書き直される。・・・読者は読みながら小説を書く。読者の数だけ小説は書かれる。小説を読むことは小説を書くことに近づき、ほぼ重なる。(本文より)


この本の「内容説明」をみると、以下のようにあります。
近代日本文学の大家たちの作品を丹念に読み解きながら、「小説家の書き方」を小説家の視点から考える。読むことが書くことに近づき、小説の魅力が倍増するユニークな文章読本。『図書』連載を加筆修正して単行本化。


近代の文豪とよばれる作家の作品を中心に23作品と著者の自作を加えた計24作品が、この本では取り上げられています。川端康成の「雪国」から始まり、志賀直哉の「暗夜行路」、森鷗外、夏目漱石、永井荷風、樋口一葉、太宰治、芥川龍之介、谷崎潤一郎、田山花袋、開高健、などなど、よく知られた小説、知っていても読んでいない小説もあります。


取り上げられている作品の中で僕が読んだことのあるものは2/3くらいでしょうか。あとの1/3、読んでない作品は、ついつい文学全集を引っぱり出しては、後で読もうと載っているのを確認したりしました。例えば、井伏鱒二の「山椒魚」、横光利一の「機械」、菊池寛の「形」とか。手元にない作品もあります。中勘助の「銀の匙」、これ、読もうと思っていても今まで何度も探しましたが、未だに読んでいません。松本清張の「潜在光景」や結城昌治の「夜の終わる時」は、今後もたぶん読まないと思いますが。最後に大家の作品と同列に、自作、佐藤正午の「取り扱い注意」が取り上げられているところが面白い。


それぞれの作品論の一回の分量は多くはありませんが、随所に佐藤正午の鋭い視点が展開されています。その切り口と語り口はたしかにユニークで、読み応えのある小説論となっています。しかし、著者の興味の赴くところや好き嫌いによってか、その批評にやや投げやりなところも見受けられ、文章のばらつきが見られます。連載時の誤った個所には延々と「追記」を載せるとか。が、それも著者の個性であることは言うまでもありません。


著者の佐藤正午は、1955年長崎県生まれ。北海道大学文学部中退。佐世保在住の独身作家です。「永遠の1/2」で第7回すばる文学賞を受賞。著書に「Y」、「カップルズ」、「君は誤解している」、「花のようなひと」、エッセイに「象を洗う」「豚を盗む」などがあるという。「東京物語散歩」という朝日新聞の記事に、佐藤正午の蒲田を舞台にした作品がある、ということが載っていたので、切り抜いておいたのですが、いま見あたりません。


「小説の読み書き」 佐藤正午著 岩波新書


5 [著]佐藤正午
[掲載]2007年02月18日
[評者]池上冬樹(文芸評論家)
物語の森、どこに連れられていく?