②の続き
https://ameblo.jp/sohsugay2525/entry-12367117983.htm
強迫観念として、ポリティカルコレクトネスに反してしまったら、僕の方が社会的に葬られるというのがあるんですよ
ポリティカルコレクトネスとは、「人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること」です。「ポリコレ」と略されたりします。
LGBT差別で社会的に葬られた人は居ますか?
諸外国のことは分かりませんが、少なくとも日本では、いくらLGBTに対して差別的な言動や振る舞いをしたとしても、平然と社会生活を送れているのではないですか?
そういった都知事も存在したくらいですから。
アンケートで、LGBTを「理解不能。気持ち悪い」と書き、新聞記者に対して無邪気に差別的な発言をしている時点で、「僕の方が社会的に葬られる」という言葉の説得力が皆無じゃないですか。
差別意識で、いじめてやろうと思って発言したら、たたかれるのは当然。でも、異性愛が普通だと教わって育ってしまったから、全く悪意のない、うっかり吐いた言葉が『差別だ』と炎上することがある。
本当に、差別のことが分かっていないんですね……。
むしろ、そういう悪意のないところに差別は宿るんですよ。
そもそも、悪意が無ければ何でも言って良いんですか?
悪意の有無と、差別であるかそうでないかは関係しません。
今の時代、ポリコレ棒で殴られることって、ほぼほぼ死刑宣告じゃないですか。自分の暮らしが破壊される恐怖がある。怖いから、殴る相手に憎悪を向ける。すると相手もまた怒る。負の連鎖ですよね。
もう、本当に言葉が軽い。涙が出るレベルです。
いいですか、同性愛者というだけで死刑になる国があるんですよ?
存在自体が罪とされているんですよ?
LGBTは、言葉の暴力や身体的な暴力に晒され続けています。
アメリカでは、「ゲイである」という理由だけで青年が惨殺され、お葬式には「ゲイは地獄に落ちろ」と書かれたボードを持った連中が押し寄せました。
日本でも、「ホモ狩り」と称して、同性愛者を暴行したり殺害した事件が発生しています。
http://park.y-cru.com/sinkiba/index-2.html
こういう、心震える悪夢のような出来事が起こる世界なんですよ。
それに比べて、B氏の「ほぼほぼ死刑宣告」という言葉の、何と軽いことか。
LGBTは、日常的に差別棒で殴られ続けているんですよ。
そもそも、ポリコレは人を殴るための棒ではありません。差別を是正するための活動を指す言葉のはずです。
ネット上なんかで、「ポリコレ疲れ」なんて言葉が飛び交っていますが、言われるほど日本でポリコレは根付いているでしょうか? 疑問に思います。
ここまでB氏の意見を読んで来ましたが、「LGBTの人は非寛容で被害者意識が強いように思う」と言っているB氏の方が、よっぽど非寛容で被害者意識が強いじゃないですか。
しかも、自分に甘い。
間違えない人など居ないのだから、問題があるのなら改めれば良いじゃないですか。
しかし、このインタビューを読んでいても、葛藤や逡巡は感じられない。
ただ「本能」とか色んなものを盾にして居直っているだけじゃないですか。
こういう無自覚な差別主義者を生み出さないためにも、教育が重要であると考えます。
残念ながら、保健体育の教科書の「思春期になると、自然と異性に関心を向けるようになる」という主旨の記述は改められていません。
「異性愛が普通だと教わって育ってしまった」という「言い訳」を許さないためにも、教育内容の是正が必要であると感じています。
【ポイント】
■LGBT差別で社会的に葬られるのか?
■悪意のないところに差別は宿る。
■「ポリコレ棒で殴られることは死刑宣告」という言葉の軽さ。
■同性愛者というだけで死刑になる国があるという現状。
■現在の日本の教育が、LGBT差別の言い訳になりうる。
④に続く