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本日は、K子さんからのメールを紹介しながら、進めていきます。
(注:現在は相談メール受付は休止していますので、このメールは休止宣言以前に頂いたものです)
 

 

 


あやサン、私参っちゃいました(笑) この病気しぶとすぎますね!!

あやサンに、もう大丈夫‥卒業間近だから予備校生で…なんて余裕ぽい発言したのに、まだ全然そこまでじゃなかったです(-o-;) 

留年します、、(苦笑)
留年させて下さいm(_ _)m 
 

 

て言っても、こうして『(笑)』なんて使って言えるくらいだから、前と同じでもなく、全然ダメなわけでもなく、進んでいるんだと思います☆

よく家庭にある

良い言葉集カレンダーみたいなのに

 

「3歩進んで2歩さがる。大丈夫、ちゃんと1歩進んでいるよ」

 

て書いてありました。

 

 

そうだ、

私 戻りながらも進んでる って思えました。 
 

それにしてもシブトイ…

 

 

少し前に、あやサンに

「痩せたい気持ちもストレスの指標として使って、自分をいたわっていけるようになるといいね」

ってお返事頂いて、

 

この言葉を噛み締めて、

自分に注意を向けて過ごしていました。 
 

 

 

そしたら

注意して意識してみるだけで

だいぶ未然に防げるし、改善されました☆
 

 

 

そして

新たに変化もあって

見えてきたのが、

 

今の私は痩せたいんじゃないんだ

 

ってコトです。
 

 

 

太りたくない気持ちは強いけど、
以前のような病的な痩せ願望や、

太ったらオシマイていう感覚も ほぼありません。
 

 

自分の中のいろんな部分に気づけていく中で、そういう"痩せ"に対する部分は改善されてきて…
>前回の記事のダヤンさんと似た感覚かな?と思います。

 

 

 
あの記事内の

"プライド"と"自尊心"のお話で整理がつきました。

 

 


辞書をひくと、私の認識する語意とは違ってくるけど、

 

あやさんのブログを読みながら整理できた

"プライド"と"自尊心"は……

プライドは

自分のベクトルが

他人に対して向いて成り立っているもので、

 

自尊心は

自分のベクトルが

自分の内に向いて成り立っているものなんだ、って。。
 

 

 

プライドと自尊心は、

他人基準(他人目線)か

自分基準(自分目線)か

ってコトなんだと思いました。
 

 


話が戻りますが、
 

自分がどんな時に摂食の痩せたい/食べるの怖い/過食嘔吐したいの症状に頼るのか

じっくり観察してみたら

今の私は、
プライド>自尊心になった時に、

症状が再発する、

ということがわかりました。

 

 

 (昔はこれだけじゃなく、他の理由でも症状として現れていました)
 

 

 

 

そして

私は本当に非常にとてつもなく(笑)、あやさんいうところの”プライド”の方が高くて、”自尊心(自己志向、自己肯定感)”の方はものすごく低い‥ということが分かりました(笑)
 

 

今までも自覚はあったし、

解っているつもりだったんですが、
"漠然と"だったみたいです。

 

 

 具体例を挙げたら、

ほんの些細なことから切りがないくらいです。
 

 

 

コツコツ自尊心を育てあげて、
他者や世間との関わりも

練習しているつもりでしたが、

 

 

相手のちょっとした発言の引っ掛かりや、
自分が自分の思う(望む)ように見られなかった、

などで プライドが邪魔をしてきます。
 

 

すると

頑張って育てていた私の自尊心は
自らのプライドにへし折られてしまいます。

 

 


でも茎を折られても、根っこが残っているから、前みたいに枯れ果ててしまわずに、またお水をあげると生き返ってくるみたいです。

 

それが前と今の違いかなぁ。。
 

 

 

なので、

未だ症状が出てくるし、

私は例の"症状と付き合いながら~" の段階みたいです。

 

 

 


きっと、この(心が)へし折られて、(症状が出て心身を消耗したり痛めつけたりしちゃって)、
また(心と体に)お水(栄養)あげて・・・の繰り返しで、本当の意味で良くなっていくんですよね?
 

あやサンには、それが見えていた(いる)のかな・・・・
 

 

 

 

 

なんか、前は、
暗闇の中で、

ゴールはおろか灯すら見えませんでした。
 

 

でも今は、

 

 

ゴールが見えているのに、

ビーチフラッグで

足にゴム紐がつけられているように

(伝わりますか(笑)?)、
掴めそう!と思ったら

ゴムでビョーンて引っ張り戻されちゃってる

みたいな感じです┐('~`;)┌ 

(この続きがありますが、次回に続きます)

 

 


゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 


あや 

 

K子さんは、

 

・上記の”心の拒食/過食”のほかに

 

・生理前のホルモン変化など物理的な作用で食欲旺盛になる
(それが”過食”か食べすぎかは、本人がその量を
いけないこと、と思うかで変わるのだと私は思っていますが)

・過食(嘔吐)がしたいと、体が求める過食
(脳内に快楽物質が欲しいと感じるような”依存”に似た感覚)


の三種類が今はあるということがわかったそうです。

 

 

 



今回の上のメールは心の過食(精神的ストレス性)のひとつですが、私自身も、なんかすごい分かる~、って思いながら読みました。

 

 

 


多分K子さんもだと思うけど、

私の場合、
 

「私は人の目なんて関係ない!

「私は私が痩せたいからダイエットしてるだけ」

 

って信じていて

 

人の目線が基準の生き方をしている自分に「全く」気付けない時期も長かったです

 

 

 

 


自分の人生なのに、
自分が主体でなく、

他人/世間でどう評価されるかが

自己評価の主体になっていた

 

 

ということに
気付くことすら出来なくて。
 

私は人の為じゃない、自分が痩せたいだけだ、
他人軸ではない、自分軸で痩せたいんだ


って思ってた時期が長くあったの。

 

 

 


いまでもあの頃の、「誰といても心が一人ぼっち」の真っ暗な気持ちを思い出すと、心がきゅーんと苦しくなって涙が出てしまいます

 

 


ずっと、そんな感覚が当たり前で、

みんなもそうだとおもってたから、

自分の寂しさにも気付けなかったんだよね・・・。。

 

 

 


人とか数字に評価されたて

異様な安心と快感を感じる一とき以外は
いつも何かに追いかけられてるような・・・

切迫感と焦りと孤独で、

いつも泣きだしたい気持ちだったな。。

 

 

 


人が

自分をどう思うか、どう評価するか、に合わせて

自分を無理に変えるような頑張り方を続けていると、
 

 

全ての他人が

「自分をジャッジする人」に見えてきてしまう。

 

たとえプラスの評価をされたときでも、これからもその評価のためにはずっと苦しい努力(仕事やダイエットも振る舞いもなんでも)をしてないといけないんだ、

苦しいからって苦しい努力やめたら+の評価はなくなるんだ、本当の私を知ったらみんなバカにするんだ。。

 

…など、孤独感で一杯になっていたのでした・・。
 

 

 


このブログを見てる皆さんのなかで、

今現在そのような孤独の中にいる人も、

「今すぐ」「完全に」

治らなければ苦しいまま、というわけじゃなく、
 

Kさんのように、

治ってはないけど、
随分とラクに過ごせるようになったな

って感じられる段階が、必ずやってきます。
 

 

 

どんなに苦しくても絶望的に見えても、それは信じてね。

Kさんのこれまでの思考錯誤と気付きが参考になりそうなので
私のお返事と合わせて、もう少し紹介したいと思います。

が、テーマが「対人関係、コミュニケーション」
(家族・友人つきあい、病気の告知)に変わるので、分割して次回に纏めます。

 

↓つづき