YouTubeで、高知東生さんが薬物依存についてインタビューを受けてる番組を観ながら、何気なくコメント欄も見てたんですね。多くは応援コメントだったんですけど、その中にこんなコメントが混じってたんです。
「またやるよ。」
「芸能人のやめましたは信用しない。」
これを見た時に、ハッとしました。
あぁ、そうか!と思いました。
結局、応援してる人と、このコメントの人たちは、目の付け所が違うんだ!と。
考えてみれば、元夫Gがまだ薬物依存の渦中にあったとき、私がもっとも辛かったのは、
「またやるんじゃないか?」「また裏切られるんじゃないか?」
という不安、でした。
毎回、本人の「もう絶対やらない」の言葉に必死でしがみつき、夜遅くまで帰ってこないと、「またやってるんじゃないか?」と疑心暗鬼になり、心配で胸が張り裂けそうになってました。何事もなく帰ってくれば、一時的に気持ちは安らぎますが、帰ってこなければ「またか・・・・・。」と、奈落の底に突き落とされる。そんなんの連続だから、毎日がジェットコースターに乗ってるかのようでした。
薬物依存の患者の家族が、依存の本人と距離を置かなければならなくなる最大の理由は、そこだと思います。離れなければ、本人のジェットコースターに巻き込まれてしまう。
でも、本人から物理的に離れ、巻き込まれることがなくなると、違う景色が見えてくるんですよね。
今までは、「依存者の行動=その人の意志」みたいな一元的な捉え方をしていたのが、依存者の行動は必ずしも、その意志を体現したものではない、ということが分かってくる、というか。。。。つまり、平たく言うと、ドラッグやりたいからドラッグやってるわけじゃない、ということです。再び手を出してしまったとしても、その人の「心」がドラッグを欲したわけでもなければ、その人の人格の表れでもない、ということです。
Gは2002年にリハビリに行ってからは、一度も薬物に手を付けていません。
これは、本人の覚悟が相当なものだった、ということももちろんあったと思いますが、一方で、 「たまたま薬物をやめ続けられている」ことの単なる結果にすぎない、という見方もできると思うんです。
つまり、意志が強いから薬物に再び手を出さずにいられてる、というわけではないかもしれないということです。薬物に手を付けてしまうかどうかは、本人の日々の思いや決心の強さ、人格、家族への愛の強さなどとは因果関係にない、ということです。どんなに決心が固くても、自分と家族のために止めようと誓っても、何らかの理由でやってしまうことはある、ということです。
それがわかるだけで、家族としてはものすごい楽になれるのです。少なくとも、私は楽になりました。楽になって、一歩後ろに下がって、もっと大きな眼で、薬物からの離脱を応援できるようになったと思います。
周りがそういう心の態度を持つことで、薬物依存の現状は「結果的に」いい方向に向かうんではないか?・・・・そんなふうに思うのです。
思ったことをいろいろ書いてます。ご興味あればどうぞ。