Asahi Judiciaryより
『「東電は法的処理が望ましい」「政治のリーダーシップが必要」 東電賠償問題で斉藤惇東証社長が提』
【 東京電力の福島第一原子力発電所放射能漏れ事故の損害賠償を支援する政府の枠組みをめぐり、東京証券取引所グループの斉藤惇社長が「できることなら東電は日本航空(JAL)と同様の法的処理が望ましい」「政治のリーダーシップがあれば可能だ」「その結果、東電が上場廃止になっても受容せざるを得ない」などと語った。政府が東電に融資している金融機関に「債権放棄」を求めたことに斉藤社長が「異義」を唱えた真意を尋ねるインタビューの中での発言。破綻した原発中心の電力ビジネスの在り方についても聞いた。
■「東電のコーポレートガバナンスに問題」
――不透明なのは賠償問題だけではありません。電力産業に巣くう産・官・学の「原子力村」と、それに支えられた原発ビジネスの不健全な実態が今回の福島原発事故で見えてきました。
原発には、東電を中心とする電力業界・関連産業、経産省や文科省などの官界、政界、学者から経済界、マスコミまで関係者がすべてからんでいます。
電力産業は、発電・送電・配電を地域ごとに電力会社が1社で独占する地域独占体制で成り立ってきた。90年代に電力市場は一部開放されたが、電力会社の保有する原発が、「安い発電コスト」で原発を持たない新規参入業者を圧倒。事実上の独占体制が続いてきた。
原発導入は国策だった。そのため、政府は、電力会社が高額の原発設置費用を電力料金に転嫁することを認め、原発導入を推進した。電力会社は繁栄を謳歌し、重電メーカーも、金融機関も、広告会社も潤った。このビジネスモデルを支えてきたのが、原発の「安全神話」だった。関係する人たちは、安全神話にすがりつき、危険を見ないようして、それぞれが恩恵を受けてきた。だから、みんなに責任がある、といってもいい。
――誰も責任を取らない「原発運命共同体」ですか。
東電は、原発中心のビジネスモデルに傾斜し、非原発によるビジネスモデルの模索をしなかった。あの会社は、宣伝にカネ使うのがうまい。
労働組合も、選挙で原発周辺の自治体の首長や議会に原発賛成派を作るのに協力した。東電の株主総会には、いつも反対派の株主が出席する。その声をどうやって抑えるかが、東電にとってのリスク管理だった。原発反対の声を抑え込む代わりに、徹底的に原発の設置や運転でベスト・エフォートのリスク管理をし、それをきちんと説明すればいいのに、株主総会ではそういう説明はあまりしていない。
東電は、コーポレートガバナンスの観点からいえば十分であったとは言い難い。
■「東電の処理は金融システム危機と同じ方式で」
――斉藤さんは、産業再生機構の社長としてカネボウなど破綻した事業会社を処理した。その経験も含め、東電をどう処理すべきだと思いますか。
政府の賠償支援スキームが仮に国会で承認されるとしても、資金を拠出する他の電力会社にも株主がいる。何で俺たちが、という声が出るでしょう。同じ業界だから助ける、というのでは、それこそ同じ独占企業同士の癒着といわれる恐れがあるかもしれません。
原発事故は、東電の問題です。私企業として、国家、国民の生活に直接かかわる大事故を起こした。
もちろん、原発は、国策にもとづくものです。国民が選んだ国会議員が議決した法律にもとづき、その規制を受けながら運営されてきた。だから、私企業の事故ではあるが、例外的に、賠償に国のカネを必要に応じて入れる。そういう法律が必要です。原発を推進してきた自民党も反対できないでしょう。
民主党政権の東電支援スキームには、そういうプロセスが外から見えない。目先の批判をかわすために、ぽっぽ、ぽっぽと思いつきで迎合的なことをいう。国民は、何を信じてよいかわからない。
――電力は経済活動の基盤だ。だから電力産業を守らなければならない――。同じような議論は、90年代末の金融システム危機の時にもありました。あの時、不良債権を抱えた大銀行のうち、債務超過と認定された銀行は一時国有化して公的資金を投入し破綻処理した。同時に、経営責任や株主責任を厳しく追及し、けじめをつけた。国の強い意思と実行力を見て市場は落ち着き、金融システムは安定を取り戻した。金融と電力。コンテンツは違うが、問題点はだぶって見えます。
金融システム危機の時は、金融再生法(金融機能の再生のための緊急措置に関する法律)があり、処理のルールを明記していた。国が金融検査で資産調査をし、債務超過だと認定したら、同法にもとづいて破綻処理した。債務超過でなければ、生かして再生した。処理には透明性があった。
あの時は、国民の厳しい目があった。自民党政権だったが、従来の護送船団・行政指導型の手法では国民の理解が得られなかった。銀行によって扱いに差が出ることを避けるためには、法律を作り、それにもとづいて処理するしかなかった。当時の自民党政権は、いざとなったら、野党の法案も採り入れた。そういうバランス感覚がいまの民主党政権にはみられない。
金融システム危機のときと同じパターンでやればいいんです。破綻処理となった日本長期信用銀行と日本債券信用銀行は、金融庁が徹底的に資産を検査してアウトだと判定し、金融再生法を粛々と適用した。
今回の東電に対しても、処理のための特別法を作って適用すればいい。国が東電の資産内容を厳しく調査し、債務超過なら、一時国有化し、資産整理をする。銀行など債権者にもそれなりに債権放棄してもらう。その過程で送電設備の売却や原発の国有化などもメニューに入るかもしれない。経営のリストラは必要だが、その間、国が、国民の毎日の生活に必要な電力供給は従来通り続ける。
その結果、東電が上場廃止になってもそれは受容せざるを得ない。。】
産経ニュースより
『「上場廃止基準に抵触すべき事実はない」 東証が東電に関しコメント』
【 東京証券取引所グループの斉藤惇社長が一部報道機関のウェブマガジンのインタビューで、「東京電力の再建には法的整理が望ましい」との見方を示したことをめぐり、東証は6日午後の取引開始前に、「東京電力が上場廃止基準に抵触すべき事実はない」とするコメントを発表した。
東電株は6日午前の東京株式市場で、一時、ストップ安となる前週末終値比80円安の206円まで売られた。政局に不透明感が強まる中、企業再生の専門家でもある斉藤氏が法的整理について言及したことで、「上場廃止の可能性も想像され、売り注文の材料になった」(大手証券)との観測が浮上した。
このため、東証自らが、社長発言の火消しを迫られた格好だ。サイト上で斉藤社長は「東電でも日本航空と同様の処理ができると思う。できることならそれが望ましい」などとしていた。】
市場の常識からすれば、東電は債務超過であり、当然「法的処理」される。
そうすれば当然、上場廃止になる。
しかし、いろんな思惑が渦巻く東電の株価が、東証の社長自らの発言で、乱高下することを嫌っての前言一部撤回と思われる。
『「東電は法的処理が望ましい」「政治のリーダーシップが必要」 東電賠償問題で斉藤惇東証社長が提』
【 東京電力の福島第一原子力発電所放射能漏れ事故の損害賠償を支援する政府の枠組みをめぐり、東京証券取引所グループの斉藤惇社長が「できることなら東電は日本航空(JAL)と同様の法的処理が望ましい」「政治のリーダーシップがあれば可能だ」「その結果、東電が上場廃止になっても受容せざるを得ない」などと語った。政府が東電に融資している金融機関に「債権放棄」を求めたことに斉藤社長が「異義」を唱えた真意を尋ねるインタビューの中での発言。破綻した原発中心の電力ビジネスの在り方についても聞いた。
■「東電のコーポレートガバナンスに問題」
――不透明なのは賠償問題だけではありません。電力産業に巣くう産・官・学の「原子力村」と、それに支えられた原発ビジネスの不健全な実態が今回の福島原発事故で見えてきました。
原発には、東電を中心とする電力業界・関連産業、経産省や文科省などの官界、政界、学者から経済界、マスコミまで関係者がすべてからんでいます。
電力産業は、発電・送電・配電を地域ごとに電力会社が1社で独占する地域独占体制で成り立ってきた。90年代に電力市場は一部開放されたが、電力会社の保有する原発が、「安い発電コスト」で原発を持たない新規参入業者を圧倒。事実上の独占体制が続いてきた。
原発導入は国策だった。そのため、政府は、電力会社が高額の原発設置費用を電力料金に転嫁することを認め、原発導入を推進した。電力会社は繁栄を謳歌し、重電メーカーも、金融機関も、広告会社も潤った。このビジネスモデルを支えてきたのが、原発の「安全神話」だった。関係する人たちは、安全神話にすがりつき、危険を見ないようして、それぞれが恩恵を受けてきた。だから、みんなに責任がある、といってもいい。
――誰も責任を取らない「原発運命共同体」ですか。
東電は、原発中心のビジネスモデルに傾斜し、非原発によるビジネスモデルの模索をしなかった。あの会社は、宣伝にカネ使うのがうまい。
労働組合も、選挙で原発周辺の自治体の首長や議会に原発賛成派を作るのに協力した。東電の株主総会には、いつも反対派の株主が出席する。その声をどうやって抑えるかが、東電にとってのリスク管理だった。原発反対の声を抑え込む代わりに、徹底的に原発の設置や運転でベスト・エフォートのリスク管理をし、それをきちんと説明すればいいのに、株主総会ではそういう説明はあまりしていない。
東電は、コーポレートガバナンスの観点からいえば十分であったとは言い難い。
■「東電の処理は金融システム危機と同じ方式で」
――斉藤さんは、産業再生機構の社長としてカネボウなど破綻した事業会社を処理した。その経験も含め、東電をどう処理すべきだと思いますか。
政府の賠償支援スキームが仮に国会で承認されるとしても、資金を拠出する他の電力会社にも株主がいる。何で俺たちが、という声が出るでしょう。同じ業界だから助ける、というのでは、それこそ同じ独占企業同士の癒着といわれる恐れがあるかもしれません。
原発事故は、東電の問題です。私企業として、国家、国民の生活に直接かかわる大事故を起こした。
もちろん、原発は、国策にもとづくものです。国民が選んだ国会議員が議決した法律にもとづき、その規制を受けながら運営されてきた。だから、私企業の事故ではあるが、例外的に、賠償に国のカネを必要に応じて入れる。そういう法律が必要です。原発を推進してきた自民党も反対できないでしょう。
民主党政権の東電支援スキームには、そういうプロセスが外から見えない。目先の批判をかわすために、ぽっぽ、ぽっぽと思いつきで迎合的なことをいう。国民は、何を信じてよいかわからない。
――電力は経済活動の基盤だ。だから電力産業を守らなければならない――。同じような議論は、90年代末の金融システム危機の時にもありました。あの時、不良債権を抱えた大銀行のうち、債務超過と認定された銀行は一時国有化して公的資金を投入し破綻処理した。同時に、経営責任や株主責任を厳しく追及し、けじめをつけた。国の強い意思と実行力を見て市場は落ち着き、金融システムは安定を取り戻した。金融と電力。コンテンツは違うが、問題点はだぶって見えます。
金融システム危機の時は、金融再生法(金融機能の再生のための緊急措置に関する法律)があり、処理のルールを明記していた。国が金融検査で資産調査をし、債務超過だと認定したら、同法にもとづいて破綻処理した。債務超過でなければ、生かして再生した。処理には透明性があった。
あの時は、国民の厳しい目があった。自民党政権だったが、従来の護送船団・行政指導型の手法では国民の理解が得られなかった。銀行によって扱いに差が出ることを避けるためには、法律を作り、それにもとづいて処理するしかなかった。当時の自民党政権は、いざとなったら、野党の法案も採り入れた。そういうバランス感覚がいまの民主党政権にはみられない。
金融システム危機のときと同じパターンでやればいいんです。破綻処理となった日本長期信用銀行と日本債券信用銀行は、金融庁が徹底的に資産を検査してアウトだと判定し、金融再生法を粛々と適用した。
今回の東電に対しても、処理のための特別法を作って適用すればいい。国が東電の資産内容を厳しく調査し、債務超過なら、一時国有化し、資産整理をする。銀行など債権者にもそれなりに債権放棄してもらう。その過程で送電設備の売却や原発の国有化などもメニューに入るかもしれない。経営のリストラは必要だが、その間、国が、国民の毎日の生活に必要な電力供給は従来通り続ける。
その結果、東電が上場廃止になってもそれは受容せざるを得ない。。】
産経ニュースより
『「上場廃止基準に抵触すべき事実はない」 東証が東電に関しコメント』
【 東京証券取引所グループの斉藤惇社長が一部報道機関のウェブマガジンのインタビューで、「東京電力の再建には法的整理が望ましい」との見方を示したことをめぐり、東証は6日午後の取引開始前に、「東京電力が上場廃止基準に抵触すべき事実はない」とするコメントを発表した。
東電株は6日午前の東京株式市場で、一時、ストップ安となる前週末終値比80円安の206円まで売られた。政局に不透明感が強まる中、企業再生の専門家でもある斉藤氏が法的整理について言及したことで、「上場廃止の可能性も想像され、売り注文の材料になった」(大手証券)との観測が浮上した。
このため、東証自らが、社長発言の火消しを迫られた格好だ。サイト上で斉藤社長は「東電でも日本航空と同様の処理ができると思う。できることならそれが望ましい」などとしていた。】
市場の常識からすれば、東電は債務超過であり、当然「法的処理」される。
そうすれば当然、上場廃止になる。
しかし、いろんな思惑が渦巻く東電の株価が、東証の社長自らの発言で、乱高下することを嫌っての前言一部撤回と思われる。