離婚後、いとこの死をきっかけに、Gは自分から「リハビリに行く」と言ってリハビリ施設に入り、その後は自助グループの集まりに積極的に参加しながら、自分の人生を立て直してきました。以来、たま~にお酒を飲んじゃったりして羽目を外してしまうことはあるのですが、ドラッグに関してはずっとクリーン、一度も、やっていません。仕事もちゃんと続けています。

そのいわゆる『更生過程』で、リハビリ後、天涯孤独で帰る場所がなかったGに、自立できるまでの間、私んちのリビングの一角を貸し、一緒に住みました。そんなこともあり、アメリカと日本で離れている今でも、私たちはいまだに連絡し合っていますし、ある意味、家族のような関係がずっと続いています。

 

 

だけど時折、もう嫌になって、Gから自由になりたい、と思うことがあります。

 

 

原因はいつもだいたい同じなんですけど・・・・不自然なタイミングでGと少しでも連絡が取れなかったりすると、「また良くない友達とつるんでるんじゃないか?」とか、「また、後で後悔するようなことやってるんじゃないか?」と、不安になるのです。もう条件反射のようなもので、今まで、何度も何度も何度も何度も裏切られてきてるので、ほんの少しでも、ドラッグやってる頃と似たような兆候が見えると、疑心暗鬼になってしまうのです。もう最悪の事態を想像するのがクセみたいになっちゃって、すべてを信頼してどっしり生きる、ということがなかなかできなくなってるんですよね。依存症患者の家族というのは、多かれ少なかれ、そういう不安にさいなまれながら生きてると思います。たとえ依存を乗り越えてクリーンになったとしても、本人にとっては一生、リハビリが続くわけですから。。。

 

そんなわけで、昨年末も、ちょっとGと連絡が取れなかったことからケンカになり、私は不機嫌が止まらなくなり、その影響でGも不機嫌になり、私の中で何かがプツンと切れ、以後連絡を取っていません。

 

誰か他の人と恋愛したいから縁を切りたいとか、そういう気持ちはさらさらないのですが、もうさすがに何年もGに振り回されるのが嫌になって、自由になりたい、と感じたりもしました。

 

でも・・・、ふと、思ったんです。

ここからはもう、Gの問題ではなく、私自身の問題なんだ、と。

 

Gに何が起ころうとも、たとえ再びGがドラッグに手を染めてしまったとしても、私は、私自身の心を平和に保って生きていく、という責任があるんだ、と。その責任は、Gの行いや存在に影響を受けるべきものではなく、私自身のなかで完結するものなんだ、と。

 

結局のところ、自分に起こる問題は、直接的なものであれ間接的なものであれ、

全部、自分の問題なのです。

逆に言えば、自分だけで解決できる問題なのです。

 

それに気づいたら・・・・・このままGと繋がっていても繋がっていなくても、結局同じことなんだと思えて、気持ちが楽になりました。

 

 

 

薬物依存① 本人

薬物依存③ 達成と歓喜
薬物依存④ 責めるという過ち
薬物依存⑤ 人は変わる
薬物依存⑥ 間違いだらけの常識
薬物依存⑦ 憎むより感謝
薬物依存⑧ 説教なんてクソくらえ
薬物依存⑨ 結果はある意味どーでもいい
薬物依存⑩ もっともっと病