息子は2歳児クラスから保育園に入園したので、保育園には4年通いました。
入園前は5~6か所の園を見学しましたが、自宅から1番近い徒歩2、3分の園に入園しました。
この園に決めた理由は、見学に行った中で、唯一息子が楽しそうに遊んだ園だったからです。
見学した園の中には幼児教育に熱心な保育園もありましたが、ここは文字や数、運動や音楽(楽器)といった教育的なカリキュラムが一切なく、園のペースもゆったりしていたので、結果的に息子には合っていたように思います。
入園当初はそれはもうかわいそうなぐらい泣き叫んでいましたが、保育園の先生は慣れたものでした。
息子も少しずつ園に慣れて、発達はゆっくりめだったけれど、それなりに集団に参加し、それなりに友達とも遊び、それなりに園生活をこなしていました。
そんな生活の中で自閉症と出合うことになった最初のきっかけは、3歳を過ぎた頃の担任の先生の言葉でした。
「指示の声かけ(散歩に行こう、など)が時々入らないことがあるんだけど、”言われたことは分かっているけどやらない”のか、それとも”言われた内容が分からない”のか、どちらなのか分からないんです」
・・・・・・私は、先生の言っている言葉の意味がさっぱり分かりませんでした(爆)
今でこそ、分からないのか、やらないのか、できないのか、その違いを見極めることが大切だと知っていますが、この頃はまだそんな知識もなかったので、突然の先生の言葉に「???」でした。
その日、担任の先生の言葉が何度も頭の中をぐるぐる回っているうちに、だんだん不安がつのっていきました。
元々新聞が好きな私は、子育てに関する記事を通して、発達障害の存在は知っていました。
翌日、担任の先生に「昨日のお話はもしかして発達障害ということですか?」と聞くと、「そこまでは思っていない」とのことでしたが、その後「もしお母さんが悩んでいるのなら」と、保育園で発達検査を受けることになりました。
検査の結果は3歳3カ月の時点で2歳半の成長でしたが、凸凹が全くなく、「ゆっくり成長しているだけで発達障害ではない」と言われました。
ただ知的遅れがあるかないかギリギリのところだったので、公的な機関で診断を受けることをすすめられ、保健所を通して改めて検査と診察の申し込みをしました。
保健師さんには、「個性の範囲内ですし、検査しなくても」と言われましたが、「もし障害なら早く対処してあげたいし、何もないならそれでいいし、とにかく検査を受けたいんです」とお願いしました。
ちなみに検査までは3カ月待ち、診察までは1年半待ちでした。
もしこの時保育園に入園していなかったら、3歳3カ月の時点で検査を受けることはなかっただろうなと思います。
それまでも、他の子と比べて成長がゆっくりだとは感じていましたが、個性の範囲内だと思っていました。
保育園という集団の中で無意識に他の子と比べるうちに、何か言葉にならない違和感を覚えるようになり、個性なのか、個性ではすまないのか、漠然としていた思いが、担任の先生の言葉で一気に動き出したように思います。
以前、アスペルガー症候群の理解と具体的支援法(トニーアトウッド博士初来日講演妙録集) を読んだ時、自閉症が社会性の障害であることについて、すごくなるほどなと思ったお話がありました。
アスペルガーの子どもは、一人で部屋にいる時は、別に誰ともコミュニケーションをとらなくてもいいのですから、問題もありません。
一人でいるんだったら、好きなことをいつまでも誰にも邪魔されずにやることができます。
すなわち、一人でいれば、診断基準として当てはめられる項目は全部消えてしまうのです。
問題が発生するのは子どもがドアを開けて外へ出た時、あるいは誰かが部屋に入った時です。(一部要約)
また、「アスペルガー症候群の兆候が出るのは、親と一緒にいる時ではなく、同年齢の子どもと一緒にいる時」ともありました。
これを読んで、一人で部屋にいる時は大きな問題は起こらない。色々な障壁というのは社会と関わった時に出てくるんだなぁとすごく納得しました。
確かに保育園に入園するまで、家庭の中だけで子育てしていた時は、発達はゆっくりだけれど何か大きな問題があったわけではなく、保育園という初めての社会との関わりを通して、家の中にいるだけでは分からなかった色々な特性が見えてきたなぁと思います。
それは、社会が求めることと、息子の持つ世界、両者のズレから生じていたのかもしれません。
アトウッド博士の本には、一人の時間を持つことの重要性も書かれています。
アスペルガーの方々にとっては、社会でやり取りをするというのは非常に疲れること、非常に大変な努力を必要とすることになるのです。したがって一日過ごす中で、どこかで一人になるチャンスを必要とします。(一部要約)
一人でいる時は、社会性障害も、コミュニケーション障害も、想像力障害も、何か大きな障壁となるわけではなく、もしかしたら一番頑張らなくてもいい時間なのかもしれません。
生きていく上で社会との関わりは避けられず、大なり小なり自分なりに頑張らなければならないこともたくさんあるからこそ、社会と関わるエネルギーを充電するための一人の時間が、必要かつ大切になってくるのかもしれないなと感じています。
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