保育園で個人的に発達検査を受けた後、保健所を通して、改めて発達検査と診察の申し込みをしました。
この時、発達検査は3カ月待ち、診断は1年半待ちでした。
3カ月待って受けた発達検査でも、息子は軽い知的な遅れが認められ、保育園の年少クラスに進級すると同時に、2週間に1回療育教室に通園することになりました。
この療育教室は、診断の有無に関わらず、IQによって療育対象となるかどうかが決まります。
そのため、診断待ちの状態でも知的な遅れが認められれば療育に通うことができますが、診断が出ていても知的な遅れがなければ療育に通うことはできません。
知的遅れがあるかないかギリギリのところだった息子は、その後知的障害の対象から外れたので、もう少し検査をするのが遅かったら療育には通えなかったのかもしれません。
療育に通ったことは、私にとってプラス面がたくさんありました。
子どもが7~8人のグループ療育を受けている間、保護者は別室で臨床心理士の先生を交えて話をします。
悩みを話したり、愚痴を言ったり、笑ったり、時には泣いたり、そこには健常児の子どものママ友達とはまた違う、みんな同じ立場だという安心感がありました。
基本的な視覚支援グッズの作り方や構造化など、生活を暮らしやすくするためのコツも最初にここで学びました。
保育園の年長になると始まる就学相談などの小学校入学準備も、他のママ達の話を聞きながら進めることができたので、心強さがありました。
当時はまだパソコンに疎かった私にとって、2週間に1回の療育教室だけが情報交換できる場所でした。
けれど、療育にはプラス面もたくさんあった反面、時にはナーバスになることもありました。
息子のクラスはほとんどの子が診断待ちだったので、申し込みが早い子から順番に診断の日がやってきました。
1人また1人と、「ウチの子は障害だった」、「ウチの子は障害じゃなかった(ゆっくり成長しているだけ)」と診断を受けていく様子は、自分の順番が近付くにつれて、まるで最後の審判が下されるのを待っているかのような気持ちになることもありました。
息子は、保育園で初めて発達検査を受けた時、保健師さんに発達検査と診察の希望を伝えた時、「発達障害ではない」と言われました。その後、療育教室でも「発達障害ではないと思う」と言われました。
そういった言葉を信じたい反面、「でも・・・」という不安もぬぐい切れず、診断が近付くにつれて私の心は不安定になり、それが療育教室でのナーバスな気持ちを生んでいたのだろうなと思います。
それでも、診断前後という不安になりやすい時期を同じ立場の仲間とともに過ごせたことは、子どもと二人暮らしで実家も遠い私にとって、1人ではないという安心感がありました。
もし療育がなく、1人で診断を待っている状況だったら、もっともっと不安で辛かったのではないかなと思います。
療育教室での時間を共に過ごした仲間とは、今でもいい友人です。
住んでいる場所が離れているので普段会う機会はあまりありませんが、たまに集まると気兼ねなく話ができます。
人間関係は変わっていくものなので、もしかしたらこの先、気が合わなくなったり、疎遠になったりすることもあるのかもしれません。
それでも私は、診断前後という心が揺れ動く時期を共に過ごした仲間のことを、この先もずっと忘れないだろうなと思います。
*次回の記事では、ドクターから診断を受けた時のことについて書いてみたいなと思います(^^)
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