明日を夢みて

明日を夢みて

男性が好きな男性です。試される大地に住みながら、ゲームをしたり、本を読んだりして、試されています。チョコレートのように甘~いブログを目指します(*´ω`)

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 お久しぶりです!

 お久しぶりの投稿です!ヽ(^o^)丿

 

https://nico.ms/sm34197874

 

 動画の冒頭で説明している通り、うっかり投稿し損ねていた動画を蔵出し致しました。

 終盤は、お蔵入りした動画がいくつかあり、元の動画データ、編集済みの動画ファイルなど様々入り乱れ、時間的余裕もなく急いで投稿をしていた状況だったため、漏れてしまったようです(´・ω・`)

 

 鍛冶パートなので、ストーリーには影響のない部分ですが、せっかく録画していたので、公開しました。

 お楽しみいただければ幸いです(*´ω`)

 https://ameblo.jp/sohsugay2525/entry-12301029750.html?frm=themeの続き

 

 長崎に原爆が投下されてから、73年が経ちました。

 昨年の長崎旅行では、原爆資料館も訪問しました。

 

 

 

 地下へ降りていくと、展示室があります。時間の針を1945年まで巻き戻すという意図があるようです。

 一番最初に、「長崎を最後の被爆地に」とのパネルがあり、メッセージ性を感じます。

 

 

 原爆が投下された11時2分で止まってしまった時計。

 

 

 廃墟と化した浦上天主堂は取り壊されてしまったため、側壁が再現されています。

 ただし、薄暗いし、インパクトは弱い。

 

 

 長崎に投下された原爆(ファットマン)の模型です。

 

 

 広島にもありましたが、黒焦げのお弁当です。

 

 

 手の骨とガラスが一体化しています。

 

 

 鉄かぶとに、頭蓋骨が付着しています。

 

 

 こんなに大きなガラス片が、体内に入り込んでいたのです。

 

 

 広島の資料館には、ボロボロの衣服などが展示されているものの、どこか間接的な感じがあります。

 しかし、長崎では、こういった直接的な展示もあり、死体写真のパネルもありました。

 

 あくまでも個人的な印象ですが、広島よりは長崎の方が、「死」を感じさせる展示になっている印象を受けます。

 また、上記のように、入ってすぐ「長崎を最後の被爆地に」とのパネルがあり、核廃絶の意志を感じさせます。

 

 広島は「広島平和記念資料館」、長崎は「長崎原爆資料館」と名称が異なっているところにも、何らかの意図があるのでしょうか。

 

 よく、「怒りの広島、祈りの長崎」と言われ、長崎は広島に比べて、原爆に対する告発が足りないというニュアンスを指摘されることがあります。

 しかし、両県の原爆に関する博物館を比較した限りは、広島よりも長崎の方が、直接的で、メッセージ性を感じます。

 ただし、広島旅行の際は資料館がリニューアル中だったため、全館リニューアルが完了した後、再度訪問し、改めて比較してみたいと思っています。

 

 

 原爆により、肥大化した脾臓です。

 このように視覚化されると、原爆がいかに人体へダメージを与えるかということが伝わってきます。

 

 館内では、被爆体験などの映像が視聴できるようになっていますが、その中に、「原爆投下は正しかった」と主張する外国人(たしかアメリカ人)のインタビュー映像もありました。

 最後に、「このような意見もあります」といったメッセージは表示されましたが、原爆資料館で、このような考え方をあえて紹介しているとは、驚きました。

 

 

 お昼ご飯は、資料館でエビピラフをいただきました。

 

 

 

 アメリカがヒロシマに原子爆弾を投下してから、73年が経ちました。

 当日、きのこ雲の下で何が起きていたのか。

 

 映像は残されていません。

 また、爆心地付近の写真もありません。

 

 8月6日、広島で撮影された写真は、世界で5枚しかありません。

 中国新聞社のカメラマンだった松重美人さんが撮影されました。

 そのうち、2枚が御幸橋で撮られており、被爆者の姿が写されています。

 

 この写真については、以前にこのブログでも紹介しました。

 

 『なみだのファインダー』~原爆投下当日のヒロシマを撮る

 https://ameblo.jp/sohsugay2525/entry-12187329705.html

 

 この写真を動かしてみて、被爆の実相に迫ろうと制作されたのが、「NHKスペシャル きのこ雲の下で何が起きていたのか」という番組です。

 

 

 そして、この番組が『原爆死の真実』と題して書籍化されました。

 

 

 この番組や書籍では、爆心地から2kmまでが、「壊滅地帯」と表現されています。

 そして、この御幸橋は、爆心地から2.3kmの地点にありました。

 文字通り、生と死の境目であった訳です。

 

 この番組では、生存者の証言を元に、2枚の写真がCGで再現され、映像化されています。

 若い人に、被爆体験を伝えようという意図もあったようです。

 

 実際に、その映像も視聴しましたが、胸が潰れる思いでした。

 動いたり、声がついたことによって、より胸に迫ってくるものがありますね。

 

 パッと見ただけでは、白黒で解像度の低い写真なので、鮮明ではないのですが、大火傷を負った人々や、皮膚が剥けてしまい、両手を前にして歩いている人も写っていることが分かりました。

 

 この番組は、「科学の力」で原爆の実相に迫ろうともしています。

 原爆炸裂後、放射線が人々を襲い、続いて熱線が人々を焼き尽くしました。

 

 照射時間は、ほんの数秒だったにも関わらず、地表の温度は3000度にも達しました。

 その結果、「フラッシュ・バーン」と呼ばれる原爆特有の熱傷を人々に負わせました。

 

 表皮と真皮で構成される皮膚のうち、表皮が剥がれ、真皮層にある痛覚神経の感知部分がむき出しになると考えられます。

 日本熱傷学会の理事である原田輝一医師は、「相当痛いと思います。痛覚神経を刺激していると思いますから、おそらく人間が感じる痛みのなかで、最大の痛みを感じていたのではないかと思います」と語っています。

 

 人間として最大の苦痛を受けながら、死んでいった人々――。

 原子爆弾は、大量破壊兵器であるのみならず、これ以上ないというくらいの惨たらしさで人間を殺す兵器であるということが、世界で広く認識されるべきであると考えます。

 

 証言された被爆者の方の中には、70年経ってようやく口に出せるようになった記憶を語る方もいらっしゃいます。

 また、この写真に写っていた河内光子さんは、このように仰っています。

 

 ほとんど死んでおられるんですね、あの中の人はね……。私はどうして生きたんですかね。どうして助かったんかね……。はあ。自分が生きとるのが、なんか申し訳ないみたいなんですよ……。でも、生かされとるんですね。こうやって、伝えるためですかね……。分からんですがね。

 

 

 原子爆弾は、生き残った人々の心身をも、苦しめ続けています。

 

 最後に、この写真に後ろ姿が写っている坪井直さんの言葉を引用します。

 坪井さんは、就職や結婚など、様々な場面で差別を受けてきました。

 オバマ大統領がヒロシマを訪問した際には、面会されています。

 

 とにかく、人間の命が一番大事なんだ。これが一番だ。命を大事に、命ある限り生きていこう、それが一番で私の中心。あなた方も、とにかく生きていこう。命を大事にしてくれ。相手の命も大事にせにゃいかん。それを、私はあの頃からずーっと一本通しとる。どんなときでも命は絶対大事。その命の取り合いをする戦争なんて、もっての他である。

 

 どんな人間に対しても、おい、おまえも人間じゃないか。俺も人間じゃいうんで手がつなげるようにならなきゃいけない。男性、女性もない。歳が多い少ないもない。どこの国の人間かでもない。人類。自分の思いだけでなく、相手のことも考えられるような、そういう人間に私はなりたい。

 

 諦めが一番いかん。相手がおかしいやつだからと諦めるんじゃない。ネバーギブアップ。最後まで諦めるな。

 やや先生の最新作、来ました!!

 

 

 その昔、ビブロスという会社がありましてね。

 そこから、「b-BOY LUV」というBLコミックのアンソロジーがシリーズで発刊されていました。

 

 その中に掲載されていた「ねえ、先生?」という作品で、桜城やや先生を知り、それからすっかりファンです。

 

 そして、今回の新作ですよ!!

 

 

 ある日、放課後の教室で尾瀬友樹が居眠りから目覚めると、なぜか爪にカラフルな色がついていた!

 

 その原因はクラスのイケメン、一ヶ谷侑。クールな彼の意外な趣味に驚きつつも秘密の時間を共有することに、尾瀬はなぜか優越感を感じて…?

 

 このモダモダさはクセになる――寡黙系男子×男気系男子の青春きゅん恋!!

 

 一言で説明すると、爪のネイルを通して男子高校生が恋愛に至るお話です。

 これだけ聞くと、何が何だか分からないw

 

 個人的に、女装BLは好きじゃないですが(だって、男の子同士の恋愛が見たいんだもの!)、この作品はネイルこそ出てくるものの、そこまで女々しくなくて良い感じです。

 

 「ちるちる」というサイトに掲載されたインタビューによると、「たまに私が描く手が好きと言っていただける事があったので」とのことですが、確かにやや先生の描く手って、なんかえっちなんですよね。色気を感じる。

 ネイルを塗ったり塗られたりというのも、考えようによっては、えっちな感じがしますね。

 

 やや先生の、ここ最近の作品(「夢結び恋結び」など)はあまり好みではなかったのですが、この作品は、キュンキュンしてしまいましたよw

 大きな事件が起きる訳ではありませんが、少しずつ距離が縮まっていく、このもどかしさが良いですね。

 

 やや先生の描く、困り顔、照れた表情、驚いて見開いた目が好きなのですが、たっぷり堪能させていただきました(*´ω`)

 特にね、扉絵がすばらしいんですよ。

 受の尾瀬くんの、目を見開きつつ照れている表情が、とても良い。

 元々、やや先生の絵が好きですが、額に入れて飾っておきたいくらい、ストライクな絵でした(*´ω`)

 

 ちなみに、局部については巧みに隠されていて、書き込まれていませんでした。

 最近の表現規制の影響なのでしょうか。あまりコミックは読まないので、分からないのですが。

 その代わり、プリケツは堪能させていただきましたぜ(^ω^)

 

 上質な萌えを補給して、明日からもがんばれそうです。

 

 桜城やや先生のインタビュー記事は、こちらです。

 https://www.chil-chil.net/compNewsDetail/k/801authors108/no/17729/

 鯉のぼりの日、おめでとう!

 

 

 最近は、子どもの数が減っていることもあり、「おもしろそうに およいでる」鯉のぼりを目撃することが、めっきりなくなってしまいましたね。

 鯉のぼり好きの一人として、残念です。

 

 仕方がないので、ダイソーで買ってきた鯉のぼりを自宅に飾りました。

 そうしたら、鯉のぼりをつないでいるヒモが脆すぎて、強風に煽られ、赤い緋鯉が地面に落下していました。

 竜になろうとして、失敗したのかもしれない。

 

 さて、鯉のぼりの歴史ですが、登龍門伝説(鯉の滝登り)を描いた幟がルーツだそうです。そして、その鯉を立体化したのが、鯉のぼりであるとのこと。

 

 本書には、江戸期以降の鯉のぼりの写真が掲載されています。

 当初の鯉のぼりは、和紙製だったようです。明らかに、雨とか風に弱そう。

 

 ちなみに、昔の鯉のぼりは、関東系と関西系に分類されるようです。

 関東系は、黄色系の地に極彩色。関西系は、白地に単色。

 個人的には、シンプルな関西系が好きです。金太郎とか、余計な模様も要らないと思うんですよね。

 

 この本には、変わり種の鯉のぼりも載っていて、岡本太郎デザイン鯉のぼりとか、カープ鯉のぼりなんてのもあるんですね。

 グッズも様々あって、本物の鯉のぼりの記事を使った扇子なんてものも。欲しいなぁなんて思って調べたら、13,824円ですって!!

 さすがに、手が出ない(´・ω・`)

 

 

 なお、鯉のぼりが描かれた浮世絵なんてのがあるのも、この本で初めて知りました。

 

 「鯉のぼりができるまで」では、代表的な3つの制作過程が解説されています。まさに、職人技なんですねー。

 

 日本各地で、鯉のぼり祭りが開催されているようで、いつか参加してみたいなぁ。

 ちなみに、大きな鯉のぼりに食べられたい(鯉のぼりの中に入り込みたい)というのが、ささやかな夢であります。いつか実現するかしら。

 

 この本の巻末は、「日本鯉のぼり協会加盟14社一覧」という、ただの業界宣伝だろという内容になっていますが、それもご愛敬というところでしょうか。

 鯉のぼり文化は、いつまでも廃れずに生き残り続けてもらいたいものです。

 5月3日、憲法記念日を迎えました。

 

 

 若手憲法学者による憲法論。

 この本のついて、詳しく紹介すると書いてから1年が経ってしまいました(笑)。

 『憲法という希望』。タイトルが良いですね。

 

 木村先生は、立憲的意味の憲法は、過去に国家がしでかしてきた失敗のリストだとしています。

 そして、国家の三大失敗は、「無謀な戦争」「人権侵害」「権力の独裁」であると。

 

 この中の、「人権侵害」に関して、日本国憲法第十三条で、人権が保障されています。

 

 第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 

 この条文の解説の中で、同性愛者の人権についての記述があります。

 

 まず、憲法十三条は「自由」保障の基本条文です。どんな自由を大切に思うかは、人によって異なります。例えば、将棋をさす自由が奪われたとしても、将棋を知らない人にはさしたる影響はないでしょうが、将棋ファンにとっては一大事です。あるいは、同性愛の自由の制約も、多くの異性愛者にとっては直接の不利益はありませんが、同性愛者にとっては生きること自体が困難になるでしょう。
 

 このように、一部の人にとっては深刻な問題であるにもかかわらず、大多数の人にとっては直接の不利益にならないことは無限にあります。そこで、憲法十三条で、国民の「自由」一般を保障することにしました。ここには、将棋をする自由、お酒を飲む自由、本を読む自由など、あらゆる自由が含まれています。

 

 例えば、同性愛者が権力から迫害されても、大多数の人々には関係ない訳です。しかし、当事者にとっては大変な問題になる。

 少数者を含め、自由や人権が保障されているということは、とても重要であると考えます。

 

 また、夫婦別姓についての文脈では、同性婚に触れられています。

 

 大事なのは、家族法は、国家の理想とする家族を保護し、それにそぐわないカップルやその子に制裁を加える制度ではないということです。婚外子の相続分を減らしたからといって、婚外子が生まれなくなるわけではありません。むしろ、婚外子に対する差別になります。同性愛のカップルを法律で保護しないからといって、同性愛者に異性と婚姻をするようには促せません。むしろ、同性愛者への不当な偏見を強めるだけです。
 家族法が理想像を押し付けても、個々の人が持つ家族の在り方を変えることはできないのです。家族法は、「現に存在するカップルや親子に対して、どのような法的保護を与えるのが適切か」という観点から考えなければなりません。

 

 法は、理想像を押し付けるものではないという観点は、なるほどなと思いました。

 そうではなく、存在している様々な形の家族を、どのように保護するのかということですね。

 

 時間がないので簡単な紹介になりましたが、憲法については、もっともっと学んでいきたいと考えています。

 長々と「LGBTが気持ち悪い人の本音」について批判を書きましたが、一番の問題は、こんな記事を書いてしまう記者の姿勢にあると考えます。

 

 途中でも指摘しましたが、取り立てて目新しい論点は無いんですよ。

 「LGBTが気持ち悪いのは本能」とか、手垢の付いた言い訳です。

 

 あえて言えば、「差別主義者かと思って会ったら、意外と良い人だった」というのが新鮮に感じられる人が居るのかもしれないですね。

 しかし、これも、ヘイトスピーチを撒き散らす連中も、実際に会えば普通の人だったということが指摘されたりしているので、目新しさはない。

 

 普通の人が、普通に、差別する。

 ネット上にはヘイト発言が溢れ、書店に行けば、ヘイト本が山積みになっています。

 差別が日常に浸透しているように感じます。

 LGBTのみならず、いかなる種類であれ差別が蔓延する社会は、やはり不健全であると思います。

 

 この記事の「LGBTが気持ち悪い」というタイトルも、ものすごいインパクトですよ。

 自分のセクシャリティに悩んでいる人が見たら、どれほど衝撃を受けることか。

 

 例えば、まっとうな新聞記者が、「障害者は気持ち悪い」「黒人は気持ち悪い」という意見を報じますか?

 例え報じたとしても、批判的なニュアンスとなるでしょう。

 なのに何故、対象がLGBTになると、差別する側に寄り添った形で発信されるのですか?

 

 ここに、記者のまなざしが隠れているように感じます。

 本人は意識していないかもしれませんが、「LGBTに対してだったら、差別的な意見も発信して良い」と考えているんじゃないですか?

 

 あるいは、ありきたりなLGBTと一線を画そうとして、変な方向に行ったんでしょうね。

 こういった記事が発信される影響というものを、きちんと考えなかったのでしょうか。

 

 結論が、「Bさんと会って、話して、よかったな」とか、浅はかすぎる。

 当の記者は、反応が大きかったことにはしゃいでいるようですが、結果的に差別に加担したという認識は無いようです。

 

 この記事は、「LGBTのテンプレ考」という連載の最終回だったようですが、典型的な差別発言の記事で締めくくりになったとは、皮肉としか言いようがありません。

 

 LGBTブームも、いつまでも続くものではありませんから、近い将来に揺り戻しが来るだろうとは思っていましたが、そろそろ冬の季節に備えなければいけないのかもしれませんね。

 ブームがあろうがなかろうが、当事者は生きていくしかありません。

 

 【ポイント】
 ■差別が蔓延する社会
 ■何故、LGBT差別する側に寄り添った発信が許されるのか?
 ■「LGBTのテンプレ考」の最終回が、典型的な差別発言の記事だった皮肉
 

 (完)

 

 ②の続き

 https://ameblo.jp/sohsugay2525/entry-12367117983.htm

強迫観念として、ポリティカルコレクトネスに反してしまったら、僕の方が社会的に葬られるというのがあるんですよ

 ポリティカルコレクトネスとは、「人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること」です。「ポリコレ」と略されたりします。

  https://kotobank.jp/word/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%8D%E3%82%B9-631565

 

 LGBT差別で社会的に葬られた人は居ますか?

 諸外国のことは分かりませんが、少なくとも日本では、いくらLGBTに対して差別的な言動や振る舞いをしたとしても、平然と社会生活を送れているのではないですか?

 そういった都知事も存在したくらいですから。

 

 アンケートで、LGBTを「理解不能。気持ち悪い」と書き、新聞記者に対して無邪気に差別的な発言をしている時点で、「僕の方が社会的に葬られる」という言葉の説得力が皆無じゃないですか。

 

差別意識で、いじめてやろうと思って発言したら、たたかれるのは当然。でも、異性愛が普通だと教わって育ってしまったから、全く悪意のない、うっかり吐いた言葉が『差別だ』と炎上することがある。

 本当に、差別のことが分かっていないんですね……。

 むしろ、そういう悪意のないところに差別は宿るんですよ。

 そもそも、悪意が無ければ何でも言って良いんですか?

 悪意の有無と、差別であるかそうでないかは関係しません。

 

今の時代、ポリコレ棒で殴られることって、ほぼほぼ死刑宣告じゃないですか。自分の暮らしが破壊される恐怖がある。怖いから、殴る相手に憎悪を向ける。すると相手もまた怒る。負の連鎖ですよね。

 もう、本当に言葉が軽い。涙が出るレベルです。

 いいですか、同性愛者というだけで死刑になる国があるんですよ?

 存在自体が罪とされているんですよ?

 

 LGBTは、言葉の暴力や身体的な暴力に晒され続けています。

 アメリカでは、「ゲイである」という理由だけで青年が惨殺され、お葬式には「ゲイは地獄に落ちろ」と書かれたボードを持った連中が押し寄せました。

 https://grapee.jp/111846

 

 日本でも、「ホモ狩り」と称して、同性愛者を暴行したり殺害した事件が発生しています。

 http://park.y-cru.com/sinkiba/index-2.html

 

 こういう、心震える悪夢のような出来事が起こる世界なんですよ。

 それに比べて、B氏の「ほぼほぼ死刑宣告」という言葉の、何と軽いことか。

 LGBTは、日常的に差別棒で殴られ続けているんですよ。

 

 そもそも、ポリコレは人を殴るための棒ではありません。差別を是正するための活動を指す言葉のはずです。

 ネット上なんかで、「ポリコレ疲れ」なんて言葉が飛び交っていますが、言われるほど日本でポリコレは根付いているでしょうか? 疑問に思います。

 

 ここまでB氏の意見を読んで来ましたが、「LGBTの人は非寛容で被害者意識が強いように思う」と言っているB氏の方が、よっぽど非寛容で被害者意識が強いじゃないですか。

 しかも、自分に甘い。

 

 間違えない人など居ないのだから、問題があるのなら改めれば良いじゃないですか。

 しかし、このインタビューを読んでいても、葛藤や逡巡は感じられない。

 ただ「本能」とか色んなものを盾にして居直っているだけじゃないですか。

 

 こういう無自覚な差別主義者を生み出さないためにも、教育が重要であると考えます。

 残念ながら、保健体育の教科書の「思春期になると、自然と異性に関心を向けるようになる」という主旨の記述は改められていません。

 「異性愛が普通だと教わって育ってしまった」という「言い訳」を許さないためにも、教育内容の是正が必要であると感じています。

 

 【ポイント】
 ■LGBT差別で社会的に葬られるのか?
 ■悪意のないところに差別は宿る。
 ■「ポリコレ棒で殴られることは死刑宣告」という言葉の軽さ。
 ■同性愛者というだけで死刑になる国があるという現状。

 ■現在の日本の教育が、LGBT差別の言い訳になりうる。

 

 ④に続く

 

 ①の続き

 https://ameblo.jp/sohsugay2525/entry-12366892307.htm

 

『保毛尾田保毛男』がはやったころ、僕は中学生でした。あの時傷ついていた人がいたなんて、当時想像もしていなかった。毎週木曜日の夜9時にあの番組を見て、大笑いして寝て、翌朝同級生と『見た?』と話して

当時の僕らは、女子が夏服になったら下着が透けて見えたとか、ほんとしょうもないことで盛り上がるような、純朴なバカでした。そういう思い出って、心の原風景みたいなものなんです

後になって『あの時傷ついた人に気付けなかったあなたは罪人です』と言われると、『うち実家の花畑はキレイだなあ』と思っていたら、いきなり戦闘ヘリが飛んできて機銃掃射で荒らされる、みたいな気持ちになるんですよ

 「保毛尾田保毛男」が「心の原風景」というのも、意味不明ですが。

 『「保毛尾田保毛男」で盛り上がっていた、あの頃の俺たちの思い出を批判しないでくれ」ってことですか?

 そもそも、その番組で傷付いていた同級生が身近に居たかもしれないという葛藤は、微塵も感じさせないんですよね。

 

 こういった「ホモネタ」で、「同性愛者は笑っていいんだ」「ホモは気持ち悪いんだ」と学習したのかもしれないと省みることなく、「心の原風景」と美化する。

 あぁ、無自覚に差別する典型的な異性愛男性だなと思いますし、だからこそ、「LGBTが気持ち悪い人の本音」なんて題して記事にするほど価値のある真新しい意見じゃないですよ。

 

 こういう風に、青少年を含め、無自覚な差別を刷り込むから、「ホモネタ」はダメなんですよ。

 テレビでネタにされているから、同性愛者は笑い者にしていいんだと受け止めてしまう人が居るんですから。

 

 それにしても、「保毛尾田保毛男」が実家の花畑で、LGBTが戦闘ヘリというのも、ものすごい比喩力ですね。

 

 そもそも、女性記者を前にして、「当時の僕らは、女子が夏服になったら下着が透けて見えたとか、ほんとしょうもないことで盛り上がるような、純朴なバカでした」とか言っちゃうあたり、異様ですよ。

 女性からすれば、夏服から透ける下着で盛り上がられていたなんて、「しょうもないこと」じゃなくて、ただひたすら気持ち悪いんじゃないですか?

 

 なんでこの人は、こんなに無邪気なんだろう……。

 LGBTのことを気にする前に、女性の気持ちを考えたほうがいいんじゃないですかね。

 

 これ、中学生が仲間内で話している内容じゃないんですよ?

 43歳の成人男性が、女性記者に向かって語っていることですよ?

 

 また、過去に「保毛尾田保毛男」で笑った人に対して、「あなたは罪人だ!」と過去に遡って糾弾している人は存在するのですか?

 ここにもまた、藁人形が登場している感じがします。

 

 論点がズレますが、誰も傷付けずに笑いは成立するはずです。

 そもそも、なんでわざわざ弱者を笑い飛ばさなければいけないのか。

 どうせなら、強い者を笑い者にしてくださいよ。チャップリンなんて、ヒトラーを笑い飛ばしたんですよ。

 ホモネタと同様に、バラエティーの中でのハゲいじりやブスいじりの類も、不愉快に感じます。

 

 【ポイント】
 ■ホモネタで笑った過去が、「心の原風景」。そこに葛藤は無い。
 ■わざわざ記事にするほどの真新しい意見は無い。
 ■無自覚な差別を刷り込む「ホモネタ」の危険性。
 ■女性記者を前にして、中学生時代のセクハラを、良き思い出として語る感性。
 ■誰も傷付けないお笑いを求む。

 

 ③に続く

 https://ameblo.jp/sohsugay2525/entry-12367141564.htm

 ネットで配信された「LGBTが気持ち悪い人の本音」という記事に対して、思うところがあり、ブログに綴っておきます。

 長くなったので、4分割しました。

 また、それぞれの末尾にはポイントを記載しています。

 

 「LGBTが気持ち悪い人に会ってみた 「僕の方が社会的に葬られる」ポリコレ棒を恐れる本音」

 https://withnews.jp/article/f0180406003qq000000000000000W03j10101qq000017134A

 

 「LGBTのイメージに関するアンケート」で、<理解不能。気持ち悪い。>と記載した人物へのインタビュー記事なのですが、最初から最後まで問題だらけです。

 

スーツ姿のBさんは、人なつっこい笑顔で現れました。 

 いやいや、感じのいい人だろうが、人あたりのいいひとだろうが、差別は差別じゃないですか。

 「善人」だから差別が免罪されるなんてことは無いですよ。

 あからさまな「悪人」だけの問題ではないから、差別はやっかいなんです。

 全体的に、「インタビュアーは、いい人」アピールをする記者の姿勢に、疑問を感じます。「ズートピアを観ろ」と言いたい。

 

例えばゲイの方について。僕は女性しか好きになったことがないので、男を好きになるというのがどうしても想像できなくて。

『同性を好きになる人がいるんだ』と頭では理解していても、心がついていけないんです。

 いや、「想像」も「理解」もしなくていいですよ。

 そもそも、異性愛者に対して、「同性に欲情するこの気持ちを分かってくれ!」と訴えている同性愛者って、居るんですか?

 

 そんなこと言ったら、ゲイだって、女性に欲情する異性愛男性やレズビアンの気持ちなんて、分からないですよ。

 別に、それでいいじゃないですか。自分には無い他者の性的感情を受け入れる必要なんてない。

 

 そうではなくて、性的指向を理由にして不当な差別をしないでくれと当事者たちが声を上げているのが現状じゃないですか?

 ベッドの上の話ではないはずですが。

 

 「LGBTは気持ち悪い」とか、「ホモは滅べ」とか自分の中で思うことは内心の自由ですから、その人の勝手です。

 しかし、そういったことを公に発言したり、表現したりしないでもらいたい。

 

 ちなみに、議論において対抗する者の意見を正しく引用しなかったり、歪められた内容に基づいて反論するという誤った論法、あるいはその歪められた架空の意見を「藁人形論法」と言います。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3

 

 ここではB氏が反論しているということでもないので、「藁人形論法」には当たらないかもしれませんが、誰も言っていないようなことを元に語っているあたり、藁人形を相手に独り相撲を取っている感じがしないでもありません。

 

そういう衝動って、本能的なものじゃないですか。だから本能的に拒否してしまうんですよね

 もう、典型的ですよね。テンプレ過ぎる。

 差別の根拠が「本能」とは、知的怠慢です。

 

 「同性愛者を気持ち悪いと感じるのは本能である」と指摘した科学者は存在するんですかね? 存在するなら、教えて欲しい。

 何故かこの問題では、突然、生物学者になりだす人が居るんですよね。「同性愛は生物学的にありえない」とか。

 

 「差別の根拠は本能」が認められるなら、世の中すべての差別が肯定されますよ。

 この、「本能」なるもの、実態は後天的な学習によるものではないかと思っています。

 

 また、このB氏、去年にゲイと会っているが、「『保毛尾田保毛男』のような人が来ると思っていた」とのこと。

 その程度の認識で、「LGBTが気持ち悪い」とか言ってるの?

 「理解不能」というより、そもそも理解するつもりがないですよね。

 

 ちなみに、「保毛尾田保毛男」というキャラクターは、フジテレビの「とんねるずのみなさんのおかげでした」に登場した、同性愛者を揶揄したようなキャラクターです。

 昨年、28年ぶりにこのキャラクターが「復活」し、批判を浴びました。

 その番組には、北野武が出演し、「お前ら外国いったら死刑だぞ」と発言しており、併せて最低だなと思いました。

 

僕、保険の代理店をしていたこともあるんですけど、同性パートナーだと保険金の受取人になれないんですよ! 3年前に知って驚きました。そんな不都合は、すぐ解消してあげたらいいと思うんです。ただ、自分自身が同性愛者をどう思うかと聞かれると、『うっ』となる、という……

 当事者が求めていることに対して、B氏も理解を示しているし、それでいいじゃないですか。

 どう思うかとか、全く関係無い。

 

 【ポイント】
 ■善人であっても、差別は差別。
 ■自分の中に無い欲望を想像したり理解する必要はない。そんなことを求めている人は居ない。
 ■内心でどのように思おうが自由だが、それを公共の場に持ち出さないでもらいたい。
 ■「本能」が差別の理由にはならない。

 

  ②に続く

 https://ameblo.jp/sohsugay2525/entry-12367117983.htm