佐藤正午の「5」を読んだ! | とんとん・にっき

佐藤正午の「5」を読んだ!


5


佐藤正午の「5(ご)」(角川書店)を読みました。黒い表紙に大きくただ「5」とだけ書いてあり、帯には「佐藤正午、7年ぶりの新作長編、著者会心の最高傑作」とあります。507ページの長編です。


佐藤正午は1955年に長崎県佐世保市生まれ、現在も佐世保に居を定めて書き続けている作家で、一人暮らしをしています。「小説の読み書き」の中で、太宰治の「人間失格」を取り上げて、「無頼派の作家はみんな結婚している」として、「独身の作家はハウスキーピングまでやらなければいけないのでまめになる」と述べています。1983年の春、長篇小説を書き上げて、「佐藤正午」のペンネームですばる文学賞に応募します。ペンネームの由来が面白い。佐世保市内の消防署が、正午の時報代わりに鳴らすサイレンを聞いて、小説書きに取りかかるのがアマチュア時代の習慣だったという。「正午」というペンネームはそこから思いついたそうです。1983年の秋にすばる文学賞受賞し、翌年の1984年1月に「永遠の1/2」のタイトルで長篇小説が本になり、小説家佐藤正午が誕生しました。


それにしても、本のタイトルの「5」はなにを意味するのか?「それはやっぱり『ギブ・ミー・ファイブ』っていう表現が面白いと思ったからかな。直訳すれば『5をくれ』。ハイタッチをする時の決まり文句。だから、タイトルも最初は『ファイブ』の予定でした」と、佐藤正午はインタビューで答えています。


「出会った頃の情熱は今どこにありますか」。う~ん、正面切ってそう言われると、考えざるを得ません。そういう人にこそ、この小説を読んでもらいたいのかも知れません。後ろの帯のには、「結婚八年目の記念にバリ島を訪れた中志郎と真智子。二人にとって、意味のない発言のやりとりにこそ意味があった時代は、はるか昔に過ぎ去っていた。そんな倦怠期を迎えた二人だったが、旅行中に起こったある出来事をきっかけに、志郎の中で埋もれていたかつての間の記憶が甦る。」とあります。「本当の愛を探し求める孤独な魂たちへ。新感覚の大人の恋愛小説」ともあります。


佐藤正午の「5」という作品については、2月18日の朝日新聞「読書」欄、「物語の森 どこに連れれれていく?」と題された、池上冬樹の見事な書評があります。詳しくはそちらを参照していただくとして、「世界のひとつの真理として、むしろ愛は醒めるものであることをアイロニカルに描いている。病気と涙と感動のないところで愛を語る、反『世界の中心で、愛をさけぶ』ともいうべき洗練の極地の秀作だ」と、池上冬樹はこの作品を絶賛しています。「愛は醒めるもの」?そうです、愛は醒めるのです。この作品のテーマはなにかと問われれば、この作品の最後に中志郎と石橋の、次のような会話があります。


「いい?」と石橋が言った。
中志郎は石橋の手の温もりを感じならが黙って聞いた。
「あたりまえなの。スープが冷めるのは、自然なことなのよ」
中志郎と石橋、彼ら二名は右手と左手とを不自然なかたちでつないだまま長い長いエスカレーターの途中にいる。そう、冷めないスープ、冷めない愛、そんなものは想像できない。石橋は正しい。誰かがそのことで泣く理由などない。僕ならきっとそう言うだろう。なぐさめのためにではなく、この現実の世界の動かせない真理として。たとえ相手が中志郎でなくても、どこの誰であろうと、どんな状況であろうと、どんな時代であろうとどんな時代が訪れようと、他にいっさい信念などなくともこの一文だけは、これまで僕が生きてきた証しとしてそう言い切るだろう。かならず冷めるもののことをスープと呼び愛と呼ぶのだ。(505p)


他にもこんな個所が・・・。
「必ず消えるもののことを虹と呼び人の記憶と呼ぶ」(143p)
「必ず移ろうもののことを季節と呼び人の心と呼ぶ」(145p)
「必ず冷めるもののことをスープと呼び愛と呼ぶ」(175p)


印刷会社に勤める中志郎、もうひとつ何を考えているのかわからない人物です。倦怠期を迎えた妻、真智子とのバリ旅行で起こった、不思議な出来事をきっかけに妻への愛の記憶が甦ります。小説家の津田伸一。かつては直木賞もとったことのある作家ですが、生来のひねくれ者、筆禍事件がもとで二度の休業を余儀なくされます。ネットの出会い系サイトで知り合った人妻たちを渡り歩いて日々を過ごしています。その中の一人、関係のあった真智子を通じて中志郎と出会い、「超能力」を持つ石橋を知り、その秘密を知ることになります。


大雑把に言えば、たしかに大人の「恋愛小説」ですが、この作品、一筋縄ではとても捉えられません。現代の状況を余すところなく描いています。物語の枝葉末節に、ついつい惹き付けられます。語り手である40代男性作家・津田伸一の傲岸不遜なひねくれぶりが半端ではありません。編集者とのすったもんだは、読むものを飽きさせません。女性の読者には顰蹙を買うこと間違いない、見事な人物造形です。いわばこの小説自体が、世間で流行している「純愛物語」へ疑問を提出していることは間違いありません。それが石橋の「スープが冷めるのは、自然なことなのよ」という問いかけであり、池上冬樹の言う「反『世界の中心で、愛をさけぶ』」なのでしょう。


3月20日に発売された佐藤正午の光文社文庫の「ありのすさび 」を購入して、読み始めています。分厚い文庫本、いつもの通り、歯切れのよい文章です。佐藤正午、12年ぶりの「エッセイ集」だそうで、単行本は2001年1月に岩波書店で刊行されたものです。


佐藤正午著「5」KADOKAWA


5 [著]佐藤正午
[掲載]2007年02月18日
[評者]池上冬樹(文芸評論家)
物語の森、どこに連れられていく?


過去の関連記事:
佐藤正午の「小説の読み書き」を読む!